第15話


 バートン卿に腕を差し出した。その腕も震えているのだから、もはや笑えてきてしまう。同じ人間の筈なのに、今の私たちは間違いなく捕食者と、被食者だ‥。


「‥血が必要なのであればどうぞお好きなだけ飲んでください。私が魔女ではないと信じられないならば、信じなくて結構です。‥ですが、私はまだ死にたくありません。私を殺さないでください」


 バートン卿は険しい顔をしながら、掠れるような低い声を落とした。


「‥‥‥死にたくない?もし本当に皇女様なのであれば、死にたいと願うに決まっている。魔女が好き勝手した体なのだから」


 私が魔女に体を乗っ取られていたことを知っていたバートン卿のその言葉は、まさしく私が一番最初に思ったことだった。


 ーー私も思ったことだったけど、生きていきたいと願っている今、バートン卿の言葉は私の胸を酷く抉った。

 死を選ぶことが当然なのに、何故生きているんだ?と言われているんだ。存在を否定されることは、こんなにも傷付くことなんだなぁ‥。


「‥何故、そんな顔をする」


 バートン卿は、私の体にまだ魔女がいると思ってる。だから、見慣れない私の反応にいちいち眉を顰めた。


「‥‥‥‥傷付いたからですよ」


「ーーーは?‥魔女のお前が、傷付くだと?俺の体を吸血鬼に変えたような女が何を言ってるんだ。いつまで皇女様の振りを続けるのか見ものだが、生憎お前のおふざけに付き合うつもりはない」


 魔女がバートン卿の体を吸血鬼にしたんだ‥。

だから、バートン卿は魔女の存在を分かっていたのかもしれない。


「‥‥血を。必要なら、飲んでください」


 もう信じてもらうのは諦めた方がいいのかもしれない。眉を下げながらそう言うと、バートン卿は私が差し出していた腕を強く引いた。

 腕に切り傷を作って血を吸うのだと思っていたのに、私は鼻っ柱をバートン卿の熱い胸板に打ち付けることになった。

 

 突然首筋あたりにふわりとバートン卿の髪がかかる。あまりにも近い距離に驚いてバートン卿を押し返そうとしたけど、バートン卿の力強い両腕が私を逃がしてはくれない。


「バ、バートン卿?何を‥」


 首筋に、何か鋭いものが触れた。ーーズプッと音を立てて肌を破ったソレが吸血鬼のであると気付いたのは、血を吸われ終わった後だった。


 痛い筈なのに、じわじわと全身の末端まで暖かく痺れていく。血を吸われる度に全身の血が歓喜の声を上げているようだった。恐怖に震えていた筈の体は、何やら経験したことのない快感に震え出す。

 私と同じように息を荒くしたバートン卿にソファに押し倒された時に、今が一体どんな状況なのかを漸く把握した。


 頬を紅潮させたバートン卿は、熱っぽい視線で私を見ていた。ーーまさか‥‥これ、そういう流れなのでは‥?完全にスイッチが入っている体とは裏腹に、脳が急激に冷静になっていく。


 私の鎖骨に顔を埋めて、荒々しくも官能的に唇を押し当て始めたバートン卿。それだけでブワッと全身に刺激がまわる。私は詳しくわからないけど、これは明らかに快感がドーピングされている気がする。吸血行為が互いの欲を高めている‥のかも。


 なんて、冷静に分析している場合じゃない!


「待って、待ってください!バートン卿!‥あっ!」


 まるで動物のように私を貪ろうとするバートン卿の顔を、無理矢理引き剥がした。


「っ、邪魔するな」


 手のひら全体でバートン卿の口元を抑えていると、バートン卿はその手のひらにキスをした。


「ひぃ!!ちょっと、本当に、やめてください!!人を呼びますよ!」


「何を今更‥。何百回交わったかわからないのに」


 ーー何百回ですって?!?!?!?!


 私はなんとか上体を起こし、私の指先にキスをするバートン卿から、全力で腕を引いた。

 バートン卿はめげずに目を伏せながら、また私の上体を押し倒そうとしたけど、私はそんなバートン卿の頬を思いっきり打った。


 ーーパァン。


「‥‥‥‥え」


 バートン卿は頬を押さえながら、一瞬何が起こったのか分からないような顔をしていた。


「な、な、な、何百回も、こんなことをしたのですか」


「‥‥‥‥‥え?」


「信じられないっ‥‥。貴方が変態だということはよくわかりました。あぁ、信じられない‥。もう、出て行ってください。‥早く私から離れて」


 あぁ、最低よ。最悪よ。

バートン卿もきっと被害者で、そもそも魔女のせいでこうなったんでしょうけど、夜の意識が全くなかった私にとって、これ程にショッキングなこともないでしょう。


 あまりの恥ずかしさから、ポロポロと涙が溢れてくる。きっと眉は情けなく下がって、顔はぐしゃぐしゃで、茹で蛸のように赤い筈。


「‥‥‥‥ま、さか‥‥‥本当に、皇女様‥‥なの、デスカ」


 バートン卿はぱちぱちと瞬きをしながら、絞り出すように声を出した。私はキッとバートン卿を睨みつけて、ぐしぐしと涙を拭き取り、ドレスの裾を直した。


「‥‥お帰りください」


「こ、皇女、様‥」


「‥」


「も、申し訳ありません、その‥」


 顔色を途端に青くさせ、眉を下げ始めたバートン卿。そんな彼の姿を見て、私も段々と冷静になっていく。


「‥‥いま、実際に私も体感したので、魔女の魂胆で理性が飛んでしまうことは理解しました。ですが、今の私にはあまりにもショックが大きいので‥今日のところはお帰りください」


 私がそう言うと、バートン卿は暫く黙り込んだ後、小さく「‥はい」と言って出て行った。


 たぶん‥バートン卿からの死亡フラグは消えたけど‥‥。

 ーー魔女に対しての怒りが沸々と募っては、やるせないため息が何度も口から溢れ出した。


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