そこにいるのにいないみたいと言う君の笑み
「あはは、おかしい」
「なにがおかしいんだ。そう無闇に笑うな」
女がすぐ笑うのが、男の気に入らなかった。少なくとも男自身はずっとそう思おうとしていた。思考が届かない領域で起こる笑みが怖かった。存在をないがしろにされている気がした。
妻にそんなつもりはないことはわかっていたが、無意識に口にしていた言葉。相手だけでなく、自分自身も動けなくしてしまうような言葉。
定年後に始めたタクシーの運転手は性に合っていた。近頃は運転手に話されるのを嫌う客が多い。寡黙な男は客の気を煩わすことがなく、加えて丁寧、正確、迅速な仕事によってたちまち個人業績は上向いた。
優れた自動運転車といったところだ。
瑕疵があれば手ひどく批判される時代に、そつなく仕事をこなすことが最も顧客の満足につながるところになる。
目的と結果が一致すること。誰もそれ以上は求めないし、それ以上はむしろ不愉快に感じる。ハーツバーグの二要因理論は反証された、男は思った。
乗せた女が数メートル走って降りた。それでも男は嫌な顔ひとつせず、淡々と会計を済ませた。
ごめんなさいね、という女の言葉にも、とんでもございません、ありがとうございました、と紋切り型の反応。
男の全神経は、客に不快感を抱かせないことに注がれていた。存在しない。それが最善なのだ。
「あなたって、そこにいるのにいないみたい。いや、良い意味でね」
――どうやったらそれを良い意味にとれるんだ。
大学の教室でふたりっきり。青年はなんとなく良い雰囲気だと感じていた。
一方通行。
同級生の女からすれば、彼はいてもいなくても関係のない存在だった。わざわざそれを言葉にしたのは、予防線を張るためだろうかと穿った見方をしてみたが、そうではないらしかった。
妙になれなれしくすり寄り、ほんの束の間の時間を楽しむ相手としては申し分ないといった感じだった。深い関係になるつもりはさらさらないが、ただ時間を過ごすには悪くない、そういう距離感を的確に言い表した言葉なのだ。
女は帰った。
男は、さっき授業で習ったばかりのラテン語の言葉を書いた。コギトエルゴスム。必要ない。いてもいなくても変わらない。思考が、今考えているということだけが絶対的な真であるとしてそれを立脚点にさらに思考を押し進めたところで、自分以外のなにかの存在を証明することにはならない。彼女にとっての自分が存在しないのであれば、思考そのものが無意味に思えた。
「あはは、でもね」
また、女は急に笑い出した。
「なにがそう可笑しいんだ?」
「なにって、気がついていないかもしれないけど、あなただってつられて笑ってるわよ」
弁当屋でのり弁と唐揚げ弁当、サラダを買って帰った。子供のいないふたりは、結婚して数十年になるというのにちっとも所帯じみたところがなかった。その空気を、互いに気に入っていたし、心地よいと思っていた。
「……そうか」
「考えすぎなのよ。だからあなたはその場に沈んで埋もれてしまうみたいに、するするって消えちゃう瞬間があるんだと思う」
薄く暮れた空の色がとおくに見える。昔も、似たようなことを言われた。それも悪くないと思った。
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