第10話 裏切り者
——そうだ。ここが自宅。ここが自分の家なんだ……。
玄関先で、ぼんやりと家を見上げていると、いつもと変わりのない様子で関口が奥から蒼の名を呼んだ。
蒼にとったら、とても気恥ずかしい、なんとも言えない出来事だったはずなのに、関口はいつも通りだった。
「早く着替えてきなよ。夕飯、食べるでしょう?」
台所に姿を消した関口。いつまでもドキドキが鳴りやまない。
——馬鹿じゃないの。一人で意識して。関口はおれのために演技してくれたんじゃない。
蒼はもぞもぞと落ち着かない気持ちのまま、自室に行って中学生時代から大切にしているジャージに着替えた。手元が震えていつもよりも倍以上、時間がかかった。
気まずい気持ちを押し込めながら、よそよそしい感じで居間に顔を出すと、ペペロンチーノと生野菜のサラダが並んでいた。
「とりあえず、上手くいったかな? 陽介は、途中で怒っていなくなっちゃったけどさ。蒼のお父さんたちにお墨付きもらったんだ。陽介も迂闊に手を出すことはしないんじゃないかな」
「そ、そうだけど——でも」
——別の問題が勃発しちゃったじゃない!
自分のために頑張ってくれた関口には感謝をしているが、本当にこれが最良の方策だったのかと考えると、肯定はできなかった。
「あの状況で陽介が蒼との関係性をご両親に言うということは無理だよ。言ったところで意味がない。だって陽介は蒼を手に入れたいんだもの。両親に関係性をバラしたら、余計に蒼は手に入らなくなるよ? そんなのは僕だってわかることだ」
「それは、そうかも知れないけど」
「今日見ていて思ったけど。陽介は蒼にぞっこんだ。だからこそ、ご両親にはこのことは言わないだろう。蒼には交渉の手札として使ってもね。あの男はね、蒼のことを傷つけるようなことはしないと思う。絶対に。だって、本当に好きなんだね。あの人。蒼のこと」
関口の言葉に引っ張られて、陽介とのことに想いを馳せる。
陽介という男は、蒼に随分と時間を割いてくれていた。それだけ蒼に深い愛情を抱いてくれていたということなのだ。
本当なら、それに応えられるといいのかも知れない。だが蒼は突如、彼との関係性について客観的に、冷静に見てしまったのだ。我に返ったと言うべきか。
ずっと熊谷家が嫌いだった。母親がおかしくなったのは、自分のせいでもあるが、この家のせいでもあると思っていたからだ。その思いは、成長するにつれて強くなった。熊谷家が嫌いだという思いへの比重が大きくなった時。蒼は自宅を出ることを決めた。
——陽介との思いに気がついたのは、あの時が始まりだったんだな。
いつもそばにいてくれて、親族から「いらない子」、「不幸を招く子」と非難されている蒼を救ってくれたのは陽介だった。
蒼にとったら、彼が全て。
『蒼は悪い子かも知れないけれど、おれはそうは思わない。おれだけは蒼を理解しているし、大切にしてあげられるんだ——』
幼い自分は、陽介のその言葉を固く信じていた。だが一歩、外の世界に出ると、それは違って見えたのだ。
やはり血がつながらなかったとしても、自分と陽介は兄弟には違いないのだ。自分たちが性的な関係を結ぶというのは、背徳感しかない。
「おれは裏切り者だ」
蒼は座布団に座ると、そう呟いた。
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