―76― 雨、降って……

 町外れにある丈夫な木に腰掛けながら、名称未定はぼーっとしていた。日はすでに落ちて、辺りは真っ暗になろうとしていた。

 この時間に女の子が一人でいたら危ないんだろうが、自分ならどんな障害でもなんとかする自信はある。

 どうしよう……。

 あんなことを言った手前、アンリのいる宿屋に戻りづらい。だから、こんなところで一人でいるわけだが。

 いっそのこと一人で生きていこうか。

 名称未定自身に、アンリと一緒に暮らす理由はない。それに、冒険者とやらになれば、お金は稼げるようだし、戦いには自信があるから、それも悪くないのかもしれない。


「はぁ」


 と、ため息をつく。

 なんで、あんなことを言ってしまったのだろうか、と名称未定は自分なりに分析しようとした。

 アンリが過保護なぐらい自分を大切にしてくれている。でも、それが自分に向けられたものでなく、自分の中にいるエレレートに対して向けられたものなのはずっとわかっていたことだ。


「名称未定ちゃんはどうなってしまったんですかね……」


 そう呟くと同時、ぽつりと雨が頬に当たる。

 最初はまばらに降っていた雨はすぐにザーザー降りへと変わっていった。

 雨のせいで体が冷たくなってくるので、より身を縮こませて体を温めようとする。

 まるで、人間になってしまったようだ。

 最近の自分を思い返しながら、そう思う。

 本来自分はレイドモンスターで、大量の人間を殺すために創られた存在のはずなのに……。

 今だって、くだらないことに悩んでいる姿は、まさに人間そのものみたいじゃないか。

 まだモンスターに戻ろうと思えば、戻れるはずだ。

 本能の赴くままに、力を発揮してこの町の人間相手に蹂躙してしまおう。そうすれば、自分は正真正銘モンスターのはずだ。


「きひっ」


 わざとらしく笑う。

 笑えば、モンスターとしての本能を取り戻せる気がして。

 ゆっくりと立ち上がる。

 今から、殺してやろう。この町の人間、一人残らず。

 内にいるエレレートが邪魔してくる可能性が高いことだけが懸念点だが、もし邪魔してきたら力づくで握りつぶしてやる。

 そう、なにも恐れることはないんだ。

 本来の自分に戻るだけなんだから――


「名称未定……ッ!」


 見ると、目の前にアンリが立っていた。

 息切れしていることから、ずっと自分のことを探していたようだ。

 そうだ、モンスターに戻った決意表明として、最初にこいつを殺してしまおう。そうすれば、後戻りできなくなる。

 だから、名称未定は右腕を触手へと变化させて、それをアンリに振るっていた。

 けど、一つ誤算があった。

 触手を見れば、アンリは自分から距離をとると思った。だから、そのこと視野に入れてアンリ数歩後ろに触手をふるう。

 なのに、アンリは前に地面を蹴っていた。

 だから、触手は空を切るだけだった。


「ごめん……ッ」


 気がつけば、アンリが自分のことを強く抱きしめていた。


「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん……!」


 呪文のごとくひたすら謝罪の言葉を口にしだす。


「い、たい……」


 アンリがあまりにも自分のことを強く抱きしめるものだから、「痛い」と伝えたつもりだが、聞こえてないのかさらに力が強くなっていく。

 だから、


「わかった! わかったですから!」


 叫びながら、強引に自分からアンリを引き剥がす。


「本当ごめん……」


 引き剥がされた後のアンリは明らか落ち込んだ様子で、そう口にしていた。その上、雨でわかりづらいとはいえ、泣いてるような痕跡もあった。

 ちょっといなくなっただけなのに、流石に動揺しすぎな気がする。

「はぁ」と、心の中でため息をする。

 興がそがれてしまった気分だ。

 仕方がないかと思いつつ、名称未定は手を伸ばした。


「え?」


 と、アンリが疑問を口にする。

 だから説明をした。


「一緒に帰るんじゃないのですか」


 そう言うと、やっと手を伸ばした理由がわかったようで、アンリは手を上から重ねては繋ぐ。

 そして、アンリに引き連れながら帰ることにした。



「人間、お前は名称未定ちゃんのことを恨んでいるんですか?」


 帰り道半ば、いい機会だと思ったので、聞いてみることにした。


「……恨んでないと言えば、嘘になると思う」


 言いづらいことを告白するようにアンリがそう言う。

 そうだろう、とは思っていたので、別にショックではない。


「エレレートは今、どういう状況なんだ?」

「名称未定ちゃんの中にいることは確かですよ。ただ、それ以上のことはよくわかりません」

「そっか」


 安心したようにアンリが頷く。

 そして、それ以上エレレートについてなにか聞いてくることはなかった。


「さっきは恨んでいるなんて言ったけど、お前のことが大事だって気持ちに嘘偽りはないから」


 本当に大事なのは名称未定ではなく、このエレレートの体のほうだろう、と言おうとして口をつぐむ。

 代わりに「そうですか」と気の抜けた返事をする。

 今日のことで二人の関係がなにか変わったわけではないんだろうな、とか思う。

 問題が浮き彫りになっただけで、別に解決したわけではない。

 ただ、もう少しだけ、この関係を続けていくのもいいのかもしれない。そう、名称未定は思っていた。


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