第55話


 レオンは、私が猫の正体を知らないと思ってる。リセットをしてもレオンは私と同じように記憶を持ったまま朝を迎えるけど、私がそれに気付いてないと思ってる。


 私の体が魔女に乗っ取られていたことを“猫”は勿論知っているけど、護衛の3人とは違ってレオンには相談してない。


 だから、いま私を抱き締めているレオンは私が苦んでいる理由を分かっていても、知らないフリをしなくてはいけない。



 どうせそろそろリセットをする頃合いだった。

抱き締められた腕の中があまりにも居心地が良くて忘れそうになるけれど、私を優しく抱き締めているこの男は猫。


 少し爆弾を落として反応を見てやろう。そのあとリセット魔法をかければ、レオンは否応なく何もなかったフリをして朝を迎えなくてはならない。


 まぁ‥私が何を言ったって、レオンには何も響かないのだろうけど。


「‥‥皇女様、少し落ち着きましたか?」


 どうにかしてレオンを苦しめてやろう。そんな悪巧みをしていたら、いつのまにか涙は止まっていたようだった。


 何度も何度も、この境遇に“もう泣いてやらない”と思っていても勝手に涙が溢れてくるのだからほとほと困ってしまう。


「‥‥レオンは‥‥魔女をどう思う‥?」


 私は弱った声のまま問い掛けた。


「‥‥魔女、ですか‥‥?」


 いまレオンはどんな顔をしているんだろう。レオンの胸をそっと押して、心地の良いレオンの腕から抜け出した。

 私を見つめるレオンの瞳はどこまでも優しくて、まるで私のことを“守るべき対象”とでも思っているんじゃないかとすら思う。


 私の背に優しく触れていたその手で、間違いなく私の首を絞めたというのに‥。


「‥‥そう。魔女。‥‥私はもう苦しくて苦しくて‥」


「‥‥皇女様‥」


 どうして貴方まで苦しそうな顔をしてるのよ、レオン。


「‥‥魔女は皇室を憎んでるんでしょうね」


「‥‥魔女狩りによって‥ですか?」


「ええ。皇室が何故魔女狩りをしたのか分からないけど‥魔女は皇室を憎んで、復讐をしようとした」


「‥‥」


「ねぇ、レオン。貴方は知らないと思うけど、私はその復讐の対象なの。そんな私は、魔女を憎むことが正解なのかな。魔女狩りを始めたご先祖様を憎めばいいのかな。それとも全てを受け止めて‥スポンジみたいになればいいのかしら」


 ただただ悪意や憎しみを受け止める、すかすかのスポンジ。吸い込んで吸い込んで、堪え切れなくなって涙を垂れ流す。


 ーーーそんな存在、まっぴらごめん。私はせめて大切な人たちを守りたい。その時までは心を強く持っていたい。


 だけど心を強く持つだけでも、なんだかどっと疲れてしまうの。本当にスポンジになれたのなら、吸い込むだけ吸い込んで、静かにそっと生きていけるのでしょうけど。


「‥‥私は‥」


 レオンの双眼は私を見つめながら揺れていた。

演技が上手なら「魔女はもうこの世にいないのでは?!」「皇女様は魔女に何かされたのですか?!」なんていう反応をすればいいのに。


 あくまでもでまかせを言わないようにしながら、真摯に向き合おうとしているのかしら。‥‥なんのために?


「ねぇレオン、私を助けてよ。私、貴方のことが好きなのよ」


 悪いけど、私はでまかせを言うから。少しでも動揺すれば良い。もしもレオンに善意があるなら、罪悪感を感じればいい。


 それなのに、何故‥


 心がぎゅうっと苦しくなって、堪えきれないと言わんばかりに再び涙が溢れ出した。

 私のスポンジは既にパンパンに負の感情を吸い込んで、いっぱいいっぱいになっているみたい。敵相手だからか、レオンにはこの苦しみをぶつけてしまいたくなる。


 苦しい苦しい苦しい。‥苦しいよ、他者を苦しめたいと思っている自分が嫌だ。でも何をされても善人でいられるわけじゃない。汚い感情をぶつけたい。そう思ってぶつけているのに、どうして私が傷付いてるの。


 レオンに好きだと嘘を吐いて、何故私が苦しくなるんだろう。


 レオンが私の頬に手を当てる。優しいその手のひらの温もりのせいで、尖り切った心がどろどろに溶けていく。


「‥‥皇女様。私も貴女のことが好きです」


 ーーーーーえ?




 そうか。嘘を吐かないように言葉を選んでいると思っていたけど、やっぱりレオンも私と同じように流れるように嘘を吐くんだ。


 そう思いながらレオンの顔を見ると、レオンは伏し目がちに私を見つめていた。切なそうな、苦しそうな瞳。


 また心が痛くなる。ぎゅっと押し潰されそうな心の中にピリッと痺れるような刺激があった。


 もう疲れちゃった。もう、リセットをしてこの場を終わらせよう。レオンに無事に爆弾を落とせたのかなんて分からないけど、何故か私の心が余計に疲れてしまったからもう終わらせたい。


 吹っ切れたように小さく笑ってみせた。


 そんな私を真剣に見つめるレオンは、私の顎をくいっと持ち上げた。


 ーーーえ?


 流れるように、唇と唇が重なった。

何故キスを‥??キスをする必要まではなかったんじゃ‥


 レオンの胸を押そうとしたけど、レオンは片腕で私の背中をしっかりと包んでいた。


 もう放して、と何とか唇の隙間からレオンの名を呼ぼうとした時のこと。再び無理矢理重ねられた唇に驚いていると、次第に頬が濡れていくのを感じた。


 ーー私の涙じゃない。微かに震える、レオンの大きな体。何故か流れているレオンの涙。


「な‥んで?」


 なんで貴方が泣いてるの?それともこれも演技なの?


「‥‥皇女、様‥。私と2人で、逃げませんか?」


 ーーーーーーーえ‥?


「なにを‥‥」


「‥‥」


 唇が離れて目と目が合う。

レオンは優しい顔をして小さく微笑んだまま、ぽろぽろと涙を溢していた。


 もう私は何が何だかわからなくなって、リセット魔法を掛けてその場を終わらせることにした。


 2人で‥逃げる‥‥?ねぇレオン、一体どういうことなの‥?

私は貴方が分からなくて怖い。心が痛いのに、レオンのことが頭から離れない。


 もう、訳が分からないよ‥。

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