第9話 甘党の死神


 隣の部屋で死神が寝ている、そう思うとなかなか寝付けなかった。

いびきなんぞを掻いたら大鎌を持って俺を殺しに来るんじゃないのか? 

そんな妄想がむくむくと湧き上がり睡眠を邪魔するのだ。

でも、昼間の仕事で疲れていたのだろう。俺はいつの間にか眠りに落ちていた。


 次に起きたのは夜中だった。

時計なんて持っていないから何時かはわからない。

まだ真っ暗で周囲は静寂に包まれている。

聞こえるのは声なき膀胱ぼうこうの叫びだけ。

どうしようもない尿意が俺を襲っていた。


 このままでは部屋でオシッコを漏らしてしまいそうだ。

そんなことになればブラックリストに名を連ねてしまう。

女将さんはもう俺をボッタクーロに泊めてくれなくなるだろう。

それはまだ困る。

これだけ安い宿はそうそう見つからないのだから。

だが、トイレは中庭だ。

こんな夜中に物音を立てれば、死神を起こしてしまうリスクは大いにある。

死かオシッコか、それが問題だった。


 俺は意を決して立ち上がった。

座して恥辱ちじょくにまみれるよりも、尊厳ある死を選ぶことにしたのだ。

10秒という時間をかけてゆっくりと扉を開き、暗い廊下へと足を踏み出す。

と、なんと隣の部屋のドアが半開きになっていて中から明かりが漏れていた。

死神が起きているのか……。


 引き返したくなったが、開放を渇望かつぼうする膀胱が後戻りを許してくれない。

それなのに階段は死神の部屋の先にあるのだ。

行くしかない! 

転移してから初めてにして最大のピンチであった。


 好奇心は駄菓子屋を殺す。

理性ではわかっていても抑えきれないのが感情だ。

ほんの一瞬なら……。

ダメとわかっていても、俺はちらりと死神の部屋に視線を遣る。


 部屋のつくりは俺のところと同じで狭い。

室内は空っぽで死神は留守のようだ。

だけど、ベッドの上の遺物に俺の目は釘付けになってしまった。


「こんなものがなぜ……」


 そこにあったのは髑髏どくろや死神の大鎌ではない。

うすいピンク色をした女ものの下着である。

しかも上下セット。

素材はシルクだった。

遠目で見てもわかるくらいにカップは大きい。


 まさか、死神は下着泥棒なのか!? 

それとも趣味だろうか? 

趣味ならばいいと思う。

俺も前世では写真で男女を入れ替えるアプリを使って楽しんだものだ。

気持ちはわからなくもない。

盗んだものでない限り、個人の自由をとやかくいうのはナンセンスだ。

俺は何も見なかったことにしてトイレへと急いだ。


 すべてを出し切った俺は解放感に浸りながら中庭へと歩き出した。

身も心も軽いぜ……。

いい気分で見上げると東の空がうっすらと白んでいる。

夜明けはすぐそこだ。

今さら部屋に戻るのも怖い。

命をかけて二度寝をするくらいなら、このままチェックアウトしてしまおう。


 安心すると腹が減ってきたけど、こんな時間に空いている店はどこにもない。

仕方がないから店の商品でも食べようか。

『開店』と念じて俺は天秤屋台を呼び出した。


「あれ、なんかグレードアップしているぞ」


 薄明るくなってきた中庭に現れたのはちょっぴり豪華になった天秤屋台だ。

これまでは棒の両端に平たい大皿がついていたのだけど、それが小さな箪笥たんすになっている。

引き出しを階段状に出せば商品を綺麗にディスプレイできるようだ。


「お、新商品も増えているな」


 俺は小さな袋に入ったポテトチップスを手に取った。


 商品目:モンスターチップス

 説明 :うす塩味のポテトチップス モンスターのカードが入っており、召喚して3分だけ使役できる。1/3000の確率でSSSR エンシェントドラゴン ビスマルクが当たる!

値段:100リム


 これはまた冒険者たちに喜ばれそうなアイテムが増えたな。

どれ、一つ食べてみようか。

ポテトチップスを食べながらカードの入った袋を開けた。


 c(コモンカード)

 フライングスネーク:胴体に就いた翼で空中に躍り上がり、上部からの攻撃が得意 

 生息域:迷宮地下一階およびジャンバラ平原

 得意技:『巻きつき』『毒牙攻撃』


 カードを集めてデッキを作れば、俺でもダンジョンが攻略ができるかもしれない。

でも直接攻撃をくらったらひとたまりもないような気もするな。

危ない場所には近づかない方がいいだろう。

このカードはもしものときのためにとっておくことにした。


 ポテトチップスは美味しかったけど、量はちょっぴりだからまだお腹が空いている。

昨夜も食べたチョコどらを手に取って袋を開けた。

これはけっこう腹にたまる。


「おい、何を広げている」


 地獄の底から響くような暗いしゃがれ声に、思わず「ヒッ!」と声が漏れた。

振り返ると漆黒の衣をまとい、黒髪を伸ばした人が立っていた。

顔には銀の仮面を被っていて表情はわからない。

ただ、底光りがするような瞳が俺を捕えている。

こいつが死神か……?


「自分は露天商でして、これは商品の駄菓子です」


 ナンマンダブ、ナンマンダブ、どうか殺されませんように! 


「駄菓子……お菓子のことか?」

「そうです! おひとついかがですか?」


 殺されたくなくて、俺は手に持っていたチョコどらの半分を死神に勧めてしまった。


「……」


 少しだけためらったが、死神は受け取って仮面の隙間からチョコどらを口に入れる。

あ、死神とチョコどらをシェアしちゃった……。


「美味しい……」


 へっ? 

今の声は女の人。


「ゲフンゲフン! うまいな……」


 気のせいだったか。

聞こえてきたのは元のしゃがれ声だ。


「それは良かったです……」

「他には何がある……?」

「え、うちの商品ですか?」

「そうだ」


 商品の説明をしてやると、死神は片っ端から手に取り、合計1000リム以上の買い物をしてくれた。

チョコどら効果で仲良くなったから?


「甘いものが好きなんですか?」

「そ、そんなことはない」


 否定していたけど、購入したのは甘いものばかりでロケット弾やカレーせんべい、モンスターチップスには見向きもしていない。


「いつもこの宿にいるのか?」

「当面は……」

「そうか」


 一通りの買い物を済ますと、死神は静かに去っていった。

いつの間にか空が明るくなり、スズメがチュンチュンとうるさく鳴いている。

どうやら俺は生き延びたようだった。


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