4 声
今日は川の近くで野営の予定だ。バルトルトが準備をしてくれている間、少し離れたところで恒例の弓特訓をしていた。
練習の甲斐あって、動かない的なら距離があってもほぼ確実に当てられるようになっていた。瑠果ちゃんの言っていた通りこの世界に来て私自身の基礎ステータスが全体的に上がっているような気がするので、これはそのせいもあると思う。神の加護というのは便利だな。……どちらの神かは知らないけれど。
ふいにどこかから音が聞こえた気がして、狙いが逸れる。放った矢は的にしていた木の後ろ──薮の方へ飛んでいってしまった。ああ、貴重な矢が!
「どうかしたか」
「ちょっと、なにか聞こえた気がして……」
そうテオドールに答えつつ、でも、今はなにも聞こえてこない。さっきのは空耳だったんだろうか……
ともかく、矢はもったいないので回収だ。飛んでいった薮のところをかき分けて進もうとして──
「おい、気を付けろ!」
「えっ」
踏み出した先に、あるはずの地面が無かった。勢い余ってそのまま体が前へ傾いていく。ぐいっと腕を引っ張られる感触がして、しかしそのままバシャンと音を立てて下に落ちてしまった。……冷たい。
閉じていた目を開けて周りを見回すと、どうやら川だ。川べりが小さな崖になっていて、そこから落ちてしまったらしい。藪に隠されていたせいで全然気がつかなかった。水の中で尻餅をつくような格好になっていて、冷たいのはそのせいだ。落ちたのが浅いところで本当に良かった。
状況確認を終えたところで、はたとどうして前から落ちなかったのかと疑問が浮かぶ。頭の後ろ、ごく近くから小さなため息が聞こえて、まさかとそろそろ振り返ると──榛色の瞳と目が合った。近い。思わず飛び退きつつ、いつぞやと同じく驚きの悲鳴は飲み込めた私えらい。
つまり、小さな崖を落ちるときテオドールが咄嗟に腕を引いて位置を入れ換え、顔から落ちないように受け止めてくれたのだ。
「て、テオドール、ごめん!!」
「……いい。もっと良く周りを見るようにしろ」
呆れたような顔をしながらも、立ち上がったテオドールはこちらに手を差し出してくれる。助け起こしてくれるつもり、だよね。
他意はない、他意はないぞ。意識しているのは自分だけだ。いやこんなことで動揺していてどうする、覚えていないとはいえ既に抱き上げて運んでもらったりもしているし、せっかくなんだから手を握っておけばいいじゃないか!!
「ありがとう……」
自分の意思でテオドールに触れるのだという事実にコンマ何秒かの脳内会議を終え、不自然にならないよう、なんとか出された手を取った。ぐっと力強く引っ張る手は大きくごつごつしている。当たり前だけど、自分とは全然違う、鍛えられた手だ。
私も結構濡れていたけれど、テオドールは背中側から川に落ちたので髪までびしょ濡れになってしまっている。申し訳ない気持ちになりつつ、水も滴るなんとやらでどぎまぎしてしまった。濡れて体に張り付いている服をなるべくじっと見ないようにと思うけれど、挙動不審になっていないだろうか。
「早く戻るぞ」
「うん」
頷き、野営予定地に戻ろうとした、その時。
どこからか音が──助けを求めるような声が聞こえた。今度は確かに、耳に届いた。
「おい、何処に行くんだ!」
突然駆け出した私にテオドールはすぐ追い付いた。あの森の方に、穢れの気配がする。
「こっちから声が、聞こえた!」
「わかったから、一人で動こうとするな」
この先で誰かが助けを求めているのかもしれない。モヤモヤとした嫌な気配にどうしても胸が逸った。立ち並ぶ木を避け進んでいくと、焼け焦げている木を見つけた。火はついてないけれど、少し燻ぶってついさっき燃えたばかりのような跡だ。やっぱり、何かこの辺りで起きている。同じように焼け焦げた草や地面の跡を辿っていった。
何かの雄叫び。その方向へ急ぐと、大きな動物に誰かが襲われているのが見えた。小さな女の子だ。穢れにあてられて凶暴化したその動物──大きな角が鹿のように見えるそれは、女の子に向かって突進していく。あれじゃ踏み潰されちゃう!
「──っ!」
「危ない!!」
思わず叫ぶと、女の子の回りに光の壁ができる。それと同時にテオドールが投げたナイフが鹿に刺さり、そして炎の塊が襲う。倒れた鹿は悲鳴をあげるように暴れている。
鹿と女の子の距離が離れたので急いで駆け寄った。……意識を失ってはいるが、大きな怪我はないようだ。
「浄化できるか」
「やってみる!」
大きな鹿は炎に包まれ苦しそうにもがいている。……肉の焦げていく臭いだ。せめて穢れを祓って楽になって欲しい。もがく体が光に包まれ、穢れがネックレスに吸い込まれていくと、やがて鹿も動きを止めた。
汚れて穴は開いていたりするが、女の子は旅装をしているようだ。その細い腕にはやけにサイズの大きいバングルをしている。顔も幼く、一人で旅をしている年齢にはとても思えなかった。もしかしたら他にも誰かいるかと周辺を探してみると、近くにキャンプの跡と──白骨化の進んだ遺体があった。
「……あまり見ない方がいい」
すっとテオドールが前に立ち視界を遮ってくれる。私は、自分が小さく震えていることに気がついた。本物の人骨……お葬式で火葬をしたとき見たことがある。でもそれとは全く違うものだ。白骨化が進んでいたお陰で、あまり臭いを感じなかったのは良かったかもしれない。
「あの子供と似たような腕輪をつけているみたいだが……
……とりあえず、バルトのところまで戻るぞ。いけるか?」
「大丈夫、歩ける」
テオドールは頷いて、女の子を抱えて歩き出す。浄化後の疲労と、遺体を見たショックもあって体は重い。濡れたまま動いていたのもあるな。それでもなんとか倒れずに、バルトルトのところまで戻って来ることができた。
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