九之九
ただ、竪穴式住居に住んで、なにかことがあるたびに、
――神様がみておいでです。
――人々のそばにはいつも神様がおわします。
――われわれの生活は神にささげるためにあるのです。
などと云いだすのをのぞいては、ありふれた家族なのであった。
碧がこの家族と暮らすことになったのは、この里のそういうしきたりなのらしい。新しい入信希望者は、旧来の信者家族といっしょに暮らして、教団のルールや通念を身につけるのだという。
「マホシヒコ様はほんの十年あまりで、よくここまで大きな教団をいちから作りあげられましたね」
碧がそうなにげなく口にすると、
「いいえ、違いますよ」
お妙が米をいれた土器を火にかけながら答えた。碧は石で囲った囲炉裏のまわりに棒にさした鮎をたてならべながら話を聞いていた。
「教え自体は昔からこの辺りで普及していたんです。それが、マホシヒコ様があらわれなさってから、ここまで急激に発展したんですよ」
どうやら、昔からあった土着信仰をマホシヒコが利用しているようであるが、
「マホシヒコ様のおかげで、私たちの暮らしはずいぶん豊かになりました。昔は年貢のとりたてに追われて、寝る間もないほどいっしょうけんめいに働いて、侍たちを肥えさせるためにただ犬か馬みたように生きているだけの生活でした。けれども今は」
そう云って、お妙はにっこりと笑った。心のそこからの思いがあふれでたような、彼女のその笑顔は、もう三十を過ぎているとは思えないほどの、まるで生娘のような純朴な笑顔であった。
「なるほど、思いきってこの里に来てよかったです」
心にもない文句を並べた碧であったが、お妙は、
「ええ、そうですとも。いにしえの暮らしというのは、けっして楽なものばかりではありませんけど、今の時代の人々が忘れた、美しい安らぎに満ちた生き方ができるのです」
盲目的に教義を信仰する彼女にはぞっとしないものがあるが、ここまで人間を無垢にしてしまう宗教というものははたしてなんなのだろうという探求心もわいてくるのであった。
そこへ、お七が家のなかに飛び込むように帰ってきて、
「おなかすいた。ごはんまだあ?」
碧の背に抱きつくようにして座って云うのだった。
「なんですか、お行儀の悪い。神様は見ていらっしゃいますよ。天罰があたりますよ」
お妙がたしなめると、
「てんばちゅ、いや」
お七は顔をしかめるのだった。そうして、碧に今日はともだちのなんとかちゃんと山のなかまで行ってきただの、おおきな狸に出会っただの、木の枝から蜘蛛が落ちてきてびっくりした、というようなことを、とりとめもなく話してきかせるのだった。どうも、突然できたおねえちゃんに、憧憬のようなものをいだいているらしい。碧のほうでも、お七の、歳のわりにはおさなすぎる舌たらずなものいいに、なんだか心が癒されるようでもあった。
そうこうしているうちに土器職人の吉造が帰ってきた。お妙よりもちょっと背が低く、無口な中年男であった。四六時ちゅうむっつりと黙り込んでいるような口数の少ない男だが、眼ににじむ光は温和でやわらかく、優しい笑みをよく浮かべている。
したくがととのうと四人で夕食を食べて、
夜半をすぎたころ、碧は隣で腕をつかんで寝息をたてているお七の、その小さなもみじのような手をそっとはなした。そうして起き上がって、まったく音をたてずに外へ出た。
神殿に忍び入って、なにかしらの手がかりを得ようと考えていた。この辺りの住人から得られる情報にはもう限りがあるように感じていた。盲目的に信仰に没頭している彼、彼女らからではどうしても偏った情報しか出てこない。
あわよくばマホシヒコという男の意図がなへんにあるか探りだしたい。または、あぐり姫の居所だけでもつかんでおいて、救出する算段を練っておきたい。そう思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます