第5話 幕間その一 兎人リィ・リッタと執事ネオモ・ユートンの事情




 兎人ラヴィラの一族は、先の『異界溢れパンデミック』や東の大戦争を戦わずに生き延びた種族だ。

 亜人種族とも人間ともその時から深く付き合うことができず、今日まで生きているに過ぎない……。


 どっちつかずの八方美人はっぽうびじんだという自分の立ち位置を怨みつつ、しかし先代から人との交渉や仲裁を仕事としているリィ・リッタは、男爵家の執事バトラーネオモが気になって仕方がなかった。


 ここで注意がある。


 執事は男、リィ・リッタも男である。


 が、ラヴィラという種族には性別が一度だけ『反転』できるという繁殖期が存在する。


 今まで男のつもりでいたリィ・リッタだが、ネオモを一目見た時から身体が『女性化』し始め、今では充分に柔らかな体つきへと変化していた。


 出会いの頃、繁殖期に気付かなかった彼も、そんな心の内を隠したままで今日の会合へと男爵を案内するべく、屋敷を訪れるのだった。




 ☆




「新しいメイド、ですか?」


「あぁ、若い子でね。当主様にしてみれば息子のための判断だとしても、預貯金よちょきんが心配になってしまう」



 兎人を出迎えてくれた執事は、いつもの難しい顔で財布を預かる者の苦悩を語っていた。

 もちろん、本気じゃない。

 彼がまだ新しい貴族家である当主様を信頼しているのは良く知っているからだ。


 その当主様の出発の準備が整うまで、執事と二人きり、応接室でお茶をいただく時間ができた。


 チャンスだと、心で拳を固める…… リィ・リッタは、伝えたい言葉をずっと胸に秘めてきたから。



「はは、お役に立つ可能性があればいいのでは」


「お子様が産まれるまで小間使いは全員村のバアさんばかりだったのに。は若い相手だと扱いにくいんだよな」



 屋敷には従士やコックなどもいるが、村の中から選ばれたり雇われたりで、その裁定はネオモが行ってきたし、職場としていい風通しを心掛けている。



「私も、そう年寄りではないと思っていますが?」


「何を言っているんだ。リッタは橋渡し、亜人の顔役じゃないか。それに、俺たちはだろう」



 来た。

 今度『友だち』扱いされたら、否定しよう。


 そう考えてきた。

 昨夜も眠れずそんなことばかり考えていた。


 肉体的には転換も落ち着き健康だったが、リィ・リッタは精神的に追い詰められていた。

 身構えていた分、このタイミングに硬直こうちょくして…… しかしその仕草はネオモを見つめる形となり、本人の意識しないアピールに繋がった。


 友人の態度に、執事も息を潜める。



「私は、友だちでは、その、あの……」


「どうしたんだ、リッタ」



 農夫や紡績職人、大工や猟師、料理人や鍛治師などの訴えや相談事をさばいてきた執事だが、如何いかんせん堅物カタブツ過ぎて『色恋沙汰イロコイざた』の経験値はゼロだった。


 つまり童貞だった。



「私は、友だちでは、満足できませんッ」


「な、ななななぬ?」



 頬を赤らめ、正面に座る執事に詰め寄るリッタ。


 普段ピンとした長い耳が半分ほど折れて、不安げに揺れる。

 彷徨さまよわせた手は、テーブルの上でカップを置いたネオモの手の甲に着地した。


 人より熱い体温を感じて、執事は息を飲む。


 耳は正常に働いていたが頭が混乱して、ネオモの思考は停止した。


 出会った時は凛々しく溌剌はつらつとした美形の亜人種族だと思っていたが、弓の腕前が素晴らしい事や、料理が趣味だという共通点を知ってから。

 どんどん可愛らしくなっていく『彼』が気になっていたのは、執事も同じだったのだ。


 だが、生真面目で努力家な彼らには、まだ問題が存在する。



「ネオモ。私と、交際してくれませんか?」


「いやしかし、兎人ラヴィラのコトはリッタ…… 君から聞いて不思議な生命だと知っている。だからこそ」



 彼は何度も妄想した、それを否定する事実を口にした。



「人と兎人との間には子供ができないだろ…… 記録がないし、兎人の族長としてもマズイだろ?」


「うん、そう、なんだけど……」



 親の後を継いで真面目に働くモノと。

 努力を重ねて余所見よそみを知らない者。


 お互いを意識するあまり、段階を踏むことすら忘れかけて。


 一瞬早く、兎人が気づいた。



「ネオモ、じゃあ、交際するコトは、いいの?」


「あ、あぁ、ごめんな。付き合って欲しいっていうのは、俺もだよ。実は一目惚れだったんだ。最初は男だからと思い込んでいたのだけど、仲良くなれたその日の内に、スゴく気になっていた」


「なら、えと、お付き合い、してくれる?」


「もちろん。当主様のお許しがあれば、結婚ができなくても一緒に居たい。君のパンを毎日食べたいよ」


「あは、はははははっ、や、やったぁあッ!」



 喜びにその場で高く飛び上がるリッタ。

 屋敷にその声が響くと、扉の外で息を潜めていた全員が顔を出してきた。



「おめでとう、リッタちゃん!」


「よく言ったネオモ! この村で二件目の異種間結婚だな!」


「夢物語でしか聞かなかったけど、ステキ…… いつか、私もご主人様と…… きゃっ♡」



 忠誠を誓った主家の夫婦が揃って暴走し祝ってくれている。

 そもそも、この応接室に二人きりにするというアイデアはこの夫婦からだった。


 だが肝心の二人は、祝う夫婦と新しいメイドの乱入に固まり、真っ赤になって何も言えなかった。



「んんっ、皆様、若い二人をからかうのは、感心しませんよ~」



 こちらも笑顔のマリーアが咳払いをするまで二人の硬直は解けず、そこからの言葉に詰まってしまうのだった。



 新人メイドと牛人カウマン家政婦ハウスメイドが下がって、しかし当主と婦人は残っている。


 これから会合があるのだ、当主を見送るのは執事も同じで、しかしその当主様が。



「ちゃんと話を区切るまで待っているよ。YOU結婚しちゃいなYO☆」



 なんて言うものだからネオモは悩む。

 かと言って、お互いの好意を確かめたものの、主家が奨める『異種間結婚』をするには双方が忙しい。

 という、言い訳の元。



「なぁ、まずは週一の交際から始めようか」



 ネオモはそう恋人に聞くがしかし、そんな悠長なつもりが欠片もないリッタは。



「いや。どうしたら同棲してくれる?」


「ぶぅっ!?」


「私のパンを毎日食べさせたいもの」



 ギャラリーの視線に恥じらいつつ、ここは譲れないとリッタは踏み込んだ。

 さぁ、執事はどう答えるのか―― 視線が集まる。



「も、問題がまだまだ山積みじゃないか? 今日の会合だってもう八年間同じままで…… そう、そうだ、せめて、会合に進展が見込めたなら、俺たちにも時間ができる。そしたら一緒に暮らせる」



 内心は『同棲』という誘いに即飛び付きたいくらい喜んでいたネオモだが、その気持ちを隠すために理屈をこねる。

 リッタが顔役を引き継ぎ八年間、湖沼地帯の『ヴォジャノーイ』や『ルサルカ』たちはずっと無言を貫いているが、『ケルピー』や大森林の亜人種族たち、特に『鹿人ディアムン』や『熊人ベアリア』らは争いも辞さない、むしろ望んでいると鼻息も荒く毎回厄介。


 そんな膠着状態が変われば?



「約束よ? ぜったいに」


「いや、う、うん。約束する」



 リィ・リッタは今まで判定役で、どちらかに肩入れをしなかった。


 が…… ここで彼女は決意する。



「絶対にネオモとイチャイチャするんだからッ!!」



 何としてでも人種族に有利に、隙を見て話の方向を操作しようと。

 だがまさか、血気盛んな族長が揃っておそおののくような事態になるとは思ってもいなかった。

 そして、その瞬間が今日中に掴めるとも。



 ……族長の座なんて弟たちの誰かに任せちゃえばいいし、何だったら口利きくらいはそのままやってもいいけど、ああ、二人きりの家、どこに建てようかしら……



 決意とともに、乙女となった彼女の『未来計画』は止まらない。



 そして会合にて、有利と見るや応じたと見なし、裁決権を行使して締結させた。


 これが『暮れる端和平条約』が結ばれた際の裏話。

 乙女の尽力、岩をも砕く。




 ☆




 そして、二人は。


 ネオモとリッタは翌日から、公国からの通達が届くと見込まれる一週間を休んだ。


 男爵家の近くに家を建てることを決めた時(翌日)は二人を見かけたが、それ以降は誰も所在を知らなかった。


 大森林開拓に際しての方法や、各部族や種族への配慮、生活圏の確保に至ってはリィ・リッタの弟たちが仕切ってくれたので問題はなく。


 だが一週間後のネオモは痩せ細っていた。


 げっそりとした執事は、しかし憮然とした表情が消えてにこやかに笑うようになった。

 男爵家で仕事に励むネオモが、毎日、兎人印の精力剤を片手に仕事をするようになったのはここからだ……。


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