第85話 はるかぜ


 春らしい陽気になってきた。

道を覆っていた雪が解け始め、細い小川が幾筋もできている。

このまま暖かくなってくれればいいけど、この世界にも三寒四温はあるようで、春先は温かくなったり寒くなったりを繰り返すそうだ。


「寒いままでいいわよ、ユウスケがくっついて寝てくれるから」


 はにかむミシェルが今朝もかわいい。

これで束縛が激しくなければ最高の彼女なんだけど、まあ気にしないでおこう。



 店を開けるとすぐにリガールがやってきた。

この半年ですっかりたくましくなって、今ではいっぱしの魔法使いである。

火炎魔法の遣い手としてそこそこ名前もしられてきているそうだ。


「ヤハギさん、どんぐりキャンディーをください」

「はいよ、なに味がいいかな?」

「コーラとグレープを二つずつ」


 どんぐりキャンディーは最近人気の商品だ。

その特性から特に魔法使いからの支持が熱い。


 商品名:どんぐりキャンディー

 説明 :魔力補充をしてくれるガムを、素早さが上昇するキャンディーで包みまし   

     た。当たりくじがついて、一粒で三つの楽しさ!

 値段 :一粒10リム


 このお菓子は素早さを活かして敵の攻撃を回避しつつ魔法攻撃をし、さらに魔力まで補ってくれるのだ。

魔法使いだけではなく、メルルのような身体強化魔法を得意とする戦士にも人気である。


「うむうむ、アイテムの補充かね! 張りっ切っているな、リガール君!」


 うるさい声が聞こえてきたと思ったら、ふんぞり返ったメルルだった。


「何を偉そうに」

「偉そうにじゃない、実際のところ偉いのだよ、ユウスケ君」

「あったかくなって脳みそが腐ったかね?」

「ちがーう! 私はチームリーダなの。チーム・ハルカゼのリーダー」

「はあ?」


 今一つ事態を飲み込めないでいたらリガールが説明してくれた。


「実はこのたび、ガルムさんのところからメルルさんのチームに引き抜かれたんです」


 ガルムのところは所帯が大きくなりすぎて収集がつかなくなっていたらしい。

狩りは安全だったが、一人一人に払われる給料も少なく、リガールは少し困っていたそうだ。

そんなときにメルルに声をかけられたという話だった。


「うちは少数精鋭チームだからね、無駄飯ぐらいの集団とは違うのだよ」


 メルルはミラとコンビを組んでいたのだが、より下の階層へ行くためにリガールをヘッドハンティングしたようだ。


「じゃあこれからは三人組になるんだな」


 そう訊くとメルルはチッチッチッと指を振った。


「もう一人強力な助っ人がいるのだよ、ユウスケ君」


 ちょっとイラっとするけど、まあいい。


「もう一人ってもしかして……」


 棚の後ろからひょこッと頭が飛び出した。


「そう、自分です」

「マルコ」


 今は平日昼間の朝である。

普段のマルコならお屋敷に勤めているはずだが。


「もしかして……」

「はい、お屋敷は辞めてきました」


 俺は小声になって質問する。


「奥様のことはどうするんだよ?」

「その奥様に勧められて、プロの冒険者になることにしたんです」


 マルコは狩りにもすっかり慣れて、いったんダンジョンに潜ればかなりの額を稼ぐようになっている。

屋敷で下働きをしているよりは金も貯まるだろう。


「でも奥様に会えなくなっちゃうんじゃないのか?」

「それは自分も心配していますが、一カ月もしたら奥様もお屋敷を脱出してくるそうです。そうしたら自分の下宿でど、ど、ど……」

「ど?」

「同棲をしようとおっしゃいまして……」


 マルコは真っ赤になりながらも嬉しそうだった。


「そっかあ、そんなところまで話が進んでいるんだな。でも大丈夫なのか、お屋敷を脱出するなんて?」

「自分がかくまいます。そして金が貯まったら国外へ逃亡する予定です」


 マルコは決然と言い放つ。

いつもはなよなよした感じのマルコだけど、今日は惚れた女のためなら何でもするといった気概があった。


「あの、そういうわけで組み立てグライダーを売ってもらえませんか?」


 マルコと奥様はグライダーでメッセージのやり取りをするそうだ。

奥様の分はすでに買ってあり、相当量を屋敷に置いてきたとのことだ。


「ところで、奥様の名前は何ていうんだい?」

「それは……セシリアです」


 ほーん、セシリアさんねえ……。


「いい名前だね」

「名前だけでなく、あの人は本当にステキな人なんです。優しくて可憐で美しくて……」


 めちゃくちゃのろけますな。


「それじゃあ、これからも頑張らないとな」

「はい。いつでもティ……セシリア様をお迎えできるようにしないといけません」


 張り切り過ぎて危ないことをしないか心配だけど、メルルとミラがついているのなら大丈夫だろう。


「そうだ、これは俺からの転職祝いだ」

「チョコどらじゃないですか! これ、奥様も美味しいって言っていました」

「そうかい? 二個は重すぎるけど、一個ならグライダーにつけても飛ばせるぜ。一つはマルコが食べて、もう一つをセシリアさんに送ればいいさ」


 グライダーの耐荷重についてはミシェルと実験済みである。

10リムガムをつけて飛ばしたことがあるのだ。


「ありがとうございます。さっそく今夜にも送ってみますよ」


 マルコが喜んでくれてよかった。

これで奥様との仲もさらに深まることだろう。


「よーし、チーム・ハルカゼ、出発するよー!」


 メルルが元気よくみんなを引っ張っていく。

春風か……。

のんびりとした名前だけど、あの四人組にはぴったりの気がした。


       ◆


 コツコツと窓を叩く音がして、ティッティーは顔を上げた。

きっとマルコからのメッセージが来たのだろう。

屋敷を辞めてからというもの、マルコは毎日グライダーを飛ばしてくる。

ティッティーの性格ならそれをわずらわしく思いそうなものだが、自分でも意外なほど、ティッティーはグライダーの到着を楽しみにしていた。


 マルコが書いてくるのはダンジョンでの出来事や、二人のために借りたアパート、日々の食事のことなどだ。

外からのメッセージは単調な幽閉生活にわずかながらも刺激を与えてくれるようだった。


「あら、これはなにかしら?」


 今日のグライダーには小さな包みがついていた。

開けてみると前に食べたことのある小さな駄菓子である。


「またこんな安っぽいお菓子を……」


 そう言いながらもティッティーはチョコどらを口に放り込んだ。

今の生活では甘いものは貴重である。

とても美味しかったと返信を書けば、マルコはきっとまたお菓子を送ってくれるだろう。

ティッティーはペンを出してグライダーの翼にメッセージを書きだした。


 文面を考えながら、ティッティーは無意識に指でくちびるに触れた。

そこで、ふとマルコのことを思い出す。

男の心をつないでおくために、マルコが塔を辞める前日に二人は初めてのキスをしている。

そのときの感触を思い出したのだ。


「なんなのよっ!」


 ティッティーは吐き出すようにつぶやいた。

自分がマルコを懐かしがっている? 

そんなことはあるはずがない。

私はあの男を利用するだけよ。


 少し落ち着くとティッティーは再びペンを執った。

お淑やかで優しく、それでいて情熱的な女を演じるのは楽しかった。

そんな女がいつかむごたらしく、犬のように懐いている男を捨てると思うと、嗜虐的な快感に心がふるえるようだ。


 でもどうしてだろう? 

今夜のティッティーは少しだけ悲しい気持ちにもなっていた。

それはもうほんの少しだけ、自分でも気づかないほど少しだけ……。

暖かい春風が傷だらけの心にしみるみたいに少しだけ。



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