八之十一

 鶫は、右手に短刀を持ち、その柄頭つかがしらから伸ばしだした鋼糸はがねいとにつけられたおもりを、左手でくるくると回転させながら、闇のなかから姿をあらわし、碧と三間ほどの距離をへだてて脚をとめた。

 その後ろの、ずっと向こうに、闇夜にぼうっと不気味に浮かぶ赤い傘をさした者がひとり、――中背の、おそらく男であろう――寂然とたたずんでこちらをみているが、それが何者であるか、碧には判別できなかった。

「鶫、無事だったのね」碧が安堵したように云うのへ、

「無事だったのね、とは、いいぐさね」鶫が冷淡に云い返す。

 上目づかいに鶫をにらみ、碧は下唇をかんだ。

「前々から云おうと思ってたけど、碧、その眼つきやめなさいよ。人相わるいわよ」

「無事なら無事で、なぜ連絡をよこさないの。人がどれほど心配したと思っているの。それを、これは何の冗談なの」

「よくもまあ、私を見捨てておいて、平然と友達面できたものね。冗談と云って、これほどおかしな冗談もないわ」

「あの時は、どうしようもなく」

「どうしようもなかったのに、嵐は助けたの?私を助ける努力はしたの?しなかったでしょう、恭之介様に恐れをなして、必死に逃げ出したのでしょう?」

「…………」

「連絡をなぜしなかったとあなたは云うけれど、あなただって、こちらに連絡もしてこなかったし、救い出す手立てもこうじなかった。それが仲間と云えるかしら、友達と云えるかしら」

「…………」

「あなたに見捨てられた私を、恭之介様は優しく迎え入れてくれた。行く当てのない私に、居場所を与えてくれた。だから私は、恭之介様のために働くと決めたの」

「本気で云ってるの?」

「本気よ、心の底から本気よ」

 碧はもう愕然となっていた。目の前の現実が現実として認識できず、これが夢ならばはやくさめてほしいと祈るばかりであった。

「だから、死んで。私の忠誠をしめすためにあなたの命をちょうだい」

 無機質にいいざま、鶫の左手で回していた錘が、刺すようなするどい音を発して飛んだ。

 碧は錘をはじいた。

 はじかれた錘は鶫のもとに戻ると思いきや、空中でくるりと反転して、ふたたび碧を襲う。

 ふたたび碧はそれを短刀はじいた。はじかれてもすぐに軌道を変えて、錘は攻撃してくる。

 なんど弾いても、旋律せんりつ律動りつどうであやつられる錘はあきることなく向かってくる。

 その速度もじょじょに増してき、鶫のあやつる錘は幾条もの筋となり、碧の振るう短刀は残像を暗夜に描く。はじき、はじかれる鉄の音がキツツキが樹幹を叩くような速さで音律を奏でる。

 碧はだんだん押されて後退している。いま来た道を押し戻されている。

「淡路の策略にまんまと乗せられて根来寺に押し入るなんて、まったくお笑い草だわ」

 云って鶫は舌打ちした。

「つい口がすべったわ。聞いたからには、死になさい、碧!」

 鶫のはるか後方までふり下げられた錘が、勢いをつけ、強大な霊力をまとわせ、うなりをあげ、凄まじい迫力で碧にむけて投げられた。

 碧は、短刀で受けず、後ろに大きく宙返りをうってかわした。躱した地面に、錘が激突し、轟音とともに砕けて粉塵をまきちらし、一間はあろうかというほどのクレーターがうがたれた。

 錘がひゅっと鶫のもとに戻され、また強力な一撃を放とうとした、瞬間……。

「何者か!?」

「そこでなにをしておる!?」

「曲者だ、であえ!」

 決闘の騒音を聞きつけたものであろう、いくつもの跫音と激声とともに、大門のほうから幾人もの僧兵が飛ぶように走り出てきた。

 ちっと鶫は舌打ちして、

「勝負はおあずけのようね。その命、次に会うときまで大切にしなさい」

 ぬかるんだ地面を蹴り、鶫が後ろに跳んで、闇と雨粒のなかに消えていった。赤い傘の人物も、いつか姿を消している。

 すぐさま碧も走り出した。

 後ろでいくつかの悲鳴があがったのは、先ほどの穴に僧兵が何人か落ちたものと思われる。

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