第64話


 レッドメイン家は離宮がもぬけの殻だと気付いたら、どういう対応を取るだろう。

 リセット前に離宮周りを巡回していた騎士達のことを、バートン卿が屯所で一旦捕縛してくれたらしいけど‥こんなに大勢で移動をすれば内通者がいなくたってレッドメイン家にも情報がいくはず。


「‥王宮にまで来るかしら」


 揺れる馬車の中でそう呟くと、ノエルはどうだろうね、と小さく唸った。


「‥離宮だから攻められたんだと思うよ。もし王宮まで来たとしても実際には武力行使はしないと思うけど。まぁでも離宮にいたままじゃ損しかないから」


「‥確かにそうよね‥」


 レッドメイン家の標的はあくまでも私だもの。

王宮が私を受け入れてくれるかは分からないけど、私の身を匿ってくれる場所は王宮しかない。


 ‥果たしてレッドメイン家はどういう動きを見せるのかしら。


 ーーー王宮に近づいて行くたびに懐かしい景色に胸が焦がれていく。見晴らしのいい丘、綺麗な白い橋、遠くに見える細い滝。すべて大好きだった景色。


 ぎゅうっと心臓を掴まれるような、幼い頃の思い出が鮮明に脳裏によぎっていくような、不思議な感覚。


 石畳が続いた先には大きな門があって、その先には石でできた橋がある。この橋を渡らないと王宮には辿り着けない。

 門には王宮の兵士たちがいて、私を見るなり驚いた様子を見せたけど、騎士団長であるバートン卿が状況を説明すると門を通してくれた。



「‥皇女様、大丈夫ですか?爪が‥」


 テッドに言われて気付いた。緊張からか拳を強く握りしめてしまっていたみたい。手のひらに爪の跡がくっきりと残ってしまった。


「あはは‥‥やっぱりちょっと怖くて‥。情けなくてごめんなさい」


「情けないだなんて1ミリも思っておりません」


「ありがとう‥」



 レッドメイン家が怖いんじゃない。王宮の人たちが、そしてお父様が‥私を見てどんな顔をするのかが分からなくて怖い。


 石の橋を通ってからも暫く馬車は走る。その間に少しでも気持ちを落ち着かせたかったけど、何の整理もつかないままあっという間に王宮に着いてしまった。


 聳え立つ大きなお城。見上げると首が痛くなるような城門を抜けると、まるで私を歓迎してくれているように広場の噴水が高く上がった。


 ーーー植えてある木々も、レンガ調の地面も、昔と何も変わらない。



 馬車が王宮の入り口前で止まると、馬車の扉が開いた。



「姉上‥!!どうぞこちらに!!」


「ロジェ‥!!」


 馬車の外にはロジェがいて、私に手を伸ばしてくれていた。

目を細めて嬉しそうに頬を赤くしているロジェ。その手を取って馬車から降りた時、安堵からか思わず涙が込み上げそうになった。


 きっと王宮の中にも私を嫌う人は数え切れない程いるのだろうけど、ロジェがこうして喜んで受け入れてくれることが何よりも心強い。


「事情は聞きました。どうぞお入りください」


 さっきの門にいた兵士のうちの1人が馬を駆けて知らせてくれていたみたい。


「ありがとう、ロジェ」


 ロジェのグレーの髪が光を浴びてきらきらと煌めいている。真っ直ぐで、清廉で、品のある皇太子。せめてお父様とロジェだけは綺麗なままでいて欲しい。


 私はロジェの後ろを歩きながら、2人のことを守り抜きたいと改めて思った。



 頭を下げている近衛兵やメイドたちは、見たことがある人も数人いた。だけど、感じるのは軽蔑を含んでいるような冷たい視線。


 王宮で働く人々の殆どが、“私のせいで皇后が幽閉された”と思っているのね、きっと。


 ーーーレッドメイン家だけじゃない、逃げ込んだこの王宮でも‥分かりきっていたことだけど私の味方になってくれる人はほぼほぼ居ない。


「姉上、顔を上げてください。この扉より先に父上がおります。‥安心してください、父上も姉上に会えることを心待ちにしていたんですよ。あまり口には出しませんが」


 ロジェがそう言って悪戯っ子のような笑顔を見せた。目の前には、分厚い真っ赤な扉。この扉の先に、お父様がいる‥。


 私の覚悟が決まるのを待っているかのように、ロジェは優しく私を見守っていた。ロジェと目を合わせながら小さく頷くと、ロジェはこくりと頷いてその扉を開いた。



 ーーーー王座の間。赤い壁と床に、沢山の金色の装飾が施された美しい部屋。

 その部屋の一番奥にある玉座に腰を掛けていたのは、大好きなお父様だった。


 目と目が合っているけど、足がすくんでしまったようで踏み出すことができない。遠くにいるお父様は優しげな表情をしているように見えるけど、段々と視界が歪んでいってその姿をはっきりと捉えることができなくなっていった。


 涙が邪魔をする。その姿を目に焼き付けて、言葉を交わしたいのに。足も前に出てくれないし、声は出てくれないし、何なら私は何故か今膝から崩れ落ちて泣いている。



 ーーお父様。会いたかった‥。



「‥‥‥サマンサ‥」


 頭の上から、優しい優しい声が響いた。

まさかと思ってそっと顔を上げると、そこには瞳を潤ませたお父様がいた。


 どうやら歩き出せない私に代わり、ここまで歩いてきてくれたみたい。



 知らぬ間に目の淵の皺が増えている。白髪も少し増えたみたい。でも、元気そうでよかった‥。


 心の中では沢山色々なことを思っているのに、声にならない声が嗚咽となって込み上げていた。しゃがみこんで泣きじゃくる私をお父様は上から優しく抱き締めてくれて、私は幼き日の頃のように声を上げて泣いた。


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