星や月のめぐりと眠って
「いくつになったんだっけ?」
「んーとね、ん」
姪はぐっと親指を折り畳み、まるまるとした手のひらを男に見せた。濡れた頬に、くっきりとえくぼが浮かんでいた。男は彼女の感情の変化の速さについていけそうにないと思った。
「ほう、四つか」
「違うよ。五つ」
ぱっと親指をはなした。指は五を示した。男は手をパチンと叩いた。瞬間、姪は夢から覚めたような表情を浮かべ、奥歯を噛み締めるように口を閉じ、現実を飲みこみ、最後にキャハハハと笑った。再び手のひらを開いて男に見せた。男は、パチンと手を叩いた。
「ヘイ、ハイファイブ!」「ハイファイブ!」「お前もアメリカ行くか?」「えー。アメリカ、遠いの?」「遠いよ。あっちかな」
男は太陽のあがる方向を指さす。太平洋の向こう側、時間が半日以上近くずれている未知の地で、新しい自分を見出すのだ。
「そこ、歩いて行ける?」「歩くには遠いよ」「自転車?」「そうだな。自転車はもう乗れるか?」「まだ。補助輪なしで、練習中だよ」「そうか。じゃあアメリカ行けないな」「補助輪取れたら行ける?」「そうだな、補助輪取れたらな」
大学を卒業して四年。退屈。その一言で全てが説明されてしまうような仕事を文句も言わずに続けてきたご褒美。男はそう思っていた。
どうしてアメリカに、という問いは男自身が自分に問うたくらいで、案外周囲の連中から問われることはなかった。誰もが反応は同じ。すごいじゃん、楽しんできなよ、じゃあ英語ペラペラで帰ってくるんだね。自由の国だね。アメリカンドリームだね。
生まれた土地から遠い。遠いというだけで、未知というだけで、価値だと思っていた。
「誰、お前」
違う学校のやつが俺たちの公園に来てたんだよ。友人の言葉に、少年だった男はおもちゃを誰かに奪われるような不快感を感じた。ちょっとぐらい貸してあげなさいよ。という母の言葉で、自分のおもちゃが好き勝手に遊ばれるのを指をくわえて見ていることしかできない。あの感覚だった。
「お前、小学校違うだろ」
肩を軽く押しただけのつもりだった。あとから聞けば学年は同じだったが、からだは少年よりもずっと小さかった。少女はころんと後ろに転がり、肘を打った。あ、泣く。少年が恐れた瞬間、零れ落ちた涙でほほを濡らした少女は、鋭く少年を睨んだ。少女は決して声をあげなかった。その場を満たした気まずい空気に、少年の方が泣きそうになる。
「わかったよ。俺が悪かった。勝手にしろよ」
気がつけば友達になっていた。縄張りに立ち入った他校の小学生は、彼女だけだった。知らない地域、知らない学校から来た彼女は、今までとはまるで異なる文化を持ち込んだ。リーダー格だった男に物怖じせず、思ったことを口にし、よく笑い、よく泣き、ほとばしる感情の間欠泉だった。
中学で同じ学校に通うことになると、恥ずかしさもあり、ふたりが話すことはなかった。勝気な性格のせいだろう、彼女はいじめられ、来なくなった。私立に転校し、ハンドボール部のキャプテンになったらしい。
「いつ、帰ってくるの」
「どうだろうな、まだ、決めてない」
彼女が見た景色を、男はいまさら見にいくのだ。
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