第89話

     Fret


 柳沢 雛姫と会うことになった。それは篠田記者に、記事の訂正を求めても却下されたので一緒に抗議して欲しい、ということだ。

 オレが乗り気でないので、それは説得の意味ももつ。彼女も芸能人で、滅多なところでは会えない、というので、彼女の友人の家を指定された。

 訪ねていくと、ふつうの住宅街にある一軒家で、呼び鈴を鳴らしてでてきた相手をみて、オレも驚いた。

「押井 日毬……」

「話を聞いて、もしかしたら……って思っていたわ。上がって」

 彼女は無表情でそう語ると、そのまま家の奥へと誘う。オレも動揺を隠せないまま、家に上がる。他の家族はいないらしく、そのまま二階の押井の部屋に通された。

 六畳程度の部屋に、花柄の模様が入った白い洋服タンスがあり、ベッドも白くてヘッドボードには彫刻が入った、オシャレで女の子らしいものだ。

 まだ柳沢はいない……そう思った刹那、押井はオレに飛びついてきて、首を自分へと引き寄せると、オレにキスしてきた。

 そう、彼女はキス魔であり、オレとこうして何度も激しい口づけをかわしてきた。

 でも、今日はすぐに離れると、久しぶりに味わったとばかりに、軽く舌なめずりしてみせた。

「アナタと会うと、ついキスをしちゃう……。もう止めるって決めたのにね」

「柳沢の友達って、キミだったんだ……」

「雛は私の友達であり、美潮の友達でもあったのよ」

 そう聞いて、ふと気づく。

「もしかして、美潮が亡くなってから、アイドルを目指した……?」

「ええ、そうね。中学一年のとき、美潮が亡くなって、生きているうちにやりたいことをやらなくっちゃ……って、アイドルに応募したの」


 小学六年生で、悪い大人からSNSで呼びだされ、無理やり体を奪われる運命にあったのが、梅木 美潮だった。前の人生では、そうやって彼女の心は殺された。晩生で男の人なんて興味もなく、偶々声をかけてきた大人に、強引に呼びだされてそういう目に遭ったのだ。

 オレがそれを阻止し、彼女と恋人になった。でも、もしそうじゃなく、前の人生の通りだったら……。彼女はアイドルになっていなかった?

「中学に上がってからも、仲が良かった?」

「私と美潮は、同じクラスだったけれど、雛はちがうクラスになったわ。でも、小学生の時は一緒によく遊びにいった。晩生で、人見知りだった美潮も、みんなでワイワイする仲間だったのよ」

 オレが紹介されたのは押井だけだったし、美潮が亡くなった後、押井と再会したときも柳沢はいなかった。きっとクラスが替わり、押井の周りにいる人も変化したことで、柳沢がそこにいなかったのだろう。

 そのとき、柳沢がやってきた。

 オレと押井が微妙な感じなのに気づいて、柳沢も「どうしたの?」と尋ねる。

「彼……美潮の彼氏だったのよ」

「…………え?」

 今度は柳沢が、動揺を隠せなくなっていた。


「ミッシーはどこか抜けていて、ほんわかした子だったのに、いつの間にかしっかりしてきて、何か成長を感じるというか……。あの子が亡くなったとき、私も何か成長しなくちゃ……そう思った。

 憧れていたアイドルの世界に、私も飛びこんでみたくなったの。

 そうか……。あんまりはっきり言ってくれなかったけれど、やっぱり彼氏がいたんだね。

 何となく気づいていたよ。だって、あのミッシーが……だよ。でも、年下だったんだね。3つ下? だから教えてくれなかったのか……」

 柳沢はやっと納得してくれた。

 梅木は3つ下のオレと付き合っていることは、押井にしか話していなかった……というより、押井に勘繰られて吐露してしまい、それで紹介することになった……のかもしれない。

 前の人生で、柳沢がアイドルをしていなかった理由も、これで理解した。恐らく美潮が心を壊して、中学に上がるころには彼女とも疎遠となり、美潮の死が彼女にとっては特別ではなく、人生観を変えてしまうほどのショックにならなかった。アイドルへも挑戦していなかったのだ。

「ミッシーとはどこまでいったの? チューは? チューは?」

 柳沢はまるで中学生にもどったように、興味津々という感じで聞いてくる。

「忙しいんじゃなかったの?」

 押井が心配そうに、そう尋ねる。

「忙しいよ。次のライブに向けて、午後もレッスンだもの。でも、ミッシーの恋人って、私にとっては興味あるのよ。あの子を変えた人だから……」

「キスはたくさんしたよ。オレたちにとって、それが愛情の確認方法だったからね」

 柳沢は真っ赤な顔で、頬を両手で押さえている。前に指摘したように、彼女はまだキスも知らない、アイドルをしている。


「オレと美潮のことはいいとして、キミは川勝と組織を立ち上げたんだろ? なら、今さら抗議する必要、ないじゃないか」

「私は一応、広報として携わるけれど、主体じゃないもの。咲里ちゃんとも話をしているけれど、私の言葉に触発されて、彼女が動くのを私がサポートする、という立場なの。だから、週刊誌に載った私の記事を、訂正しても問題ないわ」

「でも、それで話題性ができて、また仕事が増えたんだろ? いいじゃないか」

「よくないわ。結構、嫌がらせも来ているのよ。事務所に……だけど」

「この国では、未だに加害者に甘い体質があるからね。反省して出直してくれる、という前提でいる彼らにとって、それを覆すキミたちの行動は受け入れがたいことだろう。だから再犯をする者、として限定しているのに、何度犯罪をくり返しても、立ち直りを待つ、という態度だからね」

「私の主張であればそれも仕方ないけれど、違うのに批判されるのは納得いかない」

「だが、週刊誌の記事は、一度でたものを覆すことは難しい。たとえ、オレとキミで抗議したところで、訂正記事がでるころには、そんな話題すら消えているかもしれない。戦って意味があるとは思えないよ」

 柳沢も沈黙してしまう。

「キミが広報を担当するよう、仕向けたのも実はオレだ。暴漢に襲われた、という事実があり、再犯をくり返す加害者を赦さない、という組織に関わる事実があり、それでキミの思想、考えはすでに発信されてしまっている。キミは武器を欲しがっていたんだ。その武器として、これは諸刃の剣。よく切れるけれど、自分も傷つけるかもしれない。その扱い方を、キミがどうするか……だよ」


 川勝の方に、オレからかなり入れ知恵しているのだ。柳沢も覚悟を決めたように「分かったわ。もうやるわよ!」と、投げやり気味に言う。

 このとき、押井が横やりを入れてきた。

「こいつ、小学三年生のときから、美潮と付き合っていたのよ。それぐらい大人ってこと。信じていいと思うわ。まさか、美潮のトモダチだった私たちを、無碍に扱ったりしないでしょ?」

 確かに、美潮のことを引きずっていたオレのことも押井は知っているので、そう言われると言い返すことさえできない。ただ、私……たち? それはまた関係の復活を求めているのだろうか? オレと美潮がキスするところをみて、キス魔になったという押井が、またオレとのキスで覚醒した? 何とかしなくてはいけないのは、オレの方かもしれなかった。 



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