12枚目 ニコイチクラブ

「な〜えっ!な〜えっ!!」


美亜は年甲斐も無く意気揚々と坂を下りる。

右腕を曲げ、くの字になった肘の内角でカバンを吊るしておき、

両手で大事そうにレンガ色の古鉢を持っている。


空は酸化が進んだ鉄の様に、徐々に徐々に黒くなっていく。

街の灯りが穏やかに点りはじめ、

そこかしこで夕飯を作る音と匂いが漂ってくる。

マンションに辿り着くまでの下り坂、スキップに近い足取りで向かう齢28。

てんびん座、独身、B型、近眼。


会社と自宅の往復で、夜のネオン街に繰り出そうとする気は湧くが、

シャボン玉の様に弾けて萎む。

なのでコンビニで新商品の惣菜と缶ビールを買い込み、

7千円弱もした美顔ローラーを顎に充てがう。その間は、存分に録り貯めた

バラエティ番組と恋愛ドラマを観るナイトルーティン。


部屋には必要最低限の生活必需品が置いてあるだけで、

何とも小ざっぱりとしたワンルームである。

特筆する様な趣味も特技も推しもいない。

せめてサッカーボールくらいのチワワやポメラニアンでもいれば、

ギシギシに錆びついた心の軋みに油を差してくれるのに。

ペット禁止の賃貸を選んでしまった過去の自分を呪う。


でもそんな悲しい時代とはおさらばだよ。


新しいオモチャを買い与えられた子どもの様な、彼女の屈託のない笑顔が証拠。

直径10cm程の鉢には既に赤茶色の土が敷き詰められている。

さらにその奥深くにはBB弾の様な苗が1つ埋まってるんだ。


会社の最寄駅には商店街が伸びており、毎朝毎晩そこを通っている。

いつもならそんなことないのに、今日はトンカツ屋とクリーニング店の間に

ひっそりと挟まっている花屋の前で立ち止まってしまった。

美亜の膝下くらいの低さの、細長い黒板みたいな立て看板に

白のチョークで書かれている文言を両眼が捉えた。


《男が生える苗アリマス!千載一遇のチャンス!》


早く帰りたいのに。

全身に纏わりついている疲労を湯船で流したいのに。

大脳がその信号を送らない。これはなんとも魅力的な一文。

しばらく文字とにらめっこを繰り広げていると、店の奥から女性が出てきた。


「贈り物ですか?」


「あ、いや…」


店主の率直な第一印象は…魔女。

年齢不詳でワタアメみたいな白髪を肩まで伸ばし、切れ長の目、地面に向かって真っ直ぐ、そして鋭く尖った鼻。

この雑多な商店街で、ご近所さんとうまく関係を構築できているのか。

いらぬ詮索をしてしまう。


「やっぱり…あなたコレに興味あるんじゃなくて?」


「え、えぇ。まぁ…」


「やっぱりね、あげるわよ。」


「えっ…あじゃあお金…」


「要らないわよ、ほら。」


思わぬ魔女からの提案に驚きながらも、自然と両手を伸ばしていた…


もう寝ようかしら。

水やりは明日からでいいらしいし。

でも本当に男が生えてきたらすごいわよね…一生私のものってことよ。


「クシュッ!!!」


破廉恥な妄想をすると、クシャミをしてしまう体質はなんとかしたい。

ティッシュ箱からタツミを引き抜き、鼻をかむ。


・罪状:色欲

・死因:溺死

・来世:和紙

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