第50話
「おじゃましました。ごちそうさまでした」
「また来てね」
「はい。ありがとうございます」
「また豆太借りに来る」
おやすみなさいって、僕たちは七星の実家を出た。
出て。
「疲れた?」
大きく息を吐く僕に、七星が。
僕は七星を見上げて、緊張したって。
「お疲れ。ありがと」
「………こちらこそ、ありがと。呼んでくれて。来て良かった」
うちからここまで、そのまま帰ろうってことで僕は車、七星は原付で来ていた。
美浜公園の駐車場は夜の10時に閉鎖されるから、家の前に。路上駐車になるけど、この辺りの人の暗黙の了解でとめておいても大丈夫だからって。
七星は明日からまた仕事。
七星がうちに泊まるのはいつも土曜日だけ。
だけど。
今は10時半。
「………今日も、泊まって」
「真澄?」
「今日は、いいじゃん。今日ぐらいいいにしてよ。うちに来て泊まって、明日はうちから仕事に行って」
「どうした?」
「………一緒に居たい」
一緒に居たい。
居たかった。
許されずに終わった里見とのことが悲しくて。
許されてこれからも続く七星が愛しくて。
「じゃあ、真澄の家に帰ろ」
「いいの?」
「そんな顔して言われたら、断れないだろ」
七星が困ったように眉を下げて、大きな手で僕の頬に触れた。
情けない顔になっていると思う。自分でも。
「………どんな顔か分からない」
頬の手を握る。
七星の目から逃げるように俯いたけど、すぐに七星の手に上げられた。
目の前に、笑う七星。
七星は心の強い人。
でも、同時に人の、僕の心のわずかな動きにすぐ気づくぐらい七星は繊細な人。
そして、傷ついて、傷つけた過去にまだ怯えている人。
「俺が好きって顔」
そのまま七星が、そっとキスをしてくれた。
うん。
好きだよ。七星が好き。
いつか僕もできるだろうか。
七星のようにできるだろうか。なれるだろうか。
七星を連れて実家に行って、この人が僕のコイビトだと。とてもとても大切な人だと言うことが。
里見にはしてあげられなかったことが、七星には。七星になら。
小回りのきく原付の七星に家の鍵を渡して、走って行く七星の背中を見送った。
車に乗り込む寸前に見上げた空には、いくつもの星が瞬いていた。
先に家に着いていた七星が、玄関のところで待っていてくれた。
それから順番にお風呂に入って、少しだけお酒を飲んでベッドに入った。
布団の中で腕を絡めあっていた。
七星のぬくもりを感じていたかった。
「いつか………うちの親にも分かってもらえる日が来るのかな」
「分かってもらいたい?」
「………分かんない」
七星の家に行って、ごく普通に受け入れてもらって嬉しかった。
いいんだ。許されるんだ。この好きって気持ちは。七星を好きでいてもいいんだ。
そう思った。
ダメだと思っていた。許されないものだと。だって僕たちは男で。僕たちは。
悲鳴。
あの日の、里見とのキスを見られたあの日の悲鳴が聞こえる。
その後の言葉が刺さる。刺さっている。まだ。
ぎゅって、七星の腕に力が入った。
知らないうちに息を止めていた。全身が強張っていた。
髪を撫でる七星の大きな手。
僕は七星の首筋に顔を埋めた。
こわい。
七星の言う通り、最初からすんなり認められることはないだろう。びっくりするだろう。普通とは違うのだから。
あれは、あの日のあれは、そっちの方が普通の反応だったんだろう。
「無理しなくていい。真澄が分かってもらいたいって思ったら行こう。一緒に行こう。何回でも行こう」
「………うん。ありがとう」
「でも真澄」
「ん?」
「もし、何回行ってもダメで、否定や拒絶で、真澄を傷つけるような言葉しかくれなくて、真澄にとって負担にしかならないなら、その時は………」
「………その時は?」
「分かってもらうことを諦めよう。親だから、理解して欲しい。自分を生んでくれた人だから、受け入れて欲しい。親に拒否られたら、自分の存在ごと拒否られたみたいでツライ。けど、だからこそ、親だからこそ、だよ。自分を守る意味で、距離を取ってもいいって、俺は思う。親からの拒否は、想像以上に受けるダメージが大きい」
「………七星」
「真澄ができなくても、もし、拒否しかないなら、俺が無理矢理にでもそうする」
そう言った七星の声は静かで………深かった。
色んなものが混ざっているって。そう思った。
「………前のコイビトにも、そうしたかった?」
「………そうしていたらどうなっていただろうって、思うよ。ごめんって」
「………うん」
「アイツをそこまで追いつめたのは俺だ」
好きなのに。
好きなだけなのに。
許してもらえればそれは愛情でしかないのに、許してもらえなければ罪になる。
罪は心を蝕む。
「七星」
「………ん?」
呼んで。
キス、した。
好きだよって。
うんって七星は、頷いた。
そうだね。
時間は戻らない。もうどうにもならない。できない。
でも、もしもあの時。
もしそうしていたら。違う何かを選んでいたら。今頃は。
七星に絡めた腕に力を入れる。
七星の腕にも力が入る。
僕たちは、暗い部屋の中で、キスをした。
少し悲しい、キスだった。
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