九之十八

 三日目の、早暁。

 三原というな田畑の広がるのどかな平野を縦断した真聖神惶教しんせいしんこうきょう信者の行列は、深緑な山地へと脚を踏み入れた。

 小高い山々が重畳と脈をなして、ながめるだに深淵な樹海が広がるそこは、諭鶴羽ゆづるは山地である。

 淡路島最高峰の諭鶴羽山を擁する広大な山林地帯であった。

 行列は朝にその北麓へ分け入って、山道を登りくだりしながら、夕刻、諭鶴羽山の山頂へと到達した。

 そこにはすでに十間四方で高さ一間ほどの舞台のような櫓が組んであった。舞台は東を背にするように組まれていて、それを半円形に信者たちが取り囲み、マホシヒコたち幹部連が台上にあがった。

 諭鶴羽山は標高約六百メートルほどで、さほど高くはないのだが、東西には山々が織りなして、南には滄溟とした紀伊水道が広がっている。

「目覚めよ、皆の衆」

 マホシヒコが呼びかけ、どんと槍の石突きを台の床に打ちつけた。

 二千人に近い信者たちはいっせいに眼をさましたようすだ。周囲をみまわしたり、隣にいるものどうし顔を見合わせたりしている。皆が皆、自分の置かれた状況を把握しようと懸命で、碧の隣にいるお七は、驚愕のあまり声も出せず、ぎゅっと碧の着物の裾を力いっぱいにぎりしめて、りきみすぎるせいでその手は小きざみにふるえていた。

「我が導いた。皆を、桃源なる大地へと続くこの山頂へ、我が導いた。驚くなかれ」

 彼に心酔しきっている信者たちは、それで納得でもしたのか、マホシヒコ様、マホシヒコ様と、拝んだ手のひらをこすりあわせ、彼の名を呪文のように唱える者すらあった。

「そして見よ。東の空を」

 いっせいに皆が首をまわした。

 舞台の向こう、もはや陽の光のとどかぬ昏い東に、つらなる山々のが朦朧とした赤い霊光を発しているようにみえた。それはまるで墨汁を塗り込めた絵絹に血がにじんでいるようで、ある種の不気味さと畏怖の感情をゆすぶりおこされるようであった。

 ――夢でも幻でも、マホシヒコの呪術でもない。

 碧はそう直感し、信者たちと同じように瞠目していた。

 この数日前より、大坂夏の陣の緒戦がくりひろげられていた。大和の郡山での戦いを皮切りにして、そしてこの日にはあの堺の町が大坂方によって焼き討ちされている。

 この異様にぼんやりと輝く空は、いくさという理不尽な暴風に巻き込まれた庶民たちの嗟嘆や、兵たちの阿鼻叫喚や、幾多の人々の憎しみや悲しみといった強烈な心情が、エネルギーとなって地磁気に影響をあたえ光を屈折させているのだろう。

 おお、とあちこちで感嘆の声がわいた。

「あれこそ神の降臨なさる瑞兆である」

 信者たちは色めき立った。信者たちは感動し、よりいっそうマホシヒコへの尊崇を高めたようだ。

「そして見よ。南の海を」

 人々の瞰下かんかする海のなかには墨色の波に洗われるようにこんもりとした山のような小島が浮いていた。勾玉のような形状をしたその島の、西側の山腹だけが夕日で赤く染まって。

「あれこそ我らが神、オノゴロ様のお眠りなさる沼島ぬしまである」

 いっせいに信者たちは跪拝した。

「オノゴロォ、オーノーゴーロォー」

 そして口々に、あの呪文を――彼らの崇拝する神の名を唱えはじめた。

「さあ」

 マホシヒコが槍の石突きを打ちならし、高らかにその音が山頂にこだまする。

「皆の者、汝らの魂を神にささげよ。神の復活を深く念じ魂をささげよ」

「オノゴロォ、オーノーゴーロォー」

 槍の物打ちに埋まっている青色の魂魄石から、輝々たる濃紺の光彩が放たれ、信者たちを照らした。

 光に照らされた人々が、ひざまずきマホシヒコを拝しつつ、そのままの姿勢で動きをとめていった。魂魄石の霊光によって、人々は霊魂を抜きとられている。死んでしまっているのか、気を失っているだけなのかすら判別できぬ。

 舞台の近くから、周囲へと、その脱魂の波紋は広がっていく。

 ――まずい、飲み込まれる。

 周りの信者にあわせてひざまずきながら、碧は焦燥にかられた。

 このまま持していれば、信者たちの中ほどにいる吉造もお妙もお七も、やがて魂を吸われてしまうだろう。

 ――こんな無道があってよいものか。

 マホシヒコは自分を崇敬する人々の魂を、なんのためらいもなく奪い去っている。こんな非情な行為があってよいはずがない。こんな非情な行為をゆるしてよいはずがない。

 碧は立ち上がった。

「マホシヒコ!」

 碧は叫んだ。

 心の底から湧きあがる怒りをそのまま口から噴火させるように叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る