ワースト・クラス-3

 パチン、と指を鳴らす音で、目が覚めた。


「……ぁ?」


 桜クラスの教室だった。竜秋を含め、全員が自分の席に座っている。意識を失っていた記憶のない竜秋にとっては、あまりに妙な感覚だった。「気絶しとけ」とあの担任に頭を触られた一秒後には、景色が外から教室に変わったのだ。


「なん……っ!?」


 立ち上がりかけて、異変に気づく。首から下が、動かない。


「よーみんな、おはよう」


 教卓の前に立っていた佐倉が、今しがた指を鳴らしたらしいポーズで笑いかける。


「記憶にあると思うけど、ここにいるお前ら全員、俺に負けた。戦いながら頭に触れて、お前らの"意識"を一人ずつ【施錠ロック】したんだ。で、助手に教室ここまで運んでもらった。今指を鳴らして、お前らの意識と、首から上の鍵だけ解錠けてやったところ。――以上、状況は分かったかな?」


 全員、青い顔で押し黙って何も言わない。竜秋も口を効く気にはなれなかった。自分たちは、負けたのだ。これからこの傍若無人な悪魔に、どんな理不尽な仕打ちを受けるのか想像もつかない。


「じゃーまず、俺からプレゼントだ。机の上を見てみろ」


 示された机の上には、透明なケースに梱包された、淡い桜色のネクタイが置かれていた。散る花弁が小さく一つ一つ刺繍された、けっこう凝った意匠デザインだ。


「そいつは桜クラスの証。この学園はクラスによってネクタイの柄が違う。梅は赤、竹は緑、松は紺……で、お前らはそれ。俺からのささやかな入学祝いだ。ようこそ桜クラスへ♡ このクラスの一員である限り、俺の命令には絶対に従ってもらうからね。従わないやつは三年間、意識を【施錠ロック】しっぱなしにするよん。卒業まで植物状態でいたくなけりゃ、大人しくしてろー」


「む……無茶苦茶だぜ、この人……」


 隣の爽司が半泣きで振り絞る。


「――そんなお前らには、一日一回、放課後に、"俺に挑むチャンス"をやろう」


 目の色変えて、竜秋は身を乗り出した。


「何人でかかってきてもいい。俺に勝てば、そいつら全員即松クラスへ上げてやる。毎日、俺の鼻をどうやって明かすかだけ考えろ。ただし、授業や行事に手を抜くことは許さない」


「……上等だ」


 正直、今の竜秋には、佐倉に触れるビジョンさえ全く見えていない。それでも、佐倉の気まぐれなのか遊び心なのかは知らないが、是非もない話だった。超えるべき壁が見えさえすれば、竜秋は進める。


「と、いうわけで、桜クラスのガイダンスは以上。お前ら今日はもう寮に帰れ。明日は入学式、明後日から授業が始まる。最初の週はクラスごとのオリエンテーションだけど、すぐに履修科目ごとに分かれるから、履修登録は明日中には済ましとくよーに。わからんことは全部、その学生証に聞け。AIが音声ガイドで答えてくれる」


 パチン、ともう一度佐倉が指を鳴らすと、竜秋の首から下を縛っていた電流のようなものが、ふわっと嘘のように消えた。クラスの連中も肩を回したり足をパタパタさせたりして、数分ぶりの自由を味わう。


「最初の命令だ。全員、そのネクタイをしめな」


 竜秋たちは大人しく従った。敗者に拒否権などない。それに、品物自体はまったく悪いものではなかった。


「うん、似合ってる。それじゃーまた明日。いっぱい思い出作ろうな♡」


 ぶん殴りたい口調で言い捨ててから、佐倉はあの時みたいに虚空を指で突いて空間に波紋を広げ、忽然こつぜんと教室から姿を消してしまった。


 どっ、と、途端に疲労が肩にのしかかる。猛獣の檻の中にいたような圧迫感からようやく解放されたみたいに、他の生徒たちも机に突っ伏したり、重いため息を吐き出したりする。


 寮に帰れとは言われたが、誰も立ち上がろうとはしない。はじめに動く気になったのは竜秋だった。席を立ちかけた竜秋を、「あ、あのさ」と、温和な声が引き止める。


「色々なことがあったけど……ひとまず、ここにいるメンバーで自己紹介しない?」


 中央の席から立ち上がり、竜秋たち全員を見回しながらそう提案したのは、灰金色アッシュゴールドの髪をサラサラ揺らす、誠実な顔つきの少年だった。手の半分ほどを隠す袖丈そでたけのカーディガンを着ていたので、竜秋は彼を"萌え袖"と命名した。


「僕は左門さもん 幸永ゆきと。ここにいる全員、塔に行きたいって気持ちは同じだと思う。でもそのためには、佐倉先生を倒さなきゃいけない。さっき破れかぶれで挑んでみたけど、恥ずかしながら瞬殺されちゃって……僕一人じゃ三年かけても先生にかないそうにない。だから、協力したいんだ。皆さえ良ければ」


 どこまでも真摯な言葉が、力強く彼の口から飛び出す。「賛成!」と爽司が手を挙げた。


「俺は一人でやる。抜けるぞ」


 唯我独尊、立ち上がった竜秋に「まぁまぁまぁ!」と爽司が素早く抱きついた。


「おい離せ暑苦しい!」


「たっつんに抜けられたら困るよ、オレらのエースじゃん!」


 ぴくっ、と竜秋の耳が大きくなった。


「ねっ、ユッキー!」


「ゆっきー……?」


 水を向けられた幸永は、いきなりのあだ名に困惑しつつもコクコク頷いた。


たつみ君がいてくれるなら本当に心強いよ。もちろん無理強いはしないけど……自己紹介だけでも、どうかな?」


 心遣いとともにそんなキラキラした笑顔を向けられては、さしもの竜秋も袖にしにくい。「ぐっ……」と押し黙り、ついにはどっかり椅子に座り直した。


「ありがとう! じゃあ、僕からいくね。名前はさっきも言ったとおり、左門幸永。ユキトでも、ゆっきーでも、好きに呼んでください。僕の異能バベルは――」


 言葉を切った幸永の肩に、ぼふん、と何やら濃い煙が広がった。その煙を切り裂いて、ぽーん、と小さな体が幸永の肩の上で跳ねる。


『デビーッ! みんなぶっころしてやるデビッ!!』


 甲高い幼児の声をいくつも重ねたような不思議な声で、登場早々に物騒なことを叫びだしたのは――小さな小さな、体長十センチほどの"悪魔"だった。


 見かけは胴の極端に短い子猫に近い。灰色の毛並みにピンと尖った耳、短いヒゲがあまりに猫を連想させる。小さな牙と鮮血色ブラッディレッドの瞳が、どこか吸血鬼の赤ちゃんみたいだ。


 竜秋がそれを悪魔だと思ったのは、背中に生えている、三センチくらいの小さなコウモリの羽がピコピコ動くのを見たから。


「デビ太、自己紹介して」


『デビ太ってよぶなぁ! おれさまのなは"デモンズヴォルグ=ヴィンセント=タゴニア三世"だデビ!』


「略してデビ太です。みんなよろしく」


『ぜんいんまとめてちまつりにしてやるデビ!』


 短い手足をバタバタさせて牙を剥くデビ太に、「かわいいいいいいいいい!!」と女子二人が悶えながら寄っていく。


『なっ、なんだっ、きやすくさわるなデビ! まずおまえからちまつりに……あっ、やめろっ、のどはなでるなデビ!』


「あはは、喉なでてもらうの好きだから、指でなでてあげて」


「やーん、ふわっふわぁ!」


『や、やめろデビ、そこは……はふぅ……』


 たちまち少女の手の中でうとうとし始めたデビ太に苦笑して、幸永は自己紹介を再開した。


「見てもらったとおり、僕の異能バベルは《召喚士サモナー》――一緒に戦ってくれる相棒を召喚する能力だ。といっても、呼び出せるのはデビ太だけで……大悪魔を名乗っちゃいるけど、戦いじゃ正直あんまり役に立たない。可愛いんだけどね」


 生き物を生み出すような高次元の異能バベルは竜秋も初めてお目にかかった。が――呼び出せるのが実害のない子猫一匹では、大した査定をもらえていないだろう。Fか、よくてEといったところだろうか。

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