第9話・斜陽

 「景気は悪いらしいな」

 「ヤクザの景気なんざ、今世紀になってから降る一方ですぜ」

 「もう二十一世紀も七十年以上過ぎてるんだが」

 「ああ、道理で爺さんの代から金に困った話しか聞かねぇわけで」


 三代続けてヤクザという家系もどうなんだ、と思いつつ、神戸組の金庫番、仏の名草こと名草清三の悩みの無さそうな横顔を見る。

 ちなみに「仏の」と言われているが、仏のように優しいという意味ではなく、六十近くなりすっかり皺じみたスキンヘッドの後頭部に弥勒菩薩だかの彫り物を入れているからだ。今日日これ見よがしに入れ墨なぞ彫っている辺り、度胸が据わっているというかヤクザ以外の何者にもなるつもりがないというか。


 「で、いつもの確認だけで帰って来たとも思えんのですが。何かありましたか、お嬢」

 「いつもの確認だよ。それだけだ」


 組の資料室(日本庭園までついたご立派なお屋敷に似合わない、ゴツイサーバーラックの置かれた和室の一部屋)に籠もっていた私は、清三の持ってきた茶を啜ってその温さに顔をしかめる。


 「気に入りませんか」

 「どっちの話だよ」

 「お仕事の方ですよ」

 「……ん、まあな」


 ごっそさん、とひと息で湯飲みを空にし、清三が持ったままだった盆の上に置く。

 畳敷きの部屋に胡座で端末のコンソールに向かっていると、集まっている情報のアレさ加減と相まって気が滅入ってくる。

 そして部屋の容積と消費電力ばかり消費する古い機材ばかりだから、結果が出てくるまで時間がかかる上にネットに繋がってない機械なものだから、出力結果も紙にプリントアウトしなければならない有様だ。


 「…そろそろなんとかならないのか、この環境は」

 「大陸のマフィア対策にはネットに繋がないのが一番ですからねぇ。情報の速さより虫の心配をせずに済む環境を重視した結果ですから仕方ねえですよ」


 もっともな話だ。

 今どきの大手の非合法組織はチャカやらドスやらぶん回しての切った張ったより、デジタルの世界で電子のカネを弄る方が効率がいい。

 もちろん暴力が最終的に物を言う場面もあるから、私のような稼業やこの組のような時代遅れのブツが生き残る余地もあるわけだ。

 とはいうものの。


 「そろそろこの稼業も店仕舞いですかねえ…」


 清三がしんみりと言うくらいには、先の見えない商売であることに違いはないのだった。


 「まあそう言うな。どうせお前も私も他の生き方なんぞ出来ないわけだしな。人間生きてる限り、何かやって食い扶持を稼がなけりゃならんさ」


 それが他人の命を奪ってやることでもな、と思いはしたが口にはしなかった。

 百年も前に比べればヤクザなんてのも命の奪り合いをする機会は減ったものだが、それでもこの組の活動全部を数え上げれば、私なんざ問題にもならないくらいに血を流しているわけだ。独り立ちする時に金勘定について散々教え込んでくれた清三に、苦い顔をさせたくはないものだ。


 「…最近オヤジも看板下ろす話なぞ始めましてね……アタシでなくとも顔が曇るってもんでさ」


 だが、そんなこちらの気遣いも無駄なようだった。肝腎要の頭がそんなことを言い出すようでは、下の者の気が勝れるはずもないというのに。


 「アレが?耄碌したものだな。『屠龍の寛次』の名が泣くぞ」

 「お嬢が出て行きましてからめっきり弱りまして」

 「…そうかあ?」


 ここで私が首を捻るのには歴とした理由がある。

 曲がりなりにも育ての親であるから、独立した後も仕事上の用事以外にも稀に顔を出してはいたのだが、その度に喧嘩ばかりしていたように思う。

 もう七十近い筈なのだが、取っ組み合いみたいな真似をしてもほとんど勝てた覚えがない。いくらこちらが女の身であるとはいえ、弱ったとはとても思えんのだが。


 「お嬢が帰って来る日は、いつもえらくはしゃいでおりましたからな」

 「そんなもんかね…」


 データベースからログアウトした端末の画面を確認し、座布団ごと清三に向き直って顔色を確認する。

 こちらをからかっているようには見えず、なるほどあの殺しても死にそうにない老人の気性に衰えがある、というのもまるきりの嘘や冗句というわけでもなさそうだ。


 「……ならこちらから顔を出せば、多少は顔色も良くなるだろうさ。喜んで見たい顔じゃあないが、茶飲み話くらいになら付き合ってやってやろう」

 「助かります」


 よしてくれ、と苦笑しながら席を立ち、親父の部屋に向かう。

 収めているものがものだけに、資料室はヤツの部屋とすぐ近くだ。ヘタすれば今の清三とのやり取りも耳に入っていたかもしれない。

 ま、いいけどな、と至極フラットな心持ちで、ひどく色褪せた襖を開けた。


 権田原寛次。

 ヤクザなどという、内には官憲に取り締まられ外には中国マフィアに圧迫され、日本においては絶滅危惧種扱いされている、今となっては非合法というより合法非合法の境を綱渡りして糊口を凌いでいる、はみ出しものの吹き溜りをまとめ上げている老人。

 そして私の忌々しい名付け親。ついでに育てられた覚えもある。そこの所に恩義を感じなくも無いが、かといって敬愛する義父とかわいい娘、などと言うにはほど遠い関係。


 そんなややこしい心情を抱く相手は。


 「ほぉれ、これも食べてみんか?」

 「うん。ピュロスこれ大すき!」

 「そうかそうか。まったく母親に似ずに素直に育ったいい子だの」


 ……ウチの居候のガキに、手ずからプリンなんぞを食わせていやがった。




 私は暗殺者アサシン

 今一番殺したい相手は誰かと問われれば、この相好崩れまくった強面こわおもてのクソジジイに、他ならない。

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