雨にこころを濡らしてみるにじ


「春が近づいている気がするの」


 女は部屋でひとりテレビを見る。録画していた恋愛リアリティ番組だった。

 ドラマの台詞のように気取った言葉ですら様になるほど綺麗な人だった。

 画面のなかで繰り広げられる華やかな恋愛に共鳴するように、自分の胸がときめくのを感じる。

 リアリティ番組のすべてが真実だと思えるほどナイーブではない。それでも、すべてが嘘だとも言えない。恋は華やかだ。

 窓の外を見た。雨が降っている。降りそうなのは知っていた。帰りの電車から見た空は今にも泣きだしそうな子供のようだ。

 案の定、雨が窓ガラスを濡らした。しずくは縦、横、斜めと、風によって様々な線を描き、ぶつかっては一つになって再びわかれ、規則的な幾何学図形を描いていく。風が強く吹いている。浮いたり、沈んだり、とどまったり。窓ガラスのしずくの彷徨いは、なぜか女を一層と陰鬱な気分にさせた。

 視線は再びテレビに戻るが、心はすでに遠ざかっていた。




「彼のどこが良いって、背が高くって顔が良くって――」


 画面を通して見る世界を現実に移すためには、美しい男が必要だと思った。

 女は自分の容姿にそれなりに自信を持っていた。手練手管を尽くせばいずれは落ちるだろうと高を括った。

 なにをしても功を奏さなかった。男はシャイなだけだとか、クールなだけだと噂されていた。時にはゲイだとも噂された。


「だってさ、家と会社のただの往復になんの意味があるの?」


「でも、家と会社の往復に男を加えてみたところで、なにも変わらないと思うけど」


 男に執着する理由を友人に問われて口にした言葉は、ほとんどそのままの形で自分に向けられた。

 刺激が欲しい。平坦な日常は退屈で耐え難い。画面の向こうでは必ず毎日なにかしらの事件が起きた。好き嫌いだけじゃない、人生の意味や将来の目標について中学生のように無邪気に語らい、瞳をきらきらと輝かせていた。恋愛は、とりわけ美しい男との恋愛は、きっと生活を華やかにしてくれるはずだ。


「誰かが変えてくれるなんて勘違い。自分が変わるしかないって、そろそろ気づかないと手遅れになると思うよ」


「まあ、そうかもね。そうかもしれないけど、変わろうって思って変えられるんなら私はとっくに変わってると思うよ」


「そうしてすぐに言い訳するのは悪い癖」


「そうそう。だから私は変わらない」


「結局、変わるのが怖いのでしょう」




 喧嘩別れに近かったな、と友人との会話を思い出す。学生時代から、十年以上は共に過ごしてきた。口論するつもりなどなかったのに、ズレはきっとずっと前からはじまっていて、たまたまその時、形になった。

 どこで間違えたのだろう。無数の過去が後悔になって心を冷たくしていく。孤独は雨のようだ。ふとつぶやいた。誰かがかつて書いた言葉。誰のものかは思い出せなかった。 

 窓を開けた。雨は降り続けている。

 気持ちが晴れないのは雨のせいにして、外に出るかと女は思った。

 金曜の夜にリアリティ番組など見ている場合ではない。虚構だ。消費行動を促すための虚構だ。違う、すべてが現実だ。

 窓の外に見る光景は、いつもより角がとれてまろやかな気がする。今ここを出ないと、何も変えられない気がする。濡れることを厭わず雨の空を見上げた人の瞳にだけ虹が映るのだと、昔だれかに言われた気がする。


 玄関のとびらを開けた。

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