はちみつレモン

はちみつレモン

作者 白石こゆぎ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054917233887


 東京に住む宇都木渡は両親が十日間旅行に行って留守の間、茨城の叔父の家に預けられ、隣家に住む宇都木里子と日々を過ごして仲良くなる夏の物語。




 サントリーフーズの清涼飲料水を彷彿させるタイトルがつけられている。レモネードのことだろうか。それとも青春の味なのかしらん。それは「読んでのお楽しみ」である。


 文章の書き方には目をつぶる。

 主人公の宇都木渡の一人称「僕」で書かれた日記形式の文体。なので凝った描写はみられない。茨城の親戚の家で過ごした十日間にあった出来事を時系列順に、その時おもったことや会った人の情報など、記録していくように書かれている。


 本作を読んでいて、灰谷健次郎の『兎の眼』に書かれてある「苦労しなくても一発でよいつづり方を書く方法」をおもい出す。

 したことは×。見たこと、感じたこと、聞いたこと、おもったこと、いったこと、その他は○。

 文には、いいものばかりでは味気がなくなるので、わるいものもちょっと入れておくと味のある文ができるという。


 単調な文章だと文末が「~た」ばかりになる。

 文章が不自然に感じると、文末がやけに目に付く。

 小学生の日記みたいに感じるのは、主人公、宇都木渡の性格を表しているのだろう。あるいは叔父の暮らしている場所は、自然豊かでのんびりしていて、都会に比べたら単調だということを暗示させているのかもしれない。



 本作のキーパーソンは宇都木純、無職の彼である。

 宇都木渡の父親の弟なので、年齢は三十代後半か四十代と推定。

 両親が旅行に行っている間、預かるだけでなく、色々面倒をみてくれている。

 隣家の里子と出会えたのも「散歩してきなよ」と促したからだ。

 里子が一目惚れしたのを見抜いたあと、彼は「安心しなよ。俺はなんでもしてやる」と、いろいろ世話を焼いてくれている。

 持ち山でカブトムシを取ればいいとすすめたり、虫かごを用意してくれたり、「なぁ、里子ちゃんってかわいいよな」「そうだよ! この辺りで一番かわいい女の子だと思うぜ。全く人見知りせず積極的に話して、誰に対しても優しい子だからな」と彼女の良さを伝えたり、三人でトランプを遊んだときも「お前ら仲いいな!」といったりする。

 里子の父親、雅人が娘のために渡を野菜収穫に誘いにきたとき手伝うよういわれたときも、なんだかんだいって手伝っているし、驟雨隠した野菜を使って作った冷やし中華を食べたとき、「シャキシャキして美味しいですね!」という渡に「それ、俺に言うべきじゃないだろ? 隣だから言ってこいよ」と里子に会うきっかけを与えようとしたり、里子が遊びに来たとき「おじゃましてます! あなたの甥っ子を取りに来ました!」「それってお嫁さんになるってことかい?」と返したり。

 頼まれたわけでもなく、二人の世話をずっとしてくれている。

 なぜなのかといえば、「本気で愛し」「結婚しようとまでいってた女性が」「最終的に自殺し」てしまった経験があるからだ。彼は「他の女性を選ばず」「亡くなっても愛し続ける」ことに決めたのだ。

 これは彼の生き方だ。自分にはできないけれど、他の人達は、愛する人と結婚して幸せになってほしいとおもっている。だから、渡や里子にさりげなく助力しているのだ。彼のサポートがなければ、二人は進展しなかったかもしれない。


 出会った頃の純との会話をみると渡は、「いえ、特に」「はい。そうです」「ありがとうございます」「分かりました」「ごちそうさまでした」「おはようございます」「分かりません」結構真面目で人見知りするような子だと感じる。しっかししていて、やや硬い感じ。素直さがなりを潜めている。

 毎年顔を合わせてよく話す相手なら違うだろうけれど、彼が叔父の家にきたのは三歳の頃以来らしいし、自分の父親の弟なのだから、歳は離れている。慣れない土地に一人きりできたのだから緊張もあるし、馴れ馴れしい接し方はできないだろう。


 駅まで迎えに来てもらって叔父の家に行く道中、「軽トラから見える景色は畑、畑しかない」とある。

 森も林も民家もなく、見渡す限り畑なのだろう。おそらく、関東平野の千葉県北部から茨城県南部にかけて大きく広がる洪積台地であり、関東平野の一部である常総平野に叔父の家はあると推測する。


 食事に納豆がよくでてくる。

 二〇二〇年の総務省家計調査によれば、一世帯当たりの納豆の年間購入額で茨城県水戸市の順位は五位。

 一位は昨年に続く福島市、二位は山形市、三位は盛岡市、四位は仙台市。年々順位を下げているという。

 県別で見ると、一世帯あたり納豆消費量が最も多いのは福島県。納豆といえば水戸納豆が有名な茨城県の消費量は福島に次いで二位。三位以下は岩手県、群馬県、山形県の順。

 東日本でよく食べられているのがわかる。

 水戸商工会議所は二〇一九年に「納豆食べ方コンテスト」を開催し、日本一の納豆チャーハン&納豆パスタ決定戦を行っている。チャーハン部門ゴールド賞はサバを使った納豆チャハンだった。

 茨城では、納豆チャーハンはポピュラーな食べ物なのだろう。


 おばあさんが自分のことを「俺」と呼んでいる。

 茨城では江戸時代の庶民の慣習が今も残っている。上下も男女の関係も関係なく、一人称は『おれ』が最も多用されているという。その名残りを目の当たりにした主人公の様子が書かれている所が、違うところに来た非日常感がでていてよかった。

 彼は東京の杉並区に住んでいるのが四日目でわかるのだけれども、冒頭で都市部に住んでいるようなものを感じさせるなにかがあっても良かった気がする。

 二日目の終りに里子と会うシーンがあるが、そこではどんな姿だったのかは書かれていない。彼女の姿がわかるのは、翌日三日目の冒頭、思い出しているところでだ。

 しかも彼女と会ったときに純の甥と話しているのに、彼女は「純さんの家の姪っ子ね!」といっている。なぜだろう。


 純の話では、「ここら辺は宇都木さんが多い」「み〜んな宇都木」だという。茨城県古河市やかすみがうら市、猿島郡境町に多い苗字らしい。

「ハハッ里子ちゃんすげぇな。やっぱり男は欲しいのかな?」

 という純のセリフから、おそらくこの周辺には同い年、あるいは同年代の男がいないのだろう。だからはじめ会ったとき彼女は「姪っ子」と呼んだのだろうか。だとすると、主人公は色白で、女の子っぽい容姿をしているのかもしれない。

 六日目で里子の父親が「あの子は近所に友達はいないんだ。いつもは暇と言って憂鬱そうな顔をしている。けどな、今の里子はすごい笑顔だ」というセリフから、彼女には友達もいないことがわかる。

 だから四日目に主人公が杉並区から来たと告げたときに「まるでお宝でも見つけように目をキラキラさせ」たのは、都会の子だ~っ、仲良くしよう、ついでにゲットしようと思ったのではないかしらん。


 主人公は主人公で、「里子ちゃんはわんぱくな女の子で笑顔を良い女の子だ。自分の学校でも見ない優しい女の子だ。学校の女子なんて僕をゴミのように見てる。それに比べて里子ちゃんは、僕と対等に接してくれる。とても嬉しい」と心内を語っている。


 主人公は、これまでにカブトムシを取ったことも野菜を収穫したこともなかったかもしれない。彼女はわんぱくで、自分とは違うけれどもフォローしてくれたり、不満も言わない。

 学校や通学路などで見かける女子も里子も同じ女の子なんだけれども、まったく違う反応にドキドキしてきているのだ。


 里子はエプロンをプレゼントし、それを着けてなにか食べさせてとお願いする。彼はベーコンエッグを作ってあげた。

「似合ってる! 味は……美味しい! 私、渡くんみたいな旦那さんが欲しいな」と、彼女はアプローチかけている。しかも主人公も満更でもないから、恥ずかしくて「水を飲んで頭を冷や」すのだ。


 八日目にタイトル回収のように、はちみつレモンを飲む話がでてくる。主人公を家に招いた里子は、母親にのみたいと言うと、「えっレモンまだ緑色だよ? 無理だよ」と答えている。つまり、家で作っている檸檬をつかって、はちみつレモンを作り、日頃飲んでいるのだ。それをもうすぐ帰ってしまう彼に飲ませてあげようと、家に招いたにちがいない。一つでも多く、彼との想い出を作ろうとしているみたいに思えてくる。

 普通のレモンがある、といわれ「『じゃあそれで!』『いつも通りでしょ』呆れた顔をして里子ちゃんのお母さんは里子ちゃんをはたいた」という母娘のやりとりが、日常の一コマをみたようで、実に微笑ましい。

 

 帰る日の前日、いつもは午後に来る里子が午前中に来て「渡くんと一緒に居たい……から! 私はね今日渡くんと一日中居たいの!」と懇願すると純がニヤニヤしながら問いかける。

「返却はいつ?」

「明日の朝まで!」

 里子は、幼い子供のようにストレートに気持ちをいう。素直が一番だと思わせてくれるシーンである。

 明日帰るから駄目だけど、「夕食を一緒に食うぐらいならいいぞ」といわれたら、「分かった! ありがとう純さん!」とお礼を述べて、「喜んで可愛らしい笑顔を浮かべ」る里子の姿から、実にいい子なのが伝わってくる。

 

 初めて会ったときかぶっていた麦わら帽子の話をしたとき、「私の事が気になるの?」と問いかける里子に主人公は「いや、特に」と答えている。

 男子はこういう生き物。彼女のように、ここできちんと自分の気持ちを言えばいいのに、いわない。

 なぜなら、照れがあるから。だから彼は彼女のように素直に言えない。もちろん彼女にも照れがある。でも、好きに対しては素直なのだ。

 ここが男女の違いなのだろう。

 おまけに一緒に折り紙をしていたとき、机にあった手紙が目に入ってしまい、気まずくなる。

 

 最後の日、純との会話の中で「ヘヘッかわいいんだろ? 里子ちゃんが」と聞かれて「そ、そんなわけないじゃないですか」と答えるも、「照れるなって。俺もあったからさ」と続けていえるのは、純が男で、大人だからだ。なにより、渡の力になろうという気持ちが彼にはあるから。

 ここで「照れるな」と言われたおかげで、

「もう二度と行きたくないだろ? こんな田舎」

「いや、そうは思いませんよ。また行きたいなって思うくらいです」

 次の質問から渡は、素直に答えることができている。

 その後の行動も素直だ。

 彼女の家で別れを告げたとき、里子がそっけなかったのは、昨日の一件と自分の気持ちを秤にかけて逡巡したからかもしれない。それ以前にすぐそばに母親がいるのだから、親の前では告白はできない。


 駅に先回りしていた里子は、「コトバでいったほうがいいよね」昨日書いていた手紙を破ろうとする。手紙は読みたいからと制する主人公。

 彼女の告白を聞いて、彼は涙する。

 嬉し涙だろうか。

 彼もまた、照れずに自分の気持ちを彼女に素直に伝えられた。

 叔父の純に促されていなかったら、この結末には至らなかったにちがいない。


 十日間でも人は成長する。

 その様子を垣間見たような、そんな作品だった。

 



 






 




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