男爵領取得5

 取りあえずではあるがルマ家騎士レネ・フートが次期男爵と内定した。

 その後、様々な雑務をこなし、呼び寄せていた者達と面談することとなった。

 護衛には騎士ギド・ザクスを付け、ルマ家騎士レネ・フートと従者ザンドラ・フクリュウという布陣で話を聞くこととした。


 初めに会うのは、ウリ・ダレ子爵らが来る前まで、この男爵邸を取り仕切っていた者だ。


 椅子に座り、今朝方到着した侍女ミーナ・ウォールに入れさせたお茶を飲んでいると、中年を過ぎたぐらいの男が部屋へと入ってきた。


 白髪のくたびれた感じの男だった。


 視線を下ろした状態で静かに入ってきたその男は、女の前まで来ると両膝を床に着き、頭をさらに垂れた。


 元は執事で、男爵代行でも家令でも無い男だったとエリージェ・ソードルは説明を受けていた。

 だが、元々の家令が男爵邸にあった金品と共にいなくなり、やむなくこの男が仕切っていたという。


 本来であれば、この男にそのような権限はありはしなかった。


 だが、王都の男爵邸に手紙を送っても音沙汰が無く、さりとて、男爵邸で問題が起きれば何かしらの対処をしなくてはならない。

 一応、分家筋に代行をお願いしたのだが、関わりたくないとつっぱねられ、白髪の男が『全ての責任は自分にある』と言い切り、指示を出していたのだ。


 初めは男爵邸の、徐々に男爵領全体の。


 だからこそ、領内の体は何とか保たれていたのだが……。

 ウリ・ダレ子爵らによってそれが無惨にも潰されたのであった。

「面を上げなさい」

 エリージェ・ソードルが命ずると白髪の男が恐る恐る顔を上げる。

 白髪の男の左目を隠すように布が巻かれていた。

 エリージェ・ソードルが「左目はどうしたの?」と訊ねると白髪の男は自嘲気味に微笑むと「殴られ方が悪かったようで、潰れてしまいました」と答えた。

「時間が経ってしまっているようだから難しいかもしれないけど、後でうちの医療魔術師に見て貰いなさい」

というエリージェ・ソードルの言に、しかし、白髪の男は首を横に振った。

「良いのです、公爵代行様。

 これは、皆を守れなかった男への……罰ですから」


 白髪の男は口惜しそうに顔をしかめ、残った片目を潤ませた。


「多くの者が傷つき、殺されました。

 多くの若い娘が取り返しのつかない不名誉な疵を負いました。

 なのにわたしは……わたしは……。

 殴られ、追い出された後、そのまま逃げてしまいました。

 殺されるのを恐れ、逃げてそのまま、何も出来ずに……。

 そんな男に、癒しなど不要でございます」

「……」

 ルマ家騎士レネ・フートも騎士ギド・ザクスも沈痛な顔で男を見る。

 長年戦いに身を置き、辛酸も多く舐めてきたこの二人の騎士には、力が及ばなかったが故に守れなかった気持ちも、生き延びて”しまった”気持ちもよく分かる。

 だから、唇を噛み、浮かび上がるそれぞれの苦い思い出が心を蝕むのを必死に耐えるしかなかった。


 だが、そんな周りの雰囲気など頓着せず、エリージェ・ソードルはあっさり言った。


「あら?

 わたくしはそれで良かったと思うけど」

 エリージェ・ソードルの言に、白髪の男は「え?」とポカンとした顔をする。

 エリージェ・ソードルは続ける。

「だって、殺されなかったからこそ、今から男爵領のために働ける。

 そうじゃないの?」

 惚けていた白髪の男だったが、しばらくするとこぼした涙をそのままに、笑みを浮かべた。

「……はい、その通りですね。

 頑張らせていただきます!」

 ご令嬢の――幼いなりに自分に希望を与えようと考えてくださった、そんな言葉と受け取った。

 なのでその優しさに胸がジンっと熱くなった。


 もっとも、この女にはそんな優しさなど無かった。


 単に、使える人間が無駄死にしなかったのだから良いじゃない程度の言葉だった。

 なので、なぜか感激している男達をそのままに、今後の話を始めたのだった。



 白髪の男が退席すると、次はマガドの分家筋の者達が入ってきた。


 中年ぐらいの男である分家当主とその嫡男、その妻と息子の妻、そして、その娘である。

 彼らも入室すると同時に女の前で両膝を着き、頭を下げた。


 エリージェ・ソードルはそんな彼らを椅子に座ったまま眺める。


 下級ほどであったが貴族然とした恰好の男二人は、ならず者の占領下であってもそれなりの生活をしていたようで、艶やかな白い肌をしていた。


 ただ、男達の後ろにひかえる三人の女性は、服装はともかく、余り食事を取っていないのか痩せこけていた。

 そして、貴族女性にもかかわらず、その頬は日に焼けて赤黒くなっていた。

「……頭を上げなさい」

 エリージェ・ソードルの指示で、前の男達のみ顔を上げ、そして、”勝手に”立ち上がった。

 そんな男達の顔はなにやら歓喜に溢れたもので、大仰おおぎょうに再度一礼するとマガド分家当主の男がこれまた”勝手に”話し始めた。

「公爵代行様、このたびは”我ら”の領地を救っていただき、まことにありがとうございます。

 また、先日はせっかく訪問して頂いたにも関わらず、不在にしていた無礼、まことに申し訳ございません!」


 昨日、エリージェ・ソードルが訪問した際、マガド分家当主とその長男には会っていない。


 この女が会ったのは、屋敷の前で平民らに交じり、粗末な格好のまま孤児達に炊き出しをする夫人二人と、畑の世話をしていたという、泥の付いたぼろ服姿の娘だけである。


 マガド分家当主が馬鹿みたいに力を込めて言葉を発する。


「申し訳ございませんでした!

 あの時は、領奪還作戦の打ち合わせのために有力者と――」

「あらそう?」

 エリージェ・ソードルは興味なさげに、マガド分家当主の言葉を切る。

 マガド分家当主は一瞬、不満げにしたが、すぐに愛想笑いを浮かべる。

「公爵代行様、とにかくありがとうございました。

 公爵代行様は何やら木材を欲しているご様子。

 先ほど、用意するように指示を出して――」

 エリージェ・ソードルの手にある鋼鉄の扇子がミシっと鳴り、騎士ギド・ザクスがギョっとした顔になった。

 だが、そんな空気も読めないのか、マガド分家当主は意気揚々と続ける。

「――おきましたので、直ぐにでも公爵領に送らせていただきます。

 どのような用途――」


「黙りなさい」


 底冷えがする女の声に、マガド分家当主が思わず「ひっ!」っと声を漏らした。

 別に声を荒げた訳でもないその声に、分家家族はもとより、騎士ギド・ザクスも従者ザンドラ・フクリュウもビクっと震えた。

 流石と言うべきか、ルマ家騎士レネ・フートだけは楽しそうに女を見ている。


 だが、この女はそんなことどうでも良かった。


 さめざめとした目で、マガド分家当主を眺める。

「ねえあなた、何か勘違いをしているようだから言っておくわ。

 あなたにこの領の者を動かす権限も権利も無いから。

 まして、領の木々を勝手にする資格など有る訳ないでしょう」

「お、お待ちください。

 わたしは、わたしは、マガド家の者として――」

「だから何?」

「いや、本家がいなくなった今、分家筋であるわたしがこの領を導く義務が!」

「義務?

 あなた、義務って言ったわね!?」

 女の手に持った扇子、それがスーッと持ち上がると――すさまじい勢いのまま振り下ろされた。


「!?」

 響く破壊音に一同が――さすがのルマ家騎士レネ・フートも――目を剥く。


 茶器が置かれた一人用の小さな机、それが無惨に砕けていた。

 下位とはいえ貴族が使用する――重厚に出来た物だった。


 だが、四脚に支えられた甲板、それは真っ二つに割かれ、床に崩れ落ちていた。


 板の亀裂には、巻き込まれ砕けた茶器から赤みの帯びた茶色の液体が漏れていた。

 だが、それにも構わず、眉をしかめる女は言う。

「義務というなら、あなた、なぜ生きているの?

 何故あなた、恥ずかしげも無くそんな風に生きていられるのかしら?」

「え?

 いえ?

 わたしは!」

「導く義務を標榜ひょうぼうするなら、何故あなた、本家が戻らず苦悩している男爵邸を助けなかったの!?

 何故あなた、領民が賊に対して反抗しようとした時に先頭に立たなかったの!?

 領主一族を名乗るなら、当然の事をせずに何が義務かしら!?」

「おおお待ちください!

 わたしは残されたマガド家を残す貴族として無為に死ぬわけには――」


 エリージェ・ソードルが、この余り表情を変えぬ女が、完全に眉を怒らせた。


「あなたには後を継ぐ男子がいるでしょう!

 にもかかわらず、領民の陰に隠れて、あげく無為に殺しておいて、何が貴族かしら!」

 そこで、エリージェ・ソードルはルマ家騎士レネ・フートをチラリと見た。

 そして、言葉を続ける。

「至福の時は民の後ろに立ち。

 苦難の時は民の前に立つ。

 吉報が来れば民と喜び。

 凶報が来れば民に知られる前にそれを防ぐ。

 それこそが領主であり、貴族よ!

 矢面から逃げ回ったあなた達に、その資格は無いわ!」

「い、いやそれは……」とマガド分家当主は言いよどむ。

 そして、まるで利かん坊に言い聞かせるような困った顔で続ける。

「理想はそうですがなぁ……。

 公爵代行様はお若いからお分かりにならないかもしれませんが、時に卑怯者と呼ばれても、最終的には民の――」


 鈍い音と同時に、赤い液体を上空に飛ばしながらマガド分家当主が吹っ飛ぶ。


 ただ、意識を失うほど力が入っていなかったようで、「フガァァァ!」という悲鳴が部屋中に響き渡った。

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