第83話 黄色いお札
マルコたちが出かけてしまうと、店の中は静まり返った。
途端にミシェルがつっと身を寄せてくる。
なにごとかと顔を見ると、瞳を潤ませて俺を見つめてくるではないか。
そして細くしなやかな指先で俺の鎖骨をなぞる。
「やっと二人きりになれたね……」
どうやらイチャイチャしたいようだ。
俺だって気持ちは一緒だけど、ダンジョンの中では落ち着くこともできない。
「今夜はダメだよ。マルコたちがいつ帰ってくるかわからないだろう?」
「えー、今出かけたばっかりよ」
「それでもさ……」
強敵に遭って負傷し、すぐに引き返してくることもあるだろう。
ヘッドコロコロのシールのおかげでモンスターは入って来られないけど、入り口の扉はガラス張りなのだ。
イチャイチャしていたら外からすぐに見えてしまう。
「カーテンを引けばいいじゃない。それか奥へ行くとか」
「夢中になっていて、みんなが帰ってきたのに気がつかなかったらどうする?」
「私は見られたっていいもん」
「だーめ」
ミシェルは拗ねたように頬を膨らませた。
「キッチンでお湯を沸かしてくるよ。お茶をいれるから待っていて」
「もう……」
ミシェルの好きなお菓子でも開けてご機嫌を取るとしよう。
お湯を沸かして戻ってくると、ミシェルが店の商品を手に取っていた。
「なにか欲しいものでも見つかった?」
「ううん。そうじゃなくて、これは何に使う道具かなって」
ミシェルが手にしているのは黄色いお札だ。
商品名:キョンシーお札(シール)
説明 :目立つステッカー。いろいろ張って遊ぼう!
アンデッド系のモンスターにお札を投げると動きを封じることができる。
武器に張り付けると、一時的に対アンデッド系に特化した効力を得られ
る。
価格 :30リム
昔あったキョンシー映画で観たことがあるぞ。
黄色いお札には赤い文字で『勅令随身保命』の六文字が記されている。
漢字なんて読めるわけもないミシェルにキョンシーお札の説明をしてやった。
「ところで、このダンジョンにはアンデッド系のモンスターっているの?」
「いるわよ。地下三階の最北部がとくに有名ね」
「それって、まさかキョンシー?」
「キョンシーっていうモンスターは知らないわ。いるのは主にゾンビとスケルトンよ」
考えてみればゾンビとキョンシーの共通点は多いな。
どっちも死体だし、噛みつかれると化け物になってしまったりするんだ。
このお札はゾンビやスケルトンにも効果があるようだ。
「ゾンビの平均ドロップ金額は400リム弱よ。数が多いから体力のあるチームなら稼げると思うわ。でも行く人は少ないわね」
「どうして?」
「やたらと数が多くて手強いのよ。火炎魔法が有効だけど、すぐに魔力切れを起こしちゃうわ」
「これを持っていったらどうかな?」
ミシェルは首をかしげる。
「昼はいいかもしれないけど、夜はリスクが高すぎるわね。昼間は動きの鈍いゾンビも、日暮れとともに走りだすそうだから」
それも前世の映画で観たぞ。
走るゾンビは反則だよな。
「それにね、ゾンビはもともと人間だから、精神衛生的によろしくないのよ」
なるほど、それはよくわかる。
ゾンビに釘バット、あんなのは映画の中だけでじゅうぶんだ。
やっぱりお札はお守り代わりに持っておくのがいいのだろう。
◆
ティッティーはロウソクの灯る自室にいた。
マルコはダンジョンに出かけるそうで、今夜は帰って来ないらしい。
「はあ、せいせいするわ」
彼女は犬のように付きまとうマルコにうんざりしているのだ。
ため息をつきながら、ティッティーは手のひらの上に置かれた小さな金貨を見つめた。
「ようやく10万リム……」
もちろんこれはマルコが必死になって稼いできた金だ。
だが、かつてのティッティーにとってははした金以外のなにものでもない。
王妃だったころのティッティーにしてみれば10万リム金貨など10リム銅貨くらいの感覚であった。
国外逃亡を考えているティッティーとしては最低でも300万リムは欲しいところである。
外にさえ出れば金づるなど簡単に見つけられるだろうが、良さそうな男を見つける間も生活の水準は落としたくない。
また国外に出る前にやることもある。
できれば自分をこんな目に遭わせた現国王に
それが無理だったとしても、ミシェルと矢作への復讐だけは成し遂げたかった。
「もう少しマルコに発破をかけてみるか……」
何やら良い武器を手に入れたらしく、近頃マルコの稼ぎはよくなっている。
まったくの役立たずかもしれないと思っていたので嬉しい誤算だ。
これなら犯罪を強要することもないだろう。
「ふん、卑しい犬みたいに、期待に満ちた目で私を見て……」
これまでのティッティーは、金が貯まったらすぐにマルコを捨ててしまおうと考えていた。
だが役に立つなら連れて行こうかと考えを改めている。
「別に情が移ったわけじゃないけど、あれで可愛いところもあるからねえ……」
マルコはティッティーを女神のように崇め奉っているのだ。
「まあ、もう少し一緒にいてやってもいいさ」
まずはマルコに下男をやめさせて、冒険者として生きていくように勧めるつもりだ。
おそらく今のマルコならその方が稼げるだろう。
そして、みんながマルコのことを忘れた頃、自分もロンダス塔を脱出して、マルコの家へ転がり込むのがティッティーの計画だ。
脱出に必要な各種の道具は今のうちに用意させるとしよう。
すでに眠り香や毒薬の材料はそろってきている。
マルコが稼いで買ってきたものだ。
だが、各種の合いカギなどを作らせたり、巡回の見取り図を盗み出させたりとやることはまだ多い。
「変装用のかつらも必要ね。いっそミシェルみたいな地味な黒髪にしようかしら。目立たないようにね」
ティッティーは自分の思い付きが可笑しかったのか、薄暗い部屋の中で小さく笑った。
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