今日は必ず晴れ
年中パッとしない天気の続くこの国ではあるが、さすがに本格的な夏が近づくにつれ、晴れ間が多くなってくる。薄着の人間たちも多く、ほぼオールシーズン気に入りの黒ずくめで通している俺を不思議そうに眺めるやつもいる。だが、今は俺の格好よりも、俺の隣でウキウキと歩く少女の方に、注目が集まっている気がする。
「お兄様! 今日は晴れてよかったわね!」
晴れ渡る空の色を封じ込めた瞳を輝かせて俺を見上げるダイアナは、ぴょんぴょんと飛び跳ねるように歩く。小さな体に可愛らしいブルーのワンピースがよく似合っているのに、飛び跳ねるたびに裾が乱れてしまって、年頃の少女としては非常によろしくない。
「ダイアナ。お前、良家のお嬢様だろ。もっと嗜みを身につけてだな……」
「あら、今はお兄様の使い魔よ!」
無邪気に笑い、金色に煌めくツインテールをなびかせながら、ダイアナは俺の前をどんどん歩いて行く。
「まったく。悪魔の集会にそんなにウキウキ赴くやつなんていないぞ」
「そうなの?」
「悪魔は基本的に個人主義だからな。余程のことがないと手を組んだりなんてしない。ご主人サマに上納する魂は独占したいんだ。だから集会なんて気乗りしないに決まってるのさ」
ダイアナは辛気臭い悪魔の話に興味がないらしい。俺の話を聞いているのかいないのか、花壇に植えられた花に興味津々の様子だ。俺がため息をついていると、後ろから明るい声が響いた。
「おやおや! そこにいるのは嬢ちゃんじゃないかい。相変わらず可愛らしいねえ」
姿を見ずともすぐにわかる。雷の悪魔だ。
振り向くと、黄色い麻のシャツに黄色いパンツ、黄色いサンダルといういでたちの、雷の悪魔が立っていた。腰までの黒髪が、風などなくても豊かに波打っている。俺と同じくらいの背丈、つまりは人間の女性ではほとんど見かけないくらいの高身長が、行き交う人々の注目を一身に浴びているのがわかる。
「よっ。集会に行くのかい」
雷の悪魔は右手を軽く上げ、軽い口調で言った。
「他に選択肢があるのか?」
「ははっ。ないねえ」
黒目の中にチカチカと瞬く稲妻が、青白く俺を、いやダイアナを映している。
「嬢ちゃん、こんな男の下にいたってつまらないだろう。あたしの使い魔になりなよ」
ダイアナは礼儀正しくお辞儀をして、首を振った。
「雷のお姉様のことはカッコよくて好きだけれど、私はお兄様の使い魔なの」
「かあーっ! つれないねえ」
大袈裟な身振りで落胆を表現した雷の悪魔は、俺の隣を歩き出した。
「なあ。嬢ちゃんはああ言うが、あんたは」
「却下だ」
「早すぎるだろ」
唇を尖らせ、雷の悪魔はぶうぶうと文句を垂れる。ひとしきりダイアナへの未練を述べ立てていたが、やがて話題は集会のことに移っていった。
「今日の仕切りはあの眼鏡だったっけ」
あの眼鏡……もとい眼鏡をかけた、いつも澄ました様子の悪魔……ダイアナに残酷な運命を負わせた元凶でもある……は、今回の悪魔集会の取りまとめ役だ。本当は、あの眼鏡の悪魔がいる集会になど、ダイアナを連れて行きたくはなかった。俺との厳重な契約によって、あいつがダイアナに危害を負わせることなどできないのは明々白々だが、それでも……目にしただけで、思い出しただけで疼く傷というものが、誰にでもあるものだ。
だが、集会の話をしたら、誰あろうダイアナ本人が「行きたい」と言ったのだった。
「逃げ続けていたら、きっと私はいつまでも、あの眼鏡の怖いお兄さんのことを怖がり続けてしまうと思うの」
そう、気丈なことを言っていたが……。
「あの眼鏡、あたしのターゲットだった人間を横取りしやがったんだよねえ。顔を見て殴りかからない自信がない」
「物騒だな」
雷の悪魔の方が、ダイアナよりもあいつのことを憎んでいそうな気配だ。
しかし、雷の悪魔は肩をすくめた。
「いや、あんたの方が物騒だろ。嬢ちゃんのために、あの眼鏡とやり合って勝ったって聞いてるぜ」
「ふん。別に、ダイアナのためじゃない」
雷の悪魔はやれやれと首を振り、そうして突然、立ち止まった。それこそ雷に打たれたかのように。
「……どうした?」
俺とダイアナ、それと通り過ぎる人間たちの視線を集めた雷の悪魔は、にいっと笑った。とてつもなく悪魔的で、いい笑顔だ。
「いいこと思いついちゃった」
「ご主人様。遅刻の連絡が90ありますが、まだ来ていないのは90名以上です」
人型の使い魔が、壇の下から申し訳なさそうに報告する。悪魔という連中は、揃いも揃ってこれだから困る。もうとっくに集合時刻を超えている。
人界と地獄のはざま、然るべき手順を踏まねば辿り着けない集会所で、私は集まったつまらないメンツを見やる。どいつもこいつも話し合いという生産的なことにはまるで興味がなさそうな顔をしている。まあ、なるべく魂を多く回収してご主人様に納めたい我らの性質上、仲間との協力なんてものに興味が持てないのは当たり前ではあるのだが。
「それにしたって、最低限の協調性くらい発揮して欲しいものです……」
深いため息をつき、遅刻者には構わず会を始めようと口を開いたときだった。
スマートフォンの着信音が鳴り響いた。
まったく、これから集会が始まろうと言うのに通信可能状態にしておくなんて、どこのどいつか。
と思って耳を澄ませたら、私のポケットから聞こえていた。慌てて取り出し、画面を確認する。
雷の悪魔からだ。
「遅刻の連絡か……? ん?」
文面は真っ白で、代わりに音声ファイルが添付されている。文字を打っている余裕がなかったのだろうか。不思議に思いながら開き、一瞬のちに、激しく後悔した。
スピーカーから流れ出した堂々たる歌の、その歌詞は、とんでもなく酷いものだった。が、問題はそこではない。
雷の悪魔は、歌によってその場の天候を支配する。
外とは繋がっていない筈の空間の天井に、みるみる黒い雲が湧き起こりつつあった。
俺と雷の悪魔は、肩を組んで大笑いした。どことも繋がっていない空間、悪魔たちが自力で空間を捻じ曲げて辿り着かねばならない閉ざされた集会所に、大雨を降らしたのだ。
「眼鏡のやつ、きっと今頃水の底で悔しがってるよ」
雷の悪魔は豪快に笑い、俺の背中を叩く。その目には涙さえ浮かんでいる。俺も一緒になって笑い、よろけそうになって壁に手をついた。
「ははっ! 愉快だな! これで俺もつまらん集会に出なくて済んだ」
眼鏡の悪魔が憎いわけではないが、大好きというわけでもない。何の意味も感じられない集会が消えるというのなら、それに越したことはない。
ダイアナは俺たちが馬鹿みたいに笑い続けるのでちょっと身を引いていたが、やがてポツリと呟いた。
「悪魔の集会、なくなっちゃったの?」
雷の悪魔は馬鹿笑いを引っ込め、代わりに微笑みを浮かべた。ダイアナの目線に膝を曲げ、頷く。
「そうさ。くだらない集会なんて、なくなっちまったよ」
「そう……」
ダイアナは、よかったとも何とも言わず、視線を落とした。
「嬢ちゃん。世の中には、二度と関わらなくていいやつだっているもんさ。あんなやつと会わなくたって、嬢ちゃんはもう、十分に強い」
雷の悪魔の言葉に、ダイアナは顔を上げた。
「そうかしら……私、強いのかしら」
「強いともさ」
雷の悪魔は笑顔で受け合う。ダイアナが、俺を見た。
「お前は強いぜ。あんな眼鏡よりもよっぽどな」
ダイアナの顔が、ようやく明るさを取り戻した。先ほどまでの、無理に装った明るさとは違う。ダイアナが本来持つ、ものごとのよい側面に目を向けられる人間特有の明るさだ。
「それに」と、雷の悪魔が重ねた。
「嬢ちゃんみたいに強くて可愛い子は、嫌な思いなんてしちゃだめなのさ」
「そうだな。少なくともお前は、これから百年ほどは、嫌な思いなんてせずに幸せに暮らすべきだと思うぜ」
一生を、あるべき姿を、幸せな暮らしを、元々の運命を、非情な力で歪められたのだから。それくらい、当然のことだろう。
ダイアナは俺と雷の悪魔を交互に見つめ、「ありがとう」と笑った。
「よし! そうとなれば、予定はガラッと変更だ! 嬢ちゃん、どこか行きたい所はないかい?」
雷の悪魔が心底嬉しそうにダイアナの手を取るので、一瞬そのまま誘拐でもする気かと思ったが、彼女はそのまま俺にも笑顔を向けた。
「嬢ちゃんと色々回ったら、飲みに行くよ!」
「はいはい」
世界のどこかで悔しげな悪魔が水底に沈んでいる頃、俺とダイアナと雷の悪魔は、晴れた空の下を歩き出した。今日はどこに行っても、必ず晴れだろう。
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