夢に問われて

 有機EL越しの世界はいつも嘘つきで、夜空の微かな星のきらめきこそが本物だと、実際は誰が言い切れるのだろう。

 男は逡巡しながら人混みを抜け、出会った女をふと食事に誘ってしまった。断られて捨て台詞を吐いた。傷つけるための言葉を選ぶだけの思考も働かなかったが、不快げに眉を顰めていたから、いくらか効果があったらしい。余計に後悔を強くした。

 奇妙な夢を見たのは、そのせいだっただろうか。


「で、志望動機は結局なんなんですか?」


 高い塔のうえで、大柄の黒人女性の面接官と自分、そしてもうひとり、どのような容貌だったかは覚えていないが、右にも面接官が椅子に座っていた。三対一の面接だった。いわゆる圧迫面接だろう。

 志望者は塔のはるか下にいる。面接官であるはずの自分は高いところで、ぐらぐらと揺れる椅子に座っている。高さにたいする恐怖のせいか、となりの女性の肩に手を置いていた。頼って良いかは判断できないが、少なくとも頼るしかないことはわかっていた。


「あなたの長所はなんですか?」


 志望者が自分に向かって問うた。

 これでは立場が逆ではないかと疑問を抱きながらも、素直に答えようと勢い勇んで立ち上がる。

 塔が、あるいは男が、ぐらりと揺れた。塔はとうとう倒れた。と思う間もなく、地に足をついていた。

 面接官も志望者もいない。明るい、というか、色彩のいっさいない光のなかでひとり、男はたたずんでいた。誰もいないはずなのに質問する声だけが聞こえてきた。不思議だ。誰が問うのだろうと思った。あり得るとしたら——。


「あなたは、友人や家族からどのような人だといわれますか?」


「でも、人がどう思うかより自分がどう思うかのほうがずっと大切でしょ?」


「では、あなたは自分のことをどのようにお考えですか?」


 光のなかに女が立っていた。見覚えのある女だった。次第に周囲の光が弱まるにつれて街が輪郭を取り戻していくのがわかる。家だ。誰の家だろう。男が帰るべき家か、あるいは女の家か。曖昧さのなかで二つが同時に存在している。

 並んで歩いた。三叉路で分かれてから、その姿が見えなくなるまで背中を眺めていた。

 ワンピースの鮮烈な青が、今でも脳裏に焼きついてはなれない。とうに花を落とし、深緑の葉を繁茂させたあじさいが柵の隙間からはみ出している。ポツンと雨が葉を打つ。

 さっき家から人が出てくると、男はその場をあとにした。男の家でも女の家でもなかった。




「とりあえず、髪でも切れば?」


 男は友人の言葉を真に受けたわけではなかった。藁にもすがる思いで美容室に駆けこんだ、というわけではもちろんない。気まぐれに、友人の言葉に耳を貸してみただけのことで、特別な意味があったわけでもない。ただ、なんとなくなにかを変える必要がある、そんな気がしただけだった。

 美容師の手が髪からはなれた瞬間、男は鏡のなかの自分を見た。意外だった。学生時代以来の短髪も、そう悪くはなかった。


「転職したからって別に、新しい人生がそこで待ってるってんじゃないだろ」


 わかりきったことをたがいに口にしながら、だらだらと酒を飲み交わした。ふたりは新しい職を探すのをやめようとはしない。かといって、今の仕事を辞めるわけでもない。

 気怠さだけが夜の密度を大きくしていく。でも、悪くない。髪を切った。それだけなのに、何かが動き始めたのだ。

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