来たれ夏休み-1

 生徒二名が殺害される凄惨な事件から、二月半。あれ以降、校内で第三の犠牲者が出ることはなかった。


 恋による全校一斉尋問のおかげで、校内の人間への疑いも晴れた。当然、竜秋たち桜クラスの全員も恋の『神谷孔鳴殺害の犯人を知っているか』という質問にノーと答え、無事潔白を証明された。


 そうして竜秋たちは拍子抜けするほど、今まで通りの生活に戻った。毎日授業を受けて、放課後は佐倉に挑み、夜は談話室にしけ込んで佐倉の対策を練る、校内大会前までの日常に。


 とはいえいくつか、変化した部分もある。


 一つ目は、輪の中に沙珱が加わったこと。


 最初は遠慮していた様子の彼女だったが、女子たちが積極的に絡んだりして、沙珱も前のように拒絶しなくて、それでいつの間にかそうなっていた。沙珱が加わったことで、佐倉を倒すという遠すぎた目標は一気に現実味を帯びた。


 当初は連日挑んでいたが、沙珱の《白鬼》が内蔵に負担をかける諸刃の剣であることや、佐倉にこちらの手札をなるべく見せたくないことを理由に、六月に入ってからは二週に一回程度まで挑戦回数をセーブし、その分を作戦立案と修練に費やした。


 二つ目の変化は、竜秋が一査に稽古をつけるようになったこと。


 彼は異能バベル発現までは全国レベルの武芸家だったとかで、その腕前は竜秋も初見で思わず「ほう」と唸るほどのものだった。


 《捜査官エージェント》というあまりにも戦闘に不向きな異能バベルを授かったことで、武術を辞めさせられ、本人も補助職サポーターの塔伐者を目指す道に舵を切ったそうだが、授業が再開した翌日、一査の方から竜秋に弟子入りを志願してきたのである。


「君の名前は、小学一年生のときから知っている。ずっと憧れだった。僕の目標だったんだ。そんな君が、まさか無能力者だったと知って、その上で君の、みがき抜かれた武を目の当たりにして……自分が恥ずかしくなった。校内大会で、随分なまってしまったことを思い知ってね。どうか、この通りだ」


 人にものを教えるなんて時間の浪費を、なぜ引き受けたのか、竜秋にも分からない。とにかくそれから毎日、竜秋は自由使用できる訓練場で一査を鍛えた。たまに「蹴り技教えて!」と遊びに来るヒューもついでに鍛えてやった。


 飲み込みはヒューの方が早かったが、言われたことを愚直に何度でも、集中力を持続して繰り返す一査の姿勢には好感が持てた。やり始めるとのめり込んでしまって、けっこう指導に熱が入ってしまった。


 自分の技術や思考を言語化することで、思わぬ理解の深まり方があったことは、竜秋の方にも意外な収穫だった。


 三つ目は、逆に竜秋が、とある人物に弟子入りしたこと。


 自室待機が解かれた翌朝、竜秋はキャンパス東部の教室棟に出向き、始業前の一年竹組を訪ねた。


 入り口に立った竜秋を見るなり、「あいつは!」「カチコミ!?」「報復だあああああ!」と教室がえらい騒ぎになった。生まれ持った目つきの悪さで意図せず一同を黙らせ、勝手にツカツカ上がり込んで、目当ての机の前に立つ。


 ガラの悪い赤髪の少年は、「……あ?」と険しい目つきで竜秋を睨んだ。


「なんだよ、泣き虫負け虫クソ虫のたつみ君じゃん。またボコられに来たのかァ?」


 ヒヒッと机に足を乗せ、犬歯を剥き出して笑う悪童。馬城力彦――校内大会で、竜秋が手も足も出ず敗れた相手だ。


 腹の底にただれるような屈辱を秘めて、竜秋は無表情のまま、彼に頭を下げた。


「あ……?」


 間抜けな顔で固まる馬城に対して、真摯に乞う。


「頼みがある。時間があるときだけでいい。組み手に、付き合って欲しい」


 ――馬城が、自分の完全な上位互換であると、竜秋は痛感していた。


 自分より速く、自分より重く、自分より強い……組み手の相手としてこれ以上の存在はいない。自分より少し格上と戦い続けることが、最も早く強くなる方法だからだ。


 馬城はしばし絶句して竜秋のつむじを見下ろしていたが、不意に「いいぜ」とほくそ笑んだ。定期的に竜秋を痛めつけられる、ていのいい名分めいぶんができたとでも思ったのかもしれない。なんだって構わない。頭を下げたのは――いつかお前も、越えてやるためだ。


 馬城とは、基本、夜に"仮想空間内"で落ち合った。


 塔伐科高校の生徒は頭に《DIVER》を装着することで、自宅のベッドに横たわったまま仮想戦闘訓練を行うことができる。対戦相手はコンピューターが操縦する仮想"兵隊センチネル"、"レグナント"、反逆者レネゲイドが選べる他、招待コードを入力すれば生徒同士の対戦も可能だ。


 仮想空間内で顔を合わせた馬城は、毎度憂さ晴らしとばかりに竜秋をいたぶった。死亡判定が下って自動ログアウトするまで、竜秋は決死の形相で馬城に食らいついた。


 《DIVER》に記録される通算戦績が五十敗を超えた頃、ついに竜秋は馬城から一本取った。


 その時の興奮は忘れられない。今まで、竜秋はずっと挑まれる側、蹴散らす側で、どうやっても勝てない相手に挑み続けるようなことは、佐倉を除けば初めてだった。


「マグレ一回で調子にのんじゃねえ! もう一本だ!!」ムキになった顔で再びログインしてきた馬城は、すぐに一本を取り返した。


 一日多くて三本だった勝負の回数が、それから倍以上に増えた。勝ったり負けたりを繰り返すうちに、いつしか、馬城の戦法は激的に変わっていた。


 侮り、あおり、おちょくるような戦い方は今では記憶にも薄いくらい、顎を引き、正式に構え、口元には笑みすらなく、ただ全神経を戦いに集中させる――そこから一段と、馬城は手強くなった。


 二ヶ月半経った今でも、五本勝負で一本二本取れるかというところだ。壁は依然として遥か高み、だからこそ充実この上ない。



 ――さて、最後に、四つ目の変化は、生活が楽になったこと。


 校内大会は中止となったが、校長らの意向により、"鬼"の第一陣が解き放たれるまでの範囲で各クラス、及び個人の評定が行われた。


 結果、桜クラスは大差で優勝。賞金として一人あたり三万エンが端末に振り込まれた。更に活躍に応じて個人にボーナスが加算された。生存時間、撃破数、撃破補佐数などが考慮され、竜秋は二万エンのボーナスを獲得。参考までに、爽司のボーナスは五百エンだった。


 ちなみに一人で竹十二名、梅五名をほふり最後まで生存していた沙珱には、二十万エンという高額ボーナスが支給され――しばらくは、彼女が買ってきた大量のお菓子の差し入れが教室後方に山積みになっていて、桜クラス一同おやつに困らなかった。


 そんなわけで、十食限定カレーに依存する生活から脱却。竜秋はエンが振り込まれるなり、早速、まとまった金を手に入れたら最初にやろうとしていたことを実行した。


 即ち、式部しきべ伊都いとを食事に誘った。


「君に奢られるなんて嬉しいです」


「好きなだけ食え」


「はい、いただきます」


 一月前に二人で入った同じ店、同じ席で、二人は向かい合って座った。


「校内大会お疲れさまでした。映像見てましたよ。ゾンビみたいでしたね」


「人に使う感想か?」


「褒めてるんですよ」


 相変わらず上機嫌そうに笑う伊都に、「どうだか」と息を吐く。


「そういえば、可愛い女の子の上に覆いかぶさって、必死に守ってましたね。彼女ですか?」


「違う」


「なーんだ」


「そんなことより、約束覚えてんだろうな」


「?」


 首をかしげる伊都の美貌に、竜秋は自分の学生証端末を印籠いんろうのごとく突きつけた。


 端末が表示しているのは、竜秋の顔写真、氏名、学籍番号、クラス、異能バベルなどの情報がカードを思わせる意匠デザインの枠の中に並んだ、いわゆる"学生証画面"。


 唯一空白となっている異能バベルの欄の一つ下に、《階級レベル》という欄がある。そこに刻まれた数字は、『30』。


「約束通り、レベル30になったぞ。くれるんだろ――《塔伐器》」


 勝気に笑う竜秋の顔を、伊都は通知表を見せつける子どもに向けるような目で見つめて、くすっと微笑んだ。

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