第160話 桶

嫌な目覚めだった。

俺があんなリアルな夢を見る時は、きっと何かの暗示な気がする。

まさかと思うが、桃代の見せた夢なのかもしれない。

もしもそうならば、コイツの心の奥底には、どんな闇が潜んでいるのだろう。


それなのに、しあわせそうな顔をして俺に抱き付いたまま、全く起きる気配を見せない桃代さん。初夏とはいえ、もう夏だ、おまえが抱き付いている所為せいで、俺は汗だくだったのかッ!


抱擁ほうようなのか体固たいがためなのか、よくわからない抱き付き方をする桃代を引き剥がし、俺は起き上がるとベッドを後にする。

汗だくのシャツを着替えて用意をすると、日課の桃香の塚に一人で行く。


この時期の早朝は気持ちが良い。

お日様が、まだ低い位置にあるのでジリジリとしたしが無い。

近くに川や滝があるおかげで、風は涼しくて木陰に入るとヒンヤリしている。


水の入る重たいバケツの所為せいで、歩き辛いのも苦にならない。

清々しい気持ちで山頂に着くと、俺は塚に水を撒き、軽く神社の掃除をする。

残りの水で雑巾をよく洗い、拭き掃除をする。


俺は一人になりたい時や、考え事をしたい時などに、この神社の中でよく過ごす。

俺にしてみれば、ここは誰にも邪魔をされない、俺だけの秘密基地なのだ。


何時いつものように取っ手に指を掛けて扉を開いたところで、いきなり俺の頭に衝撃が走る。

うっ・・・なに? 痛い・・・何かがぶつかった? 取りあえず痛みでイライラしたところで原因を探すと、足元に小さな桶が落ちていた。


誰だッ! こんな物を投げつけやがってッ、怪我でもしたらどうするつもりだッ。

俺は投げ返そうと桶を拾い、前を見て固まった。


あまちゃんが居る。

何時いつものお供のかたも二人いて、一人は桶を投げ終わり、もう一人は、今まさに柄杓ひしゃくを投げようとしている。


この時期の早朝は気持ちが良い。

弱い日射ひざしに、涼しい風とヒンヤリしている神社の中。


それなのに、俺はだらだらと汗をかき始め、どんよりとした重たい気分になった。


「なんじゃ紋次郎。入る時はノックくらいせぬか、このバカものが」

「えっと、はい、すみません、次からは気を付けます・・・えっと、あまちゃんさん? 随分久しぶりですけど、何故なぜここに?」


「なんじゃ、神社はもともと神の立ち寄り処。われが居て、何か不都合があるのか?」

「いえ、とんでもありません。もう、ここには来られないと思っていたので。はい」


「まぁ、よい。それでなんの用じゃ。わざわざ、桶をぶつけられに来た訳ではあるまい」

「え~っと、ですね、オイラは神社の拭き掃除をしようかと思いまして・・・出来れば柄杓ひしゃくを投げるのをやめて頂けると・・・の部分が額に突き刺さりそうな持ち方をされてますので」


「うむ、よい心がけじゃ。じゃが、紋ちゃんおぬし、また妙なモノに好かれたようじゃな。何をしたら、そんなに物の怪に好かれるのじゃ?」

「・・・あの~ そのに関しては、オイラはこれから、どうすればいいのでしょう。自分の意思で好かれてる訳ではないので・・・」


「まぁ、己で解決するしかないのぅ。邪魔が入ったのでわれは去る。しっかり掃除をしておけよ」

「・・・はい」


久方ひさかたぶりのあまちゃんは、お供の二人を連れて出て行った。

あのかたたち、ここで何をしていたの? 聞きたい気持ちはあるが、聞くとろくでもない事になる気がするので聞かない。


俺はキツく絞った雑巾で、壁板や床板をつやが出るまで磨くと、急いで母屋に戻る。

お供の人が、忘れ物の桶を取りに来る可能性があるからだ。


でも、なんでまた、あまちゃんが現れた? 俺は帰り道で、そんな事を考えている。

だが、考えてみたところで答えは出ない。

あのかたの行動に、俺の思考が追いつくはずもない。


俺は庭にバケツを置くと母屋に入る。

中では不機嫌な顔をした桃代が、腕組みの上にデカい乳を乗せて、俺の帰りを待っていた。


「もうッ! どうして一人で出掛けるの、誰が一人で出掛けていいって言ったの。紋ちゃんは、いま自分がどういう状態なのか、わかってないの」

「・・・あ~そうな、忘れてた。でもまあ、無事だったからいいだろう。それよりも桃代さん、神社で懐かしいヤツに会ったぜ」


「うむ、紋次郎。懐かしいヤツとはわれの事か? ヤツの意味を、辞書で引いて謝罪に来い」

「げッ、何故なぜここに・・・すみません、親しみを込めただけなんです。嫌味な意味で言った訳ではありません」


「変わっておらんのぅ紋次郎・・・・おぬしのバカはッ。われは朝食に呼ばれたのじゃ。モモよ、あとは任せたぞ」

「は~い・・・・・紋ちゃんには、後で話があるからね。覚悟しておきなさい」


嫌な目覚めに続き、嫌な展開だ。

俺はあまちゃんのご機嫌を取る為に、桜子を連れて、甘い物を買いに行く事にした。


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