君が見せる世界
「お前、絶対に才能あると思うけどな」
少年の声には、微かに非難めいた響きを孕んでいた。短く切り揃えられた襟足から、汗が伝っている。日に焼けた首元からはくっきりと白黒の境界線がのぞきみえ、もうすぐ冬だというのに、彼の首周りには夏がまだまとわりついている。
「蹴るのは好きだよ。自分でも、それなりのレベルでできると思ってる」
「なら——」
「でも僕には、君の見えてるようなレベルでサッカーが見えてはいないんだよ」
カバンからタオルを出すと、少年は首筋の汗を拭った。日に焼けた少年とは対照的に髪が長く、線も細い。丸い輪郭は少年の性別を曖昧にし、頬に微かに差す赤が、いかにも少女らしく見せた。
少年は時々、彼のしなやかな肢体にどきりとさせられることがあった。女ではないと知りながらも、滑らかな曲線と白い肌の描く彼のからだは、少年でなくてもきっと、退き難いなにかがある。視線を逸らして、グラウンドで片付けをするマネージャーたちを見やった。
「お前に見えてないものが、俺には見えてるって?」
「そう。でも君には、そのことが見えていないのかもね」
と言って、髪の長い少年が笑った。
やっぱり女みたいだ、と少年は思った。
高校三年のインターハイ予選を前に、少年は引退を決めた。多くの部員がインターハイを最後とするなか、一人だけ時期を早めた。早期引退は多くの場合、受験が理由だったが、彼は違った。
チームのため。それが彼の結論だった。
監督でもある顧問教諭は反対しなかった。
少年の技術の高さ、チームへの貢献度は理解しながらも、物足りなさを感じていた。トラップ、パス、ドリブル、シュート。ボールに関わるあらゆるスキルはチーム随一であるのに、前線にいて得点に絡むことが少ない。ほとんど消えてしまう。いや、ボールを触れる時間もチームでダントツに長い。間を作る、スペースを作る、そういう影での貢献はあるかもしれないと考えてみるが、交代して入る選手の方が結果的に活きてしまうし、周囲もより活躍できる。
——じゃあ、何が悪いのだ。
「先生。僕は、目が悪いんです」
少年が顧問の部屋を訪れて最初に言ったのが、その言葉だった。彼は顧問の持ちそうな疑問を先回りして答えた。
「それと頭、ですかね。見えていない。処理が追いつかない。技術だけ伸びて、目や頭が伴わなかった結果が、今の僕です」
「今からでもやってみれば良いだろう」
顧問は特に考えもなく言った。
県内ベストエイト常連の強豪校でレギュラーをつかんだのだから、続けた方が良いだろう。その程度のつもりだった。
「見える人ってのはきっと、もっとずっと先のことが見えてるんです。三つ、四つ先プレーまで一連の必然としてあらかじめ見えている。僕に見えるのは、今という瞬間だけです。彼に追いつくにはもう遅すぎるんです。遠ければ遠いほど、見る世界もまた、ずっと広くなるのがサッカーですから」
「……だが、あいつは特別だろう」
「ええ、彼は特別です。でも僕がいると、彼の個性が潰れてしまうと思います。技術って目立つけど、それだけではサッカーってできないんですよね。だから僕は辞めると決めたんです」
「そうか」
顧問は納得はしなかったが、解決法も見つけられそうにはなかった。三年間を通じて見た、もっとも優秀な選手の一人である彼を開花させられなかった責任以上に、サッカーというスポーツの不思議を、ぼんやり思うだけだった。
「なら、俺が見せてやるから。……だから続けろよ」
トレーニングウェアを脱いで、白い肌をあらわにした少年にとって、その言葉は意外だった。
「漫画みたいなセリフだね」
少年の真剣な眼差しを避けるように背を向け、ワイシャツを羽織ると、彼はそのままボタンを留めた。冗談にして、煙に巻けると思ったのだ。
だが——。
「冗談じゃない。俺は本気だよ」
背を向けていた白い肌の少年が振り返った。こめかみから流れ落ちる雫が、太陽の光に輝いた。
日に焼けた少年は視線をそらさず、誠実な瞳をもうひとりの少年へと向けていた。
「だから、続けろよ……」
「ごめん」
白い肌の少年が再び背を向けた。二人はそれ以上、会話を続けることはなかった。
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