中間選考作品
卒業
卒業
作者 時雨
https://kakuyomu.jp/works/16816700426484000472
女子高生がホームに設置されたピアノを弾くおじさんと出会い、それぞれが卒業する物語。
恋愛小説ではないのだけれど、似たような雰囲気を作品から感じる。
誤字脱字等があっても目をつぶる。
一人称で書かれている。
一話は女子高生視点。二話はおじさん視点。三話は再び女子高生視点。エピローグにはあとがきがあり、本作では卒業をテーマに書かれてあること、別れは終わりではない、寂しくてもいいものだ、ということが作者より明示されている。
タイトルはシンプル。誰の、なにからの卒業なのか。それは「読んでからのお楽しみ」である。
一話は、ドビッシーの月の光である。
作曲のきっかけは、フランスの詩人ヴェルレーヌの詩集『雅なうたげ』に収められた『月の光』にある。
楽しいこと、悲しいこと、相反するものが渾然と一体となった曖昧な世界が描かれた詩にひかれたドビュッシーは、まず歌曲を作曲。最初の恋人ヴァニエ夫人に捧げる。八年後、今度は言葉を使わずにピアノの音だけで『月の光』の詩の世界を奏でる。
楽しくもあり悲しくもある、どちらともいえない世界。
彼女の気持ちを表しているのだろう。
卒業したままの制服姿の女子高生が、雨が降る夜の電車に乗っている。「よく考えたら、久しぶりにこの時間に制服を着た」とあるので、卒業式が終わって帰宅し、私服に着替えて過ごした後、再び制服に袖を通して電車に乗った、ということだろうか。
制服に着替えて電車に乗った後、「ガラの悪いみんなの中でたった一人制服だったけど、赤色のインナーカラーとピアスのせいか、絡まれているとは誰も思わなかったみたいだ」ということがかつてあったことを、回想しているのだろう。
はじめて夜遊びをし、おじさんのピアノを聴いたときの彼女の出来事である。つまり、電車に乗っているときから、おじさんのピアノを聴きに行こうとしているのがわかる。一読目の一話ではわからない。
最寄り駅に着き、「音楽の流していないヘッドフォンを取った」とある。
外部と遮断するために音楽を聞くことはあるが、彼女は聞いていないので、聞いているポーズをみせて接触を避けようとしている、もしくは雑音を聞かないようにしている。
イヤフォンではないのだ。イヤフォンでもノイズキャンセリング機能のついたものはある。だが、ヘッドフォンのほうがよりノイズをカットできる。あるいは、そんな機能はついてなくて、耳栓代わりにヘッドホンを付けているだけかもしれない。
高機能のものはヘッドフォンの方が高いが、安いヘッドフォンはいくらでもある。
彼女は「昔から私は耳が良くて」といっている。
耳が良いと音にもこだわるし、女の子だからそれなりにお洒落にも気を使うので、ブランドのヘッドフォンをつけていたかもしれない。
ヘッドフォンはおそらく、「私は耳が良くて、音がよく聞こえて、だからこそ彼の音と出会ったのが、雨の日だったのかもしれない」と回想をはじめるための小道具。
外界を遮断し、社会の雑音をなるべく入らないようにしてこれまで彼女を守ってきたが、おじさんに会うには外さなくてはならない。おじさんの奏でるピアノを聞くには必要ないものだから。
外すと一気に雑音が広がり、同時に回想がはじまって話は高一の七月に飛ぶのだ。
はじめての夜遊びの帰り、暗い小さな駅にある「煤けた蛍光灯に黒光りするアップライトピアノ」から音が聞こえてきた。しかも音のくるったピアノだ。
誰が弾いているのだろうとあれこれ想像していると、予想を裏切って「三十代から四十代ほどのお・じ・さ・ん」が弾いていた。
彼女がそう見ているだけで、実際は若くみえる初老かもしれないし、老け顔の二十代という可能性も考えられるが、ここは素直に彼女を信じよう。
彼の姿は、「少しフチが太めのメガネが印象的で、刈り上げの髪をワックスで固めている。髭は生えておらず、目元には皺が寄っていた」「清潔感があって、何より目が優しそう」と描写されている。
太ってるのか痩せているのかはわからない。ただ、「楽しそうに弾くおじさんとも相まって、息を飲むほどに美しくて」とあるので、まるまるっと太ったおじさんは美しいというより可愛らしく見えてくるだろうから、どちらかといえば体格は細いほうかもしれない。
以来、彼女は「深夜の駅に、ピアノを聴きにくるようになった」のだ。
親御さんは放任主義かしらん。補導されてしまう。
毎日とは書いてないので、数日置きか。とにかく定期的に聴きに訪れるようになったのだろう。
二話は、葬式行進曲。
ショパンのピアノソナタ第二番第三楽章「葬送」。
葬儀において遺体を墓地まで搬送するときの行進をモデルとして作曲された行進曲である。
おじさん視点からはじまる。
未婚で両親も他界し、一人で暮らしている彼が飼っていた猫が死んだ。
猫の寿命は人と暮らすようになってから長くなり、平均十六年。年齢換算すれば、八十歳だ。なかには三十八年と三日生きたギネス記録がある。人でいえば百七十歳。少なくとも、彼の飼っていた猫は十五年くらいかもしれない。
若年層は十五から三十四歳、中年層は三十五から六十四歳、高齢層は六十五歳以上を表すので、作者は彼をおじさんと描いていることから、少なくとも三十五歳以上と推定する。
つまり、二十歳くらいのときに猫を飼ったのだ。
小動物を愛でるのは、近親者を失ったさびしさや孤独を埋めるため、という考えがある。
兄弟に言及されていないので、彼は一人っ子だろう。そのころにどちらかの親、あるいは両方が亡くなったのかもしれない。
彼はピアノが弾ける。子供の頃から弾いてきたのだろう。音楽大学に進んだのだろうか。私立なら四年間で学費が八百万から一千万近くになる。もちろん国立大学のほうが安く、四年間で三百二十万くらい。安いからといって気軽には入れない。生活費は別。自宅外なら五百万ほどかかるだろう。ここに留学費をくわえると、かなりの負担だ。
お金は随分かかるが奨学金制度もある。最高額を借りても一月十万円。四年で四百八十万。だいたい半分の足しになる。一カ月二万くらいを十五年ほどかけて返すことになる。
入るだけでも相当お金がかかる。両親が公務員とか、財力がないとむずかしいのではないかしらん。
在学中に親が他界したら続けるのは困難かもしれない。中退して就職したかもしれないし、なんとか卒業できても音楽だけで食べていくのは本人の熱意と努力が必要だ。
彼は会社で働いているので、株式会社河合楽器製作所に就職したのかもしれない。ヤマハ株式会社かもしれない。もちろん、音楽に関連していない会社かもしれない。
年齢が三十五歳か、それ以上だとすると、奨学金を返し終わった頃だ。
もちろん、音大に行かず、趣味でピアノを弾いてきただけかもしれない。少なくともピアノをさわっていないと弾けないし、腕がなまってしまう。
とにかく、彼のさびしさを慰めていた猫は死んでしまった。
葬儀を終えた後、貯め込んだ有給も全て消化するほど数日家で一人で過ごしている。これまでの彼の人生は、仕事と猫でさびしさを埋めてきたのだろう。
ようやく「鏡に映る自分は、髭だらけで、人相は悪くなっている」と気づいて身だしなみを整えていく。
いつからあるのか知らないが、駅のホームのピアノで葬送行進曲を弾く。
彼の家にはピアノ、キーボードがない?
仮にあったとしても、午後十時ではご近所迷惑になるから弾けなかったかもしれない。彼は未婚の独り身なので、アパートかマンション暮らしの可能性が高い。「最近は猫の看病で、全く練習していなかった」とあるので、どこかで弾いているのは間違いない。「家で練習しようと、外で練習しようと同じだし」とあるので、家にピアノの練習ができるものがあるようだ。
ではなぜ、家で弾かないのか?
ご近所迷惑だけが理由か?
いやいや。おそらく、家のピアノでは弾けないのだ。なぜなら、きちんとした音が出るように調律されているから。
さびしさを紛らわしていた彼の猫が死んでしまったのだ。今までの日常が狂ってしまった彼には、当たり前だった日々とはかけ離れた存在になってしまっている。調律されて狂っていない正常なピアノになど、触れないのだ。
彼が弾けたのは、駅のホームに置かれてある音が狂ったピアノ。「どうして駅に行ったのかは、自分でも分からない」日常が狂ってしまった彼だから、導かれるように「最寄り駅の埃を被ったピアノ」を思い出し、「鍵盤もボロボロ」でおかしな音が出るけれども、だからこそ弾けるのだ。
「これまたボロい椅子に座ると、エジプトのピラミッドに隠された棺を開くような気分になって、ひゅっと息を吸った」という表現が素敵。ピアノの蓋を開ける前のほうがいい気がする。
ソナタ第二番のなかでは、第三楽章は他にくらべて難易度は高くない。とはいえ、調律のままならないピアノではむずかしい。
猫のために彼は弾き、それから毎日仕事が終わって夜中に弾きに来るようになったという。
そしてある夏の日、女子高生が聴きに現れる。
「派手で露出している服装のせいで最初は分からなかったけど、表情はまだあどけなく、幼い顔つきをしていた。大人とは少し違った、言い方は悪いが甘酸っぱい雰囲気がする」と彼女が描写され、その姿は「ピアノの黒に反射したその姿を、こっそり盗み見た」とある。
何度も弾きにくるたびに、反射して映るほどに彼が綺麗にしたことが伺える。
少女に聴いてもらえることに嬉しさを覚え、少女のために、いつ彼女が聴きにきてもいいように彼は毎日弾くようになる。
三話はさくら
森山直太朗の二枚目のシングル。
元々は森山の友人の結婚をきっかけとして作られたものであり、デビューミニアルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』にバンドアレンジとして収録されていたものをピアノ独唱バージョンとしてシングルカットしたもの。
現在では、卒業式や予餞会、桜ソングの定番曲。
女子高生視点、一話の、駅のホームに降りたところからはじまる。「いつもとは違って制服のまま向かう」とあるので、聴きに来る時は、私服で家から最寄り駅まできていたことがわかる。
「高校生活一回も制服着て、その、貴方のピアノを聴いたことがないので、せっかくなら学生らしく、制服のままで」来たと、これまで言葉も交わすことなかった相手に打ち明けている。「卒業の報告だけはしようも思って」というところから、なにやらけじめをつけるような決意が彼女にあるのが伺える。
彼から「ピアノを聴くのが好きなの?」という問いかけから、彼女がどんな子なのかが明らかになる。
音楽を愛する両親の影響から、幼い頃から楽器に触れ、ピアノは好きだが、一番結果が出たのが「声楽」だという。だがコンクールで負けて以来やめてしまい、素行の悪い高校へ進学して、夜遊びをし、家では荒れているらしい。
夜になると家を抜け出し、ピアノを聴きに来ていたことがわかる。
自分でもなにをしていいのかわからなくなって狂ってしまった彼女だったからこそ、音の狂ったピアノが耳に引っかかり、足を止めて聴き入ることができたのだ。しかも、それを弾いていたのは、さびしさを紛らわしていた猫が死んで今までの日常が狂ってしまったおじさんである。
二年以上こんな日々が続いた今日、彼の伴奏で彼女は『さくら』を歌う。
おじさんからは彼女へ「卒業のお祝い」として。
彼女が歌う中、「次の春から異動がかかってさ、遠く離れた県に引っ越すんだ」と打ち明け、「ここに来ることももうほとんどないと思う」別れを告げる。
音の狂ったピアノを引く日々を過ごすことで、少しずつ彼の狂った日々も調律されていき、ようやくここから去ることができるようになったのだろう。彼にとって、猫を亡くしてからピアノを引いてきた三年近い日々は、必要だったのだ。
彼女は気づく、「ここから卒業しなきゃいけないんだ」と。
歌い終わってから彼女は、だれにも言ったことがない胸の内を、大人の彼に話す。
おじさんは「良いんじゃない?」と答え、「私だって、特にやりたいことはなかったし。今でもダラダラした生活を送っているし。妻もいなければ子供もいない」「まぁ、こんなおじさんが言うのもなんだけどさ、人生は長いから。あんまり急ぎすぎると良くないよ」彼の人生訓のようなことを彼女に告げる。
人生に正解はない。どんなに我儘に生きようとも、その責任を取れるのはただ一人、自分だけ。他人は責任を取ってはくれないし、取れない。
彼の言葉に嘘はない。ただ、あまりに悲しいことがあってやりたいことも思いつかないほどふさぎ込んだ日々を過ごし、自分を磨くために邁進していく人達にくらべたら、ダラダラ生活しているようにみえるだろうし、妻子がないのは事実だし。自殺や大病、事故などに巻き込まれない限りは人生は続く。人生百年時代なんて言葉もあるほどだから、高校を卒業したかのじょにしても、あと八十年ほど人生は続く。
死ぬ最後の瞬間、「いい人生だった」と言えるためにも何が幸せなのかを考えていくことが大切なのだ。
彼は去り、囚われ続けてきた弱い自分から卒業する決意をしたから、彼女もまたさる事ができた。
そして十年後、彼女は調律師として働いている。大学をすぐに辞めて自分で調べた専門学校へと入り、出してもらったお金は働いて親に返すことを約束している。
あの二年半、音の狂ったピアノを聴いてきた日々が、彼女の狂った日々を調律してきいたのだ。だからこそ彼女は、自ら進路を決めて進むことができたのだ。
あの日々は、彼女には必要だったことがわかる。
そんな彼女は、駅のホームにある、音の狂ったピアノも調律する。そして、駅を去ろうとしたとき後ろでピアノが鳴り、「思わず振り返って――」で終わる。
おそらく、弾いていたのはあのおじさんだ。
調律したピアノが弾けたということは、彼もまたこの十年で、調律した正常な日々を過ごしてきた証しかもしれない。
あとがきは、エピローグのページとわけたほうがいい。
だけど作者としては、そこを読んでほしかったのかもしれない。そこで書かれてあることは作品で語るものだとおもう。
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