第8話 魂の呼応



「一緒に、暮らしている……だって?」


 陽介は関口の言葉に、眉間にシワを寄せて、不快であると言わんばかりの表情を見せた。しかし、栄一郎たちは大して気にも留めないらしい。


「そうなんだ。けいくんは、僕の親友の関口圭一郎の息子さんでね。たまたま偶然、蒼と気が合ったらしいんだ。それで、去年だよね? 去年から一緒に暮らしているという話しだったね」


「蒼はおっちょこちょいでしょう? 一人では心配ですから。ちょうどよかったのよね」


「まだまだ駆け出しのヴァイオリニストだから、蒼とシェアハウスしているんだよね? 音楽家は生計を立てていくのも大変だからね。圭一郎も苦労したんだよ。あれで。昔、よく夕飯をご馳走したものだ。それが今はどうだ。僕なんか足元にも及ばない有名人だものね。蛍くんも、まだ遅くはない。これから世界に羽ばたくことができるよ」


「は、はい。もちろん。そのつもりです」


 両親ともに関口を肯定するかのような口ぶりに、陽介はますます不機嫌なオーラを醸し出す。蒼は目をぎゅっと瞑った。


 ——針のむしろってこのことじゃない!


 もう精神的に耐えられない。思わず関口を見上げる。彼にすがっても仕方がないはずなのに、そうしないではいられないのだ。


 ふと関口と視線が合った。その瞳は「大丈夫」と言っているようだ。蒼の緊張とは裏腹に。彼は落ち着きを払った、穏やかな鳶色とびいろの瞳を蒼に向けていた。


 ——え?


 それを確認した瞬間。蒼の喉元に詰まったような、なにか重苦しい気持ちが、一瞬で溶け出す。ふと心が軽くなったのだ。


 しかし陽介は相変わらず関口に対する敵意を剥き出しにしたまま、ぶっきらぼうに言った。


「その、まだまだ駆け出しの関口くんが、一体なにをしに、いらっしゃったんですか?」


 棘のある言い方に、さすがの栄一郎たちも気が付いたのか。彼は海と顔を見合わせた。


「陽介。どうしたんだい? そんな言い方……」


 しかし、それを遮ったのは関口だった。


「致し方ありませんよ。陽介さんは、随分と蒼を可愛がっていたみたいですよね。蒼から聞いていますよ。事細かに詳しく。あなたが蒼にしたこと全て」


 こちらの関口の言い方にも棘がある。栄一郎たちはますます困惑した表情になった。


 陽介は苦々しげに関口を見据えてから蒼を見た。その非難の色を帯びた視線に耐えられない。思わず隣にいる関口の袖を握りしめた。すると、関口は一呼吸置いてから、栄一郎たちに視線を戻した。


「そこでですね。今日お時間をいただいたのは、蒼とのことをきちんとしたくてお邪魔したんです。栄一郎さん、海さん。僕は蒼が好きです。——蒼とお付き合いさせていただきたいのです」


 ——お、お付き合い!?


 いや。関口の性癖は聞いた。だがしかし。同性である蒼の家に上がり込み、こうして真正面から頭を下げる話ではない。しかも、蒼は関口が自分と付き合いたいと思っているなんて、思ってもみなかった。


 確かに、彼の性癖を打ち明けられて、ドキドキとした。それから、なんだか変な期待——自意識過剰な思いを抱いたことには違いない。だがそれは、関口がおかしいとか、変だとか、そういう問題ではない。


 なにせ蒼だって、陽介という同性の、しかも義理の兄と躰の関係を結んだ経験がある人間だからだ。彼のことを「変だ」という資格もないし、それは特段、蒼からしたら異常な性癖でもなかったのだ。


 だがしかし、関口のことを意識しているのは事実だった。昨日の夜から。


 ——もし、関口がおれのことを好きだったら? 一緒に住みたいって、そういう意味だったら? 


 陽介のことが頭の中を占めているはずなのに、関口のことばかりが気になって仕方がないのだ。そして、それを自覚しないようにと、必死に考えないようにと、意識の奥に押し込めようとしてきたのだ。


 それなのに。関口は蒼の両親の前で頭を下げた。隣に座っていた陽介の口元が引き釣っているのが見えた。


「いや。驚いたな」


 栄一郎は海を見る。海も少々、困惑した表情で栄一郎を見返していた。


「僕のことは父から話が入っているのではないでしょうか。なんでも明け透けなく話す父です。きっと僕の性癖のことは、お二人ともご存知なのでは——?」


 関口はそういうと、まっすぐに蒼の両親を見据えた。栄一郎は「そうだね」と頷いた。


「圭一郎から聞いています。彼と親友をやっているくらいだからね。特段、驚くべきことではなかったよ」


 栄一郎は優しい笑みを浮かべて関口を見ていた。


「僕はね、恋愛は自由であるのがいいと思っているよ。性別という分類は、医学的には必要かもしれないが、僕は大して重要視はしていない。それはそれという事実以外、なにものでもないからだ。お互いが求める相手であれば、それは肉体を越えて、魂が呼応するから惹かれるのだと思っている。僕は、そうやって自分の気持ちに正直に、そして自分の気持ちを信じて、海と結婚したんだ」


 彼は海を見下ろす。彼女は恥ずかしそうに視線を伏せた。








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