第七章 戦塵血河

七之一

 蒼い天空の彼方から、鉄砲の甲高い射撃音がパラパラと聞こえ、それがやむとしばらく静寂が続く。そしてまた鉄砲の乾いた音が流れてくる。時折聞こえるその音に、あおいはいまではすっかり慣れてしまい、どこか異空間から響いてくるような気さえした。ただ、夜中に何回か聞こえてくる鉄砲の音だけは、夜のしじまを貫いて渡ってくるし、眠りもさまたげられるので気が滅入る。

 お茶を持って縁側を歩く碧は、銃声がまた聞こえるとちょっと耳をそばだてたが、脚をとめるでもなく、しずしずとお梅の部屋まで来ると障子を開けた。

「あらごくろうさまです。今日はあまり鉄砲の音が聞こえませんわね」

お梅は微笑みながら、碧に声をかけてきた。

「はい、なんだか音そのものが小さくなってきたような気がいたします」

「そうですね、戦場が遠のいたわけでもないでしょうに不思議ですね」

「風向きの加減もあるのかもしれません」

「このままいくさ自体が、終わってくれればいいのですけれど」

 真田という家の家風は奇妙なもので、本来敵であるはずの碧にまったく警戒心を持たないし、監視を付けるとか、座敷牢に閉じ込めるということもしない。

 そんなふうだから碧のほうでもかえって居づらくなってきて、体調がもどりきらない状態では大坂城から脱出することも困難ということもあり、だからといってじっとしてもいられず、無理を云って女中のような仕事をさせてもらっていたのだった。

 骨にひびの入った右腕は、動かすとまだ痛みがあったが、腫れもひいていたし、無理をしなければ問題なく日常生活を送ることができた。

 碧が目覚めて七日が経った。

 開戦当初の緊迫感も薄らいでいて、屋敷の中はどこか気の抜けたような雰囲気がただよっていた。お浜というお梅付きの侍女以外は、碧が徳川方のしのびだなどとは知らないので、行き倒れがそのまま居ついた、くらいにしか思われていない。なので、皆と気軽に会話もしたし、ときに冗談も飛びかうし、笑い声も湧きあがるしまつだった。

 碧は今が戦時であることも、敵方の屋敷にいるということも、つい忘れてしまうほどであった。

 ちなみに、その間、大野治長おおの はるながは淀の方には内密に織田有楽おだ うらくを通して講和を進めていたが、やはり大御所徳川家康は応じていない。戦況は、豊臣有利であった時期はとうに過ぎ、兵力で勝る徳川勢がじわりじわりと城を圧迫しつつあった。

「ところで碧さん」

「はい」

「つい云いそびれていましたが、戦が落ち着くまでは、どうかこの屋敷にとどまっていてください」

 念を押すようなお梅の言葉に、碧は頭を軽くさげて答えた。

「姫様のご厚意に甘え、ずいぶん長居させていただいており、感謝の念に堪えません。しかし、本来私は敵方の人間です。ほんとうでしたら体調が戻りしだい、いえ、戻らなくとも、おいとましなくてはならない立場なのです」

「あなたがお家に帰るだけなら、私は心配などいたしません。ただ、そのお身体で、どうか無茶なことだけはしないでいただきたい、と思っているのです」

 碧は言葉が出なかった。

 お梅の言葉には、碧の身を案ずる優しさが滲んでいた。大野治長の屋敷にいるという仇敵花神恭之介かしん きょうのすけへ、無茶な討ち入りなどするなと云っているのである。

 無茶などいたしません――、とは、しかしどうしても云えない。できることなら、今すぐにでもあの男のもとへ乗り込んでいきたいくらいの心境なのである。

 碧はただ、深く頭をさげただけであった。


 その夜のことであった。

 なにかが部屋の隅で動いた。油虫が床を這うほどの微細な動きである。

 そのわずかな気配で、碧は眼を覚ました。

 真っ暗闇であったが、枕元に、たしかに誰かいる。

 腰を落として、こちらを凝視しているような雰囲気であった。

 ――猿飛か。

 と思った。ついに、本気になって碧の命を奪いにきたのだろうか。考えてみれば今まで無事でいられたことのほうが不自然なのだ。

 碧の思考が目まぐるしく回転した。

 彼の攻撃からどう逃げるか。どう反撃するか。寝たふりをよそおって、いつでも動けるように心の準備を整える。

 ――いや、ひょっとすると……。

 と別の理由も脳裏をよぎった。

 ひょっとすると、夜這いに来たのかもしれない。

 それならそれで、さて、どう対処しようか――。

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