挿話之四(挿話完)

 大坂城の最外郭をなす惣掘そうぼりの南東、平野口に建設中の真田丸は、突貫工事とはいえ、入念な設計によって強力な砲火に耐えうる強靭な建築がなされており、東西七十九間、南北百二十三間の、強大な出丸が完成しつつあった。

 各部署の差配役にことこまかに指図していた真田幸村は佐助に捕まえられて、工事現場の片隅でその報告を聞いた。

 佐助は、昨日の一件の顛末をひととおり語って聞かせるのだった。

 幸村は普請場の隅に無造作に積まれている丸太に腰かけて、佐助の話に耳を傾ける。

日下蠡毅くさか れいき?大野修理のところの、確か客将であったな」

 と幸村は、考え深そうな顔をした。

「九度山においてきた、うちのやんちゃ娘をいじめてくれたのはゆるせぬが……、はてさて」

 以前佐助からの報告にあった花神恭之介という伊賀の抜け忍と日下蠡毅が同一人物だという。幸村自身も、二、三度、修理に従って登城してきた、異様に顔の整ったその男を眼にしたことがあった。一見しただけでは年相応の、二十代なかばの美青年にしか見えないのだが、よくよく観察してみれば、三十代の志望と四十代の分別と五十代の落ち着きを持った、どういう人間だとはひとことでは語れない、つかみどころのない人物だという印象であった。

「くさか、という姓が、花という漢字を崩した、草化、から変じさせたものだとして、蠡毅とは奇妙な号よのう」

 その文字から連想するに、古代中国の武将、范蠡はんれい楽毅がくきの名を借用したようである。ふたりとも、心服する主のために敵国を滅亡においやったり、それに近い状態まで追い込んだ名宰相や名将であった。

 そんな古の偉人に己をなぞらえて、その男は何を企むのか。

 まさか、修理のため、ひいては豊臣秀頼のために、徳川をうち滅ぼそうとでもいうつもりなのだろうか。その男が宣言したという人の革新という理想論とは合致しないようであるが。

 しかも、もう二年も修理のそばにいるという。

 佐助がくノ一たちから聞いた、花神が伊賀忍を抜けたタイミングとまったく異なっていた。

 その辺りにも、なにか花神という男の、計り知れない深淵の一端が見え隠れしているように思われた。

 幸村はひとつ、膝を叩いて立ち上がった。

 ちょうど登城の刻限であった。


 あまり益のない軍議が終わって、下城するために御殿の長大な廊下を歩いていると、ちょうど控えの間で修理の帰りを待っている日下蠡毅こと花神恭之介を見つけることができた。

 幸村は、気安げに部屋に入って行って、端然と座る異様なまでに美しい――造作が整いすぎて気味が悪いほどの顔貌をした男の前に座った。

 驚いた様子もなく、頭をさげる男に、

「花神恭之介」

 いきなり幸村は本名で呼びかけた。

 花神はそれでも驚いたそぶりを見せず、黙って幸村の眼を見つめかえしてくる。ここまでくると冷静な態度も鼻につく。

「九度山で娘が世話になったそうだな」

「…………」

「うちの家宝も、勝手に持ち出してくれたそうだな」

「お貸し願いたいと申し出ましたら、お貸しくださいましたでしょうか」

「ありえんな」

「ですので、勝手に拝借したまででして」花神は悪びれる様子もなく、「もちろん、用が済みましたら、お返しする所存でございます」

 平然とした面持ちでそんなことを云うのだった。

「いらん」

「…………」

「あんな気味の悪い宝玉など、お前にくれてやる。かわりに」と幸村はひとつ息をすって、「豊臣のために働くと誓え」

「それは、無論のこと」

いつわりなかろうな」

「佐和山の生まれでござりますれば」

 佐和山はかつて石田三成の領国だった土地である。だからと云って、徳川を恨みに思っているとはかぎらないのではあるが。

「ふむ、よかろう」

 それだけで、幸村はたちあがった。

 胡散臭うさんくさい男ではある。半信半疑どころか八割がた信用できない男である。が、今は味方だ。今後利用する局面も生じるかもしれない。

 ――しばらく、様子を見るしかなさそうだな。

 幸村は、深々と辞儀をする花神を一瞥することもなく、急ぎ足に玄関へと向かっていった。


 時あたかも慶長十九年十一月。

 京の二条城を発した大御所徳川家康率いる精鋭軍がついに大坂の南、住吉の地に到達していた。

 両軍あわせて三十万とも四十万とも云われる古今未曾有の一大決戦が、今まさに始まらんとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る