第137話【テンクウの露天風呂】

「ねえ、ナオキ。

 ナナリーが言ってた事って本当なのかな?」


 ナナリーが帰った後でリリスが僕にそう問いかける。


「もともとアーリーさんからの言伝ことづてなんだし、彼女は斡旋ギルドのギルマスなんだからそのくらいの情報は知っていても全く不思議じゃないけど……」


 僕達はナナリーが話してくれたこの宿特有の情報に興味を引かれ、話の内容を思い出していた。


「――実はこの温泉宿テンクウは最上階にある露天風呂の貸し切りサービスがあるんですよ。

 でも、このサービスは貴族様でなければ予約も出来ない特別なメニューなんでもちろん私なんて見ることも出来ない空間なんですけど一度で良いから入ってみたいですね。

 あ、誰と入りたいかは言いませんけどね……」


(確かそんな内容だった筈だが、露天風呂か……確かに興味のある話だな)


「もし、本当にそんなお風呂があるならナナリーさんじゃないけど一度見てみたい気もするわね。

 何かの話のネタになりそうだし……」


 リリスはそう言いながら僕の顔を見て頬を赤らめた。


「そういえば私達って結婚してからも一緒に温泉とかって入った事は無いわよね。

 まあ、普通に男女別のお風呂ばかりだったから当然なんだけど……」


 リリスは少し恥ずかしそうに次の言葉を言おうかどうか迷っている様子だったのでその気持ちを汲み取った僕から声をかけた。


「せっかくだからふたりきりで入ってみるかい?

 もちろんナナリーの言葉が本当でこの宿にそんなサービスがあるならば……だけどね」


 僕の言葉に赤らめた顔をさらに赤くしながら頷くリリスがとても愛おしく思えた。


   *   *   *


「――はい、ございますよ」


 宿の受付に問い合わせたところあっさりと内容を聞くことが出来た。


「ただ、このサービスは貴族の当主およびそのご家族のみしかご利用出来ないプランですがどちらかがそれに該当されるのでしょうか?」


 僕は受付の者にそっと貴族の証である短剣を見せると「これは失礼致しました。本来ならば前日までの予約が必要なのですがお待ち頂けるのであれば今から準備をさせて頂きますがいかがいたしましょうか?」と僕に判断を委ねた。


「いきなりですまないが出来ればお願いしたい。

 もっと早くに知っていれば良かったのだがその事を知ったのがつい先程だったのでこのようになったのだ」


 僕はそう言うと軽く頭を下げる。


「いいえ、とんでもございません。あなたのような方に喜んで頂く事が私どもの喜びでございます。

 準備が出来次第お知らせ致しますのでお部屋にてお待ちくださいませ」


 受付の者はそう言うと深々と頭を下げてから露天風呂の準備を係りの者へ伝えに向った。


「あー、あまり使いたくなかった貴族の威光を早くも使う事になってしまったな。

 でも、そのかいがあって予約もとれたしテンクウ温泉露天風呂とか凄く楽しみだよね」


「ごめんね。私が入ってみたいとか思ったからナオキに気を使わせる事になってしまったわね」


 リリスの表情が少しだけ曇るのを見て僕は「僕が入りたかったんだからリリスが気にする事はないよ」とフォローをした。


 1時間ほど経った頃、案内人の女性が部屋に準備が出来た事を知らせに来てくれた。


「思ったよりも早く準備をしてくれたみたいだね。

 それじゃあ早速入ってみようか」


 僕はそう言うと椅子から立ち上がりリリスの手を握ると案内の女性について部屋を出た。


 温泉の脱衣場に着くと案内の女性は「では、ごゆっくりどうぞ。入浴中は内鍵を掛けても大丈夫ですがのぼせにはお気をつけください」と頭を下げてから脱衣場を出て行った。


「貴族専用サイズならばおそらく10人くらいは入ることの出来る施設なんだろう。

 ふたりで入るには広すぎるかもしれないけどゆっくりするには良いかもしれないな」


 僕はそう呟くと脱衣場の内鍵を掛けてから服を脱ぎ始めた。


「……っ」


 僕が次々と服を脱いでいくのを見て顔を赤くしながらリリスは自らの服に手をかける。


「やっぱり面と向かって服を脱ぐのは恥ずかしいわね」


 僕もジッと見つめている訳ではなかったが無意識に視界に入るリリスの肌に緊張してきて思わず「先に入ってるよ」と背をむけて温泉に向った。


 ――カラカラカラ。


 こちらの世界では珍しい引き戸を開けると見事な作りの温泉が目に飛び込んできた。


「おおっ!? これは凄い光景だな。これを設計した職人は絶対に転生者でしかも日本人だろうな」


 あちらこちらに日本を思わせる風流な仕掛けが施してあり、ここが異世界である事を忘れさせてくれる空間だった。


 僕は温泉を桶ですくい身体に掛けてから中に足をつけてみる。


「おおっ! 丁度いい湯加減だ。

 急にお願いしたのにこれだけのものを準備してくれるなんて後でよくお礼を言わないといけないな」


 僕はそんな事を呟きながらこちらの世界に来てからこれまでやってきた事を思い出していた。


(まあ、やれるだけの事はやってきたかな……。

 今回の事ではっきりした事は女神様の祝福も万能ではないということ。

 確かに僕の治癒魔法は女性限定とはいえ、どんな理不尽でも解決できるチート能力だったけど、無理をすれば僕自身が死んでしまうリスクがあった。

 僕がひとりならば誰かの為にと命をかける事があるかもしれないが、今はリリスが居るから彼女を悲しませる選択は選んではいけない……。

 もし、能力が戻ったとしてももう蘇生魔法は使わない方がいいだろうな)


 湯船に浸かりながらそんな事を考えていると後ろから人の気配がした。

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