風鳴り

作者 辰井圭斗

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 第4話 戦いの狼煙へのコメント

    捜索の時に写真を沢山撮っていた。写真撮影は事実上の押収にあたるので、止めた……。

    すみません、こういうことを言うのは憚られると思うのですが、ここが読みにくかったです。
    主語がわかりにくかったです。前者は、警察サイドが写真を撮っていた。後者は、それを見ていた向坂さんが写真を撮るのは控えた、ということでしょうか? 違うか。「押収にあたるから止めた」というから、警察が撮影を止めた、ということでしょうか?
    「写真を撮っていた」と来て、「撮影は止めた」。そこで、ん? と、混乱してしまいました。

    作者からの返信

    ありがとうございます。承知しました。自分の中で常識になってしまっているところで、抜かっていましたね。

    2021年9月9日 17:57

  • 第2話 夜桜へのコメント

    巷間、ちまたの字は知っていたのでなんとなく意味はわかりましたが、知らない熟語でした。本作はルビはあまり入れないようにしているのですか? 
    カクヨムにある作品って基本的にはルビが無くても読める平易な文章が多いと思っています。そんなところから、僕はルビを振るように意識しているのですが、本屋に並ぶ作品だとあまりルビを振らないことも多いですよね。それにどんな意図があるのかはわかりませんが、読むことが容易過ぎない分、読むことに自然と集中するのでしょうか?
    あ、いや。ここはあまり本作とは関係ありませんでしたね。

    「故郷から遠く離れて。春、夜桜の京都。自分がどうあろうと、美それ自体は残酷なまでに美としてそこにある。」
    性癖小説大賞でも書かれていましたよね。一話の終わりにも「故郷から遠く離れて」と書かれてあって、重ねているのは偶々ではないと思っています。一話では遠くから桜を見ていますし。ここに何が込められているのかは、具体的には分からないですけど、彼女にとって何か大事なことが、ここにあるのだろうな、とは感じました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そうですね……可読性はもちろん意識してますけど、ルビを振り過ぎるのも滑らかじゃないので丁度いいところを探ってます。
    巷間は確かにあまり耳馴染みないかもしれませんが、(多分)両方漢音なので、ルビ振りの必要を感じなかったですね。そのあたりの感覚は私が特殊なのかもしれませんが。

    桜と、故郷から遠く離れては自然と書いちゃいました。

    2021年9月9日 15:39

  • 第1話 春風、白い上着を揺らしてへのコメント

    自分の選択によって、それなりに大きなものが手元に一つ増えたということに呆然とする。

    “ふつう”なら、初めての大きな買い物って興奮するんじゃない?
    と思い、そこで足を止めました。で、ちょっと考えて、“ふつう”と決めつけるのも変だし、むしろ、このように考えるのが彼女の個性なのだな、とキャラクターを知る一片となりました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。あー、意外な感想でした。彼女の気持ちで書いてたので、大きな買い物をした時に呆然とする以外の反応を想定してませんでした。でも、そうですよね、興奮する人もいますよね。
    18歳の彼女はやはり呆然なのだと思います。新しい土地でキャパ一杯一杯なのもありますし、人柄としても。

    2021年9月8日 23:55

  • あとがきへのコメント

    拝読させていただきました。私は正直、文学的な巧さとかそういったものは一切分かりませんので、(かつてこの異界に籍を置いていた者の一人としての)純粋な感想だけ。

    美それ自体は残酷なまでに美としてそこにある――御作を象徴するように、始めと終わりに二度登場する、この言葉。私はここに、当時の私と玲との間にある圧倒的な壁を感じました。私はどちらかというと、「“それ自体が美”という存在を想定すること自体が妄想である」という考え方の人間でしたので、もうこの時点で玲とはスタンスが完全に異なっている。それゆえ玲のように「話し合いで解決できない事実に思い悩む」ということがまるでなく、「所詮は異なる意見を持つ者同士のパワーバランスによってしか決まらない」という冷めた態度を取っておりました。そのくせ建前上は「議論によるすり合わせは大事」などという、心にも思っていないことを平然と言ってのける、腐った人間でもありました。

    ですが私はその一方で、玲のような考え方ができる人間のことを、今でも羨ましく思ったりもするのです。誰もが納得できるような理想の到達点があって、そこに向かっていくという奇跡が、もしかしたら起こり得るかもしれない――幼稚といってしまえばそれまででしょうが、それでも心の奥底にそういう希望のようなものを抱いて、それゆえに身を患わせることできる玲のような純粋さ(純粋さ、というのは陳腐な表現で申し訳ないですが)が、私に欠片ほどでもあったら――そのような愚にもつかぬ妄想をしてしまう折が、たまに訪れるのです。無論、ないものねだりなのは明らかですし、玲のような人間になったらそれはさぞ苦しい想いをするに違いないとも思います。

    ただそれでも、玲にはこれからも、その苦しみや葛藤を捨ててほしくはないな、と願います。「真珠は泥の中にあっても溶け去りはしない」ではありませんが、磨けば輝く原石のような美しさ(私自身はその存在を認めておらんのですが)を、持ち続けてほしいと願うのです。全く意味不明で纏まりがなくて恐縮ですが、私が言いたのは、概ねこういったところです。

    最後に。当時あの場にいたときの気分に浸りながら、佳き読書の時間を過ごさせていただきましたこと、感謝致します。御縁がありましたら、また。

    作者からの返信

    律角さん、コメントを下さった上にレビューまでありがとうございます。「ヒトは決して分かり合えない。それでも――」というのは、まさしくこの後の玲の物語を象徴する言葉になるかと思います。
    大体私が小説を書く時は、読んでほしいなと思って思い浮かぶ人が5、6人います。今回はその1人が律角さんでした。だから読んで頂けて本当に嬉しいのです。
    沢山コメントを頂きましたので、私も思いの丈を喋ってお返ししようと思います。まとまりがつかないには違いありませんが、ウェブでは律角さんくらいしか言う相手が思い付きませんので。

    私は玲と違って二回生の時にSCとして常任委員会に入っていました。折しも波乱の時代。本編はフィクションとして書きましたが、少なくとも本編の3倍くらいは混沌とした状態だったわけです。そもそも登場人物の多さが本編の比ではありませんしね。当時は大学との関係が比較的良好だったので、寮内で闘争することもできたのです。
    詳述は避けますが、他のいくつかの問題と、十数年越しの懸案がその時代の焦点でした。十数年越しの懸案の方については、それこそ本条さんと中川さんではありませんが、「寮が滅びかねない」というのが一部の寮生の共通認識であり、どうにかしようとしていたのです。勿論寮内で大いに揉めるので十数年も議論されては流れることを繰り返していたのですが。
    結局私がSCをしていた期も流れました。私が当事者意識を持ったのは遅まきながら流れてからのことです。期の半ばを越えると次の体制が構想されますが、私は次の体制では副委員長あたりのポストにおさまって、その懸案をある地点で落ち着かせられたらと漠然と考え、色々と策動していました。当時は右と左が大衝突していましたが、私はどちらにも敵がいないし、両者の調整をつけられるだけの能力もあると過剰な自信を持ち、あとがきに書いたように人と人は対話と議論によって分かり合えるという誤った認識のもと動いていました。
    声が掛かったのは策動を始めて少ししてからのことです。辰井が何か動いてるぞというのは噂になっていたのでしょう。「ちょっとご飯食べに行かない?」。声を掛けてきたのは右側の人であり、私の学部の先輩であり、入学当初から色々と話をしていた人でした。だからそのご飯の中身も聞かぬままほいほい付いて行ったのです。
    付いて行ったら”集会”でした笑。右側の人が期待を掛ける人間を集めた集会でした。左側を潰すぞと息巻いて大いに拍手が起こるような場でした。そこで私は絶望したのです。私は右と左両者の議論を仲立ちしようとしていたけれども、この人達はそもそも議論をするつもりなど無いのだと。私はその場で一度も拍手をしませんでした。そして二度と声は掛かりませんでした。
    人間同士話し合えば分かり合えるなどという幻想をそもそも話し合いすら成り立たないのだと思い知らされるかたちで粉砕され、私は談話室で丸まって眠ることしかできない人間になりました。自治に絶望し、民主主義に絶望し、コミュニケーションに絶望し、ことばに絶望する。それは確実に一定の寮生が通る道なのですが、ご多分に漏れずと言うべきか私もそこを通ることになったのです。すっかり嫌気が差していました。
    そこで「ヒトは決して分かり合えない。それでも――」ともう一度立ち上がれば小説になり得るのですけど、そんなことはなく、病気の診断も下り、少しよくなってからは研究室に足繁く通うようにもなり、寮をなおざりにして私の寮生としての晩年はSCまでやった人間にしては無残なものになりました。
    だから、私は玲の物語の続きを書くことができない人間なのです。

    だけど。それでも。
    以前どこだかで読んだ本にこんなことが書いてありました。人と人は分かり合えない。しかし、それに絶望し、それでもなお希望を持つ人間こそが両者の隔たりを越える力を持つことができるのであると。
    甘い幻想だなと思います。しかし、信じたい気持ちを持っている自分もいるのです。人間なんか分かり合えないよとうそぶき、暗い目をしてみせて、その実隔たりを越えることを希求してやまない。私(達)が辿り着くのが倦怠を伴う思考停止なのか、それとも人生に時たまある奇跡的な瞬間に希望を繋ぎ続けることであるのか、分かりはしませんが。

    時は違えど、同じ場所にいた人に読んでもらえたのは幸運なことでした。佳き読書の時間を過ごしていただけたなら何よりです。はい、御縁がありましたら、また。

    2021年8月10日 11:22