第74話

「どこか行きたいところある?」

 

 

 

 

 おはようって挨拶をしてから、僕は里見の左隣に座った。

 

 

 十分座れるスペースがあったのに、ボクは端に座り、里見は少し右に寄った。

 

 

 

 

 

 以前はもっと、すぐ側に、すぐ隣に座っていたはずなのに、変に間が空いているのは。

 

 

 

 

 

 ………そういうこと。

 

 

 

 

 

 距離。

 

 

 

 

 

 以前にはなかった心の、気持ちの距離が、僕たちの間を変に空ける。

 

 

 

 

 

「昨日は、ごめん」

 

 

 

 

 

 里見がぼそっと言いながら、また視線を海に向けた。

 

 

 

 

 

「………僕も、ごめん」

「あれからホテルに戻って考えた。俺はお前と何がしたいんだろうって」

 

 

 

 

 あれから。

 

 

 

 

 

 僕が帰れって言った後。

 

 

 ひとりでホテルに戻ってから。

 

 

 

 

 

 僕には七星が居たけど、里見は。

 

 

 

 

 

 

「………まさか、何も考えずにこっちに来たの?」

「会えるかどうかも分からなかったから。会えても、無茶な願いを受け入れてもらえるかどうか」

「………」

「ただとにかく会いたいしかなくて………だから、昨日はどうしていいか分からなかった。何を話したらいいのかも………全然。だから夏目が怒るのも無理ないよ。本当ごめん」

 

 

 

 

 

 里見の病状は、詳しくは聞いていない。

 

 

 だから今、里見がどの程度まで大丈夫なのかは分からない。あまり聞けることでもないし、聞くのがこわい。

 

 

 

 

 

 ただ、話し方、が。

 

 

 昔から騒ぐタイプではなかったけど、昔より………。

 

 

 

 

 

「で、何がしたい?」

 

 

 

 

 

 沈みそうになる気持ちを誤魔化すために、僕は里見に聞いた。

 

 

 里見は一呼吸置いてから、静かに言った。

 

 

 

 

 

「夏目は、今、ひとり暮らし?」

 

 

 

 

 

 どきんって、なった。

 

 

 

 

 

 ひとり暮らしかどうかを聞かれただけなのに、僕の答えに次に里見が言いそうな、言い出しそうなことが分かって、思わず答えを躊躇った。

 

 

 

 

 

 僕が住んでいるあの家は、里見と住むことを夢見た家。

 

 

 でも今は、七星と住むことを待っている家。

 

 

 

 

 

「もし、そうなら………俺、土曜日まで夏目の家に泊まりたい。それだけでいい。どこかに行きたいとか、特別何かをしたいんじゃない。ただ普通に………。普通に、さ。普通にお前と、一緒に居たい。何でもない1日を、毎日を、お前としてみたい」

 

 

 

 

 

 ぽつぽつと。ぼそぼそと。

 

 

 

 

 

 話し方は変わらないのに、覇気のない声は、体調が優れないからなのか。

 

 

 集中して聞かないと、聞き取れない。右耳が里見の声を拾えない。

 

 

 

 

 

 普通に。

 

 

 

 

 

 命がけで、来たんでしょ?ここに。

 

 

 文字通り、命がけ。

 

 

 命の期限を告げられて、反対だってされただろうし、何で行くの、誰に会うのって、聞かれたくないことを聞かれたよね?

 

 

 それでも来て。命がけで来て。土下座までしてやりたいことが、普通に土曜日までを過ごすことって。

 

 

 

 

 

 ………うん。

 

 

 僕たちには、普通が普通ではなく、普通こそが特別だった。

 

 

 

 

 

「じゃあ行こう」

「………いいの?」

「来るかな、とは、思ってたから」

「………ありがとう」

 

 

 

 

 

 頭を下げる里見に、だから、頭なんか下げるなよってイラついて、行くよって僕は、座っている里見に手を、差し出した。

 

 

 

 

 

 握られた手は。

 

 

 里見の手は。

 

 

 

 

 

 ひどく冷たかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る