前回の女の魔術2

 そんな失敗をしながらも、エリージェ・ソードルは考えた。

 表層硬化スキン・メタルに関しては指先から肘までならすぐに固めることが出来、さらには解除することも出来るようになった。

 反応さえ出来れば、これで対処することが出来る。

 ただ、剣の達人ならともかく、常にそれを意識することは、エリージェ・ソードルには出来なかった。


 だが、そんな女は興味深い話を聞くこととなる。


 それは東方の国、シンホンの拳闘士の話だった。

 その拳闘士は魔力とは違う”気”という生き物ならば誰もが持っている不思議な力を使って、全身の筋肉を固めることが出来るという。

 そうして固められたら、腹筋は大金槌の一撃を軽々と防ぎ、喉は鋭利な槍の先を通さないと言う。

 実際に会った事がある人間が言うには、その肉体の触り心地は普通の人間と同じく弾力のある物だったそうだ。


 その拳闘士が”本物”かどうかは定かではない。


 その拳闘士は拳闘を生業にせず、”そういう”見せ物を生業にしていたのだ。

 ひょっとして、詐欺師の類だったかもしれない。


 だが、この女は「なるほど」と思った。


 生き物ならば誰もが持っているという”気”について、この女はよく分かっていない。

 ただ、単純なこの女(それって魔力で代用できないかしら?)と勝手に思った。


 思い立ったら、即行動の女である。


 筋肉を意識しながら魔力を流し始めた。


 もしこの時、老博士ヨアヒム・シュタインが存命であれば、ひょっとしたら上手く行かなかったかもしれない。

 魔力増加のために単純に魔術を繰り返すだけであれば、その前に進むのは、仮に出来たとしても随分後の事になっただろう。

 筋肉に魔力を流すという事自体、多くの天才魔術師が挑んでは失敗してきたことだったのだ。


 凡庸なこの女が簡単にこなせるものではなかった。


 だが、この女は体内の魔力循環を加速させた。

 それも、一度だけでは無く、何度もだ。

 その反復の果てにこの女、体内を魔力が行き交う感覚を誰よりも研ぎ澄ます事が出来た。


 だから、流す事が出来た。


 初めの内は、歩いたり、手を上げたり、指を開いたり閉じたりしながら、筋肉の動きを意識しながら行った。

 しばらくすると、そういう行動をしなくても、何となくで魔力が流せるようになった。

 単純な魔力循環よりも筋肉が軋むような痛みが、”多少”増えたのだが…

 それにより、魔力増加に加え、守りの力が強くなるのならと続けた。


 とは言えこの女としても、話に聞くような頑丈さが得られるかは半信半疑であったことは否めなかった。


 時折体のあちこちを叩いてみても、特に変わったようには思えなかったからだ。

 ただ、仮に頑丈さは変わらないにしても、少なくとも魔力は増加するならと、続ける事にした。



 魔力の増幅を始めて二年ほどの月日が流れた。


 エリージェ・ソードルは相変わらず執務に忙殺されていた。

 反乱の後遺症は重く、また周辺三国のブルグ進行計画に対する対策も取らなくてはならず、公爵家の財政状況は思わしくなかった。

 この女自ら商家に出向き、値引き交渉まで行った。

 そんな中、この女、表層硬化スキン・メタルの事も、魔力のことも、すっかり思考の彼方に追いやってしまった。

 朝から晩まで、様々な問題に頭を抱え、時に著名な学者宅に訪問したり、時に祖父マテウス・ルマなどの貴族邸に訪問したりと忙しく動き回っていたのだ。


 仕方がないことであった。


 ただ、魔力循環だけは続けた。

 ほとんど常態化したそれを、単に惰性のまま行っているに過ぎないが、それでも続けた。

 魔力増幅については、かろうじて意識していたが、肉体硬化についてはすっかり忘れてしまったのであったが……。

 それでも、筋肉に魔力を流す事も続けた。


 この女、エリージェ・ソードルは貴族である。


 貴族の中の貴族と言っていい。

 故にこの女、多くのことを使用人にさせた。

 着替えから外出の準備、執務に必要な物の準備から湯浴みの準備まで多くのことをさせていた。

 執務に忙しいこの女の為にと使用人が張り切っていたこともある。

 普段の生活で、休憩時のお茶で使用する茶碗より重い物を持たない生活を過ごしていた。

 また、忙しすぎて幼なじみオーメスト・リーヴスリーらリーヴスリー家の者に教わっていた武術の鍛錬が出来ずにいたことも災いした。


 だから、その日までこの女の体に起きている事態に、気づかなかった。


 公爵領貴族用尋問室にて、机についたエリージェ・ソードルは勝手に立ち上がり、勝手に熱弁を振るう男を見ながら、イラリと眉を寄せていた。

 この余り表情を変えぬこの女にそのような顔をさせている男は、レーヴ侯爵家の騎士爵で、人手不足の解消のために目を付けていたヨナスという老人を殺した男だ。


 にもかかわらず、どうも騎士爵の男は相手が平民だから問題ない、自分がレーヴ侯爵家の騎士爵”様”なのだから問題ないと思っている節があった。


 因みに仮に貴族であっても、相手が自領の平民であっても、法に照らせば罰せられる。

 当然だ。

 平民であっても、オールマ国王の民なのだ。

 彼らをどうこう出来るのは、国王のみである。

 まして、他領の民を殺すなど問題にならない方がおかしかった。

 確かに、レーヴ侯爵家は大貴族で、その家来が下手人であれば、そこらの貴族だったら忖度してもみ消すかもしれない。

 ひょっとすると、この騎士爵の男は別の貴族領でそういう成功例があったのかもしれない。


 だが、ソードル家も大貴族である。


 しかも、家格でいえばレーヴ侯爵家よりも上の公爵家である。

 まして、その男は侯爵家の親族でもない、純然たる貴族と言うわけでもない、たかだか騎士爵である。

 平身低頭どころか、床にひれ伏し助命を懇願してもおかしくない立場だ。

 にもかかわらず、騎士爵の男、何を勘違いしているのか、女に対して尊大な態度を取り続けている。

 あまつさえ、その巨体を揺らしながら、自身が如何にして騎士爵になれたかとかどうでもいい話を朗々と語っている。


 仮に”今回”の女であれば……。

『ジェシー、殴って』で終わらせた事だろう。


 だが、残念ながら”前回”十三になったばかりの女である。

 最後まで話を聞いてしまう。

 きっと意味がある話なのだと……。

 仮に前半部分では意味が無くても――最後には何かしら深い――例えばレーヴ侯爵よりの命令とかで、いかんともしがたかったとか……。

 これだけ堂々としているのだ、絶対に何か理由があるはずだと、まだ幼いと言って良い女は純粋に思ってしまったのだ。


 初めのうちは、(殴っていいですか?)みたいな視線を送っていた女騎士ジェシー・レーマーら護衛騎士だったが、時間が経つにつれ変化させていく女の表情にぎょっとなり、視線を反らすようになっていった。


 だが、そんな空気も読めないのか、騎士爵の男は自身が如何に勇敢で強いのかを語り尽くした後に、思い出したように言った。

「そんな英雄たる吾輩にぶつかったのですぞ!

 たかだか平民が――ああ、ソードル家が雇おうとしてたとか……」

 そして、騎士爵の男は馬鹿にするように鼻で笑った。

「あんな貧相な平民を雇うとか、同じ貴族でもレーヴ侯爵家とはやはり格が違いますなぁ」


 本来であれば……逆に馬鹿に仕返せば良い。

 お前だって、平民と大して変わらぬ似非貴族では無いかと。

 ソードル公爵家とレーヴ侯爵家の家格の差も知らぬ無学の徒と、嘲笑してやれば良い。


 だが、女はたかだか十三の小娘である。


 女の頭の中で、何かがブチリと切れた。


 爆発する感情のまま、目の前にある机を蹴り出してしまった。


 貴族を尋問するための部屋なので、座る女の前にあるその机は公爵が使用するためのものが用意されていた。

 必然、重厚で、更に言えば華美にならない程度に美しく装飾されたものだった。

 だから、ほっそりとした女が蹴った所で、コンッ! 程度の音で済むはずだった。


 鈍い音、ほぼ同時に轟音が鳴る。


 エリージェ・ソードルを初め、多くのものがポカンとする前には、壁と巨大な机に潰されて白眼を向く騎士爵の男がいた。

 騎士爵の男にとって幸いだったのは、比較的部屋が広く取られていて、壁までの距離が遠かったことだろう。

 もっとも、エリージェ・ソードルとしては高価な机が砕け、頭を抱えることになったのだが。



 驚くべき現象を起こしたエリージェ・ソードルは、鍛錬場に移ると、様々なことを試し始めた。


 ご令嬢の細腕では到底持ち上げられないだろう大剣を掴むと、まるで小枝のように軽々と振り回すことが出来た。

 女の腰回りぐらいの丸太を用意させ、そこに振り下ろすと、軽々と両断された。

 煉瓦レンガを準備させ、その上から拳を下ろすと、あっさり砕けた。


 そんな自分の体に、エリージェ・ソードルは目を丸くした。


 更に、侍女に指摘されて気付いたのだが、煉瓦レンガを直接殴り付けて、本来であれば傷ついていないとならない肌が、かすかな引っ掻き跡すら残していなかったのだ。

 これは全員に止められることが分かりきっているので、その場では行わなかったが、自室に戻った女が小刀で手や足を切ったり刺したりしても同じだった。

 鋼のように固まっている訳では無い。

 刃を押し込めば、肌は凹む。

 ただ、それ以上は切れないのだ。

 流石に、魔力の帯びた剣で斬られたりすれば、その限りでは無いだろうが……。

 エリージェ・ソードルが望む以上のものが獲得できたのは間違いない所だった。


 ただ、こうも思う。


(筋肉に魔力を通すだけでこうも”簡単”に強くなると言うことは、伏せておいた方が良いわね)

 そう、心に誓うのであった。


 その後、繰り返される循環の果てに、ひょんな事で発現したのが”黒い霧”であった。

――


 王都公爵家鍛錬場にて、険しい表情のまま乗馬用の姿で腕を組む者がいる。

 エリージェ・ソードルである。

 この女、”前回”、誰にも伝えないと誓ったすべを、”今回”の女騎士ジェシー・レーマーに教えている最中である。

 表情を余り変えぬ女にしては眉を険しくさせているその姿は、愛弟子を見守る師のように見えなくも無い。

 もっとも、朝一に来襲し朝ご飯を散々食い散らかした挙句、鍛錬場に女を引きずりだした幼なじみオーメスト・リーヴスリーに散々な目に遭わされて顔も服も土埃まみれになっている姿から……。


 八つ当たりをしている様にも、見えなくも無いのだが。


 因みに、幼なじみオーメスト・リーヴスリーは帰って行った。

 もちろん、自主的にでは無い。

 今日は大事な用があると言って、なんとか追い出したのである。

『じゃあ、また明日だな』と言う幼なじみオーメスト・リーヴスリーに『もう結構、二度と来るな!』と細み剣を投げつけたのは、前日と同じであった。


 エリージェ・ソードルは扇子で自分の肩を叩きながら、険しい口調で言う。

「ジェシー!

 あなた、ルマ家の騎士でしょう!

 これぐらい、堪えきりなさい!」

 それに対して、両膝を地面に付き、苦痛の為か背を丸めながら悶えている女騎士ジェシー・レーマーは途切れ途切れの有様で言う。

「お、お嬢、様……。

 き、きつ過ぎ……。

 こ、これ、だ、大、丈夫、な、ので、すか?」

「さっきも言ったでしょう!

 初めから沢山魔力を循環させる必要は無いわ。

 少量ずつから慣らしなさい」

「す、少し……でも、き、き、キツいで、す」


 女騎士ジェシー・レーマーのこの状況は仕方が無い面もあった。


 常に循環し続ける魔力の流れを速める。

 前記にも書いたがこれは、マルコの妻、リアが煩っていた魔力循環不整症を人為的に発症させるに等しい。

 いや、初期魔力量が多い分、女騎士ジェシー・レーマーを苛む苦痛はそれを上回っているかもしれない。

(これは、迂闊なことを願い出てしまったかも)などと女騎士ジェシー・レーマーが後悔し始めている事も知らず、エリージェ・ソードルは「安心しなさい。そのうち風邪で熱が酷いぐらいで収まるから」などと言い出した。

 ぎょっとした顔で見上げる女騎士ジェシー・レーマーに対して、エリージェ・ソードルは脇に置かれた大剣を軽々と持ち上げる。

 そして、軽く振って見せた。


 空気を切り裂く音が響き、女騎士ジェシー・レーマーの前髪を揺らす。


 呆然とする女騎士ジェシー・レーマーに対して、エリージェ・ソードルはどことなく得意げに言った。

「その苦痛を数ヶ月堪えるだけでこれぐらいになるのよ。

 軽いものでしょう。

 あ、ただ寝ている時も循環させるにはコツがいるから、慣れてきたら言うのよ」

 狂ったそんな事を言いながら胸を反らす主に対して、女騎士ジェシー・レーマーの目にはおびえの色が混じっていたのだが……。

 この女が気づくことはなかった。

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