第13話 見上げるその先に ACT3
夏休みもそろそろ終盤を迎えようとしていた。
あの日「珈琲が飲みたい」といった律ねぇに淹れた珈琲。この家で最後になる珈琲だと思う。
葬式から、一通りの儀式という表現にしか僕には思いつかなかったが、何とか落ち着いた。
人がこの世を去るということは、これほどまでに大変なことなんだということを身をもって経験した。まだ17歳の僕にとっては荷が重すぎる。
律ねぇをはじめ、三浦さんたちも本当に力を貸してくれた。
「結城、お前は何もしなくてもいい。いや、するな。これは俺たちがやらねばならねぇことだ。太芽と恵梨香さんを送ってやることしか出来ねぇ俺たちが、やるべくことなんだ。ただ、お前はその間ずっと、あの二人に寄り添っていてくれればいい。そうすればあいつらも安心して、旅立てるからな」
そう言ってくれた三浦さんの言葉はとても心強かった。
性格も、容姿も父さんとはまるで違う。でも、なぜか彼が傍にいてくれるだけで、心が落ち着いてくるような気がした。
あの発達した入道雲は雨を強く降らせ、雷鳴をとどろかせている。
さっきまでは青空も見えていたが今は薄暗い。
リビングで珈琲を二人で飲みながら、その雨の雫を僕と律ねぇは眺めていた。
僕と彼女の唇が自然と触れあい、彼女は僕の体を強く抱きしめた。
多分最後だろう。こうして律ねぇと日常という時間を共に過ごすのは。
まだ半分くらいカップに残した珈琲を置いたまま、自分の部屋に彼女をいざなった。
律ねぇは何も言わずぎゅっと僕の手を握りながら、部屋に入る。
そしてまた、お互いの唇を重ね合わせる。
白く少し汗ばんだ肌が僕の肌と吸い付くように直接触れ合う。外の雨はまだ屋根に雨粒を打ち付けるように降っている。
それからどれだけの時間が過ぎたのだろうか。
食事もとらず僕らは、ずっとふたりの時間を過ごした。……最後の二人の時間。
夜が明け、カーテンから差し込む光が、うっすらと目を開ける瞼に差し込んできた。
隣で気持ちよさそうに寝ている律ねぇの顔を眺め、もうこの人は近くて遠い存在になるんだというのを改めて感じていた。
「何よぉ、私の顔をじっと見つめちゃって、どうしたの?」
「起きていたの?」
「うん、で、どうしたの? もしかして本気になちゃった?」
「えっ! そ、それは。そのぉ……」
「あはぁ、なんか結城困ってる。そうか、そんな気になってくれてたんだ。でも結城からしたら、私なんて年の離れたおばさんだよ」
「おばさんだなんて、そんなこと一度も思ったことないよ。律ねぇは、律ねぇだから」
「そっかぁ、そうだよね。でもさぁ―――――」
「んっ?」
「ええっとね。今更なんだけど……危険日だったんだよねぇ」
「危険日って……え、え―――――! ほんと?」
「うん、ホントよ。もしかしたらできたかもね」
「マジ?」
「マジだよ。でもいいんだ。もし出来たら、私結城の子産むから――――産んじゃだめぇ?」
「えとっ、ええええええ―――――っと」足らりと汗が流れた。
「あははははは、嘘よ。大丈夫よ。そんなに心配なんかしなくたって大丈夫」
「ほんと?」
「ほんとよ」と、にっこりと律ねぇはほほ笑んだ。
「さ、シャワー浴びよっか。おなかもすちゃったし」
「う、うん」
二人でシャワーを浴びた。濡れた律ねぇの体はそれだけで求めたくなる。
「何よぉ。まだ足りなかったの? もうほとんど一晩中抱いていたくせに。若いよねぇ」
「うっせい! 律ねぇの体が綺麗すぎるからいけないんだ!」
「ふぅーん、それ、誉め言葉として受け取っておくかぁ」
なんとなく茶化されてむっとした。
軽く朝食をとって、珈琲を飲みながら、律ねぇはメモをよこした。
「これ、三浦さんの家の住所。お店と一緒だからすぐにわかると思うわ。聞いたよ、結城が好きだった彼女って恵美ちゃんだったんだ。なんか偶然というか運命さえ感じちゃよ」
「………でも振られた」
「そうねぇ――――。振られたねぇ。そして一緒に住むことになったねぇ―――――」
「何が言いたい。律ねぇ」
「いやぁ―、振られた相手と一緒に住むなんて、結城あんた辛いねぇ」
「あっ! ――――なんか物すげぇ気まずいんですけど! それに火をつけないでくれる。律ねぇ。それとも楽しんでる?」
「さぁ―、どうかな。でも面白いことになったわねぇ。これからのあなたの生活ぶり、監視しないとね。この子と一緒に」
「だからさぁ、マジだったの危険日って」
「嘘ぴょん! そんなへまなんてしませんよ」
ちょっと一抹の不安が僕の頭の中に淀んでいた。
にこやかに笑う律ねぇ。ようやく、元の律ねぇの笑顔に戻ったかのように思えた。
それから、律ねぇは、この家を後にした。
今度会う時は……僕らは。
ただの知人という関係になるんだということを。
僕も彼女も……知っている。
もう、戻れない関係になったことを。
その日、僕は、振られた彼女の家に行く。
次第に気まずさが湧いてくる。
でももう行くところはない。
僕は―――――ひとりっきりになったんだ。
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