第93話

「昔の方が断然上手だったよ」

「………俺もそう思う」

 

 

 

 

 

 夕方5時過ぎ。

 

 

 僕たちはふたりで台所に立っていた。

 

 

 並んで、一緒にカレーを作っていた。

 

 

 野菜を切っている里見を、横で見ている僕。

 

 

 

 

 

 ピーラー、包丁、まな板、野菜。

 

 

 準備してどうぞって里見に言ったら、里見は激しく情けない顔で僕を見た。

 

 

 初めて見るそんな顔に、僕は笑った。

 

 

 

 

 

 恐る恐る野菜を洗って、恐る恐るピーラーで皮をむいて、恐る恐る包丁で切って。

 

 

 まな板の上に細かく切られていく野菜を見て、僕はまた笑った。

 

 

 

 

 

「昼の夏目の手際の良さの後にこれか………。もう少しできる気でいたけど、自分で言うけど、本当ひどいな」

「そんなに長くやってないの?料理。あ、カレーは料理じゃないか」

「そんなに長くやってないんだよ。そして過去の失言は忘れてくれ。許してくれ。俺が悪かった」

 

 

 

 

 

 切る手を止めて、頭を下げる里見。

 

 

 そしてまな板の上を転がる、乱切りが乱切りになっていない人参。

 

 

 

 

 

 ふと、聞きたくなって、聞いた。

 

 

 

 

 

「全部奥さんがやってくれるんだ?」

 

 

 

 

 

 ふと、本当にふと、どんな人か知りたくなって。

 

 

 

 

 

 里見の肩が、かすかにぴくりと動いた気がした。

 

 

 

 

 

 たん。

 

 

 

 

 

 たん。

 

 

 

 

 

 たん。

 

 

 

 

 

 たん。

 

 

 

 

 

 静かな台所に、人参を切る音がゆっくりと響く。

 

 

 

 

 

「………全部、奥さんがやってくれるよ」

 

 

 

 

 

 長い長い沈黙の後に、里見は答えた。

 

 

 

 

 

「どんな人?奥さん」

「………家事全般が得意な、専業主婦」

「どこで知り合ったの?」

「………高校」

「そのときから付き合ってたの?」

「付き合ってはいない」

「告白された?」

「………」

 

 

 

 

 

 人参を切り終えて、里見の手が止まった。

 

 

 俯く。

 

 

 そして沈黙。

 

 

 

 

 

「告白を断って卒業して、何かで再会して今でも好きって言われたパターン?」

「………」

「全部は話してないにしても、ある程度の何かを話して、それでもいい。それでも好き。だから付き合ってって押し切られた?」

「………」

 

 

 

 

 

 里見は答えなかった。

 

 

 黙っていた。

 

 

 つまり、だから、それが答え。

 

 

 

 

 

 中学2年生で強制的に離れ離れにされて、僕たちが再会したのは、20才。成人式の日。

 

 

 その間に里見と奥さんは出会っていた。

 

 

 いつ再会して、いつから付き合っているのかは分からないけど、付き合ってる期間なしで結婚なんかしないだろう。

 

 

 だから『結婚しました』って、SNSに載った一言を読んだときに、そうなんだろうとすぐに思った。

 

 

 それを僕は、聞いた。確かめるために。

 

 

 

 

 

「僕とかぶってる期間は、どれぐらいあるの?」

「………」

 

 

 

 

 

 一緒に居た昔を思い出してカレーを作っている最中に、こんな話は酷だろうか。

 

 

 

 

 

 僕よりも背の高い里見が、小さく項垂れている。

 

 

 

 

 

 聞きたい。



 項垂れるそこにある感情は何?

 

 

 後悔?罪悪感?

 

 

 

 

 

 また僕の中に、ふつふつと怒りがわきあがった。

 

 

 悲しみを火種にした怒りがゆらゆらと。

 

 

 

 

 

「答えろよ。僕には聞く権利があるはずだ」

 

 

 

 

 

 これも、里見だからなのか。相手が。

 

 

 発した自分の声が、冷たい。

 

 

 

 

 

 自分で思って。

 

 

 

 

 

 黙る里見に、僕は大きく息を吐いた。

 

 

 

 

 

「………カレー、作ろう」

 

 

 

 

 

 今すぐに答えなくてもいい。

 

 

 言い訳をまとめる猶予ぐらいくれてやる。

 

 

 でも、どんなに言葉を尽くして言い訳をしたところで、事実は変わらない。

 

 

 

 

 

 里見。

 

 

 お前は僕と奥さんに二股をかけた挙句、僕を捨てたんだ。

 

 

 

 

 

「ほら、次じゃがいも」

「………」

 

 

 

 

 

 まな板の上に、僕はじゃがいもを乗せた。

 

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