第十章

男爵領取得1

 ウリ・ダレ子爵はソードル騎士に引きずられるように連れて行かれた。


 その鼻はへし折られ、そこから真っ赤な液体が垂れている。

 契約書を破棄した後、エリージェ・ソードルの指示で騎士ギド・ザクスに殴られたのである。

 ぐずぐずと時間を取らせたウリ・ダレ子爵にエリージェ・ソードルがイライラしていたからの帰結で、”他意”は無かった。

 そんな些末なことなどすっかり忘れたエリージェ・ソードルは、近くにいた村人に村長を呼ぶよう指示をした。

 ただ、すぐそばにいたようで、村人が視線を後ろに向けると、その先から両肩を若者に支えられた老人が女の前に向かって足を進めているのが見えた。

 ウリ・ダレ子爵らに暴行されたのだろう、右目の周りは赤黒くなっていて、古びた服には泥や足跡が付けられていた。

 そんな老人が待たせては無礼になるであろうと、一生懸命歩を進める姿は人々に哀れみを抱かせた。


 もっとも、エリージェ・ソードルはそんなものに心を動かされない。


 せっかちなこの女は、自分の元にたどり着く前からさっさと話し始めた。

「あなたがこの村の村長ね。

 実はわたくし、あなたにお願いしたいことがあるの」

「は、はい。

 なんでございましょうか?」

 老人は椅子に座る女の前に付くと、礼を尽くす――というより、どちらかというと崩れ落ちるように地に降り、膝と手を地面に付いた。

「まだ本決まりではないけど、今後、あの木を我が公爵領が定期的に購入する予定なの。

 それまでにこの地域にある木々の生育状況を知りたいと思っているんだけど、あなたにお任せすることは出来ないかしら?」

「あの木、でございますか?」

「ええ、葉が広くて平たく、冬になったら落葉する木があるでしょう?

 あれが欲しいの」


 この女はこの場では明言しないが、それは紙を作る上で必要な木であった。


 エリージェ・ソードルは”前回”、紙を領の主産業としようとしていた。

 その事もあり、様々な地域の木材に関する情報を探し回っていた。

 そこで知ったのだ。


 このマガド男爵領には紙に適した良質な木材が産出されるとの事を。


 しかもこのマガド男爵領、ソードル公爵領と隣接しているばかりか、エリージェ・ソードルが紙の加工場として目星をつけていた、公爵領南東部であり、王都にもっとも近い町、ハマーヘンからほど近かった。

 それを知ったこの女は、丁寧に丁寧に説得しようと、騎士団長ミロスラフ・クローゼが率いる二百名ほどの騎士を王都に呼び寄せ、自ら挨拶に出向こうとしていた。


 だが、それは結局実行されることはなかった。


 問題の多いマガド男爵家が取り潰され、別の者が治めることとなったのだ。

 子爵位の元法服貴族で、女にとって取るに足りない男だった。

 だが、その男の後ろにいる者が問題だった。


 その男はシエルフォース侯爵家の派閥に入っていたのだ。


 エリージェ・ソードルはこの女らしからぬしかめ面で悔しがった。


 シエルフォース侯爵家は、この何でも家名と魔力にモノを言わせるこの女をして、数少ない、対決どころかかかわり合いすら忌避する存在だった。

 魔術狂いの一族で、派閥などといっても別に政治的な何かのために集めている訳ではなく、どちらかというと魔術研究の資金を集めるために囲い込んでいるに過ぎなかった。

 だが、それでも派閥の者がちょっかいをかけられたら体面を保つ上でも、出てくるだろう。

 いや、性格がねじ曲がったシエルフォース侯爵なら、ソードル家に嫌がらせが出来るならと率先してしゃしゃり出てくるかもしれない。

 だから、すぐそばに良質な木材が手つかずに並んでいるにも関わらず、指をくわえて見ているしかなかったのだ。


 だが、”今回”は先んじて男爵領を押さえることが出来た。


 クリスティーナがいた屋敷がマガド男爵家だったのは完全に偶然だったのだが、そのために、このことを思い出せたのは僥倖だと思った。


 エリージェ・ソードルは村長に話を続ける。


「あなたたちにとっても、木材の定期販売は悪い話ではないはずよ。

 農作業の合間に村人がやっても良いし、専業の職人を雇い入れるのも良いし。

 多少、税金で持って行かれても、それなり以上の副収入になるはずよ」

 そんな前のめり気味の女を前に、村長は気圧され気味であったが、ただ、それ以上に反応も思わしくなかった。

「あ、あのう、とてもありがたいお話なんですが……。

 この村にはそんな余裕がないといいますか……」

「?

 どういうこと?」

 エリージェ・ソードルの問いに、村長はおずおずと木札を渡してきた。

 それを騎士ギド・ザクスが受け取ると、一通り調べ、エリージェ・ソードルの前に差し出した。

 それを見たエリージェ・ソードルは目を少し見開き、横から見た従者ザンドラ・フクリュウは「な!?」と声を上げた。

 その木札には年間の租税率が書かれていたのだが……。

「あなた」とエリージェ・ソードルは視線を村長に向けた。

「これでやっていけるの?」

 村長はしわしわの顔を泣きそうに歪め答える。

「とても、とても無理でございます」

 エリージェ・ソードルは一つため息を付くと、視線を先ほど契約書を燃やした焚き火に向ける。

 そして、無造作な感じに木札をそれに投げ捨てた。

 次に、従者ザンドラ・フクリュウに視線を向ける。

 従者ザンドラ・フクリュウは心得ているとばかりに礼をすると、騎士たちに指示を出した。

 女の前に携帯式の机が設置され、その上に白紙と万年筆が置かれた。

 エリージェ・ソードルは万年筆を手に取ると、紙の上にさらさらと筆先を走らせた。

 そして、胸元から指輪印を取り出すと、それをしっかりと押した。

 エリージェ・ソードルは書き上げた紙を村長に渡しながら淡々と言う。

「とりあえず、租税率は公爵領と同じぐらいにしておいたから。

 それなら問題ないでしょう?」

 村長はそれを受け取りながら「おお、おお……」と歓喜の涙を流す。

 そして、額を地面に付けんばかりに頭を下げ、「ありがとうございます! ありがとうございます!」と礼を言った。

 詳しい内容が分かっていないはずの村民も、村長の様子から推測したのか、口々に礼を言い、頭を下げた。

「……」

 そんな様子に、エリージェ・ソードルは少し考えた。


 木々の生育状況の調査、その礼金についてだ。


 エリージェ・ソードルとしては、調査費として銀貨数枚程度は握らせなくてはならない――そんな風に思っていた。


 だが、この村民たちの喜びようである。


 しかも、税率を”異常”から”普通”に戻しただけで――まるでこの女の懐が痛まない状況でのこの感謝である。

(あら?

 この流れは礼金を払わなくて良い感じかしら?)

と、貴族らしからぬセコいことを考え始めた。

 エリージェ・ソードルは凡庸なりに一生懸命考えた。


 どう話を持って行けばよいか?

 それを形作ろうとした。


 そこに、割り込む者がいた。

 女騎士ジェシー・レーマーである。


 なにやら少し緊張した様子で「あのぉ~お嬢様」と声をかけてきた。

 エリージェ・ソードルは折角形作られていたものが崩れるようで不快に思ったが、少し眉を寄せただけで視線を向け、「何かしら?」と訊ねた。

 女騎士ジェシー・レーマーは少し言いよどみながらも言葉を紡ぐ。

「あ~先ほど鞭を打たれた女性なんですが、そのぉ~治療について……」

「ああ」とエリージェ・ソードルは頷いた。

 鞭を打たれた女性とはウリ・ダレ子爵から暴行を受けていた女性である。

(なぜ男装?)

という疑問は浮かんだものの……。

 たかだか平民の女、エリージェ・ソードルとしては正直、すっかり意識から外れていた。


 この女にとって死のうが何しようが、どうでも良かった。


 だから、エリージェ・ソードルはほとんど投げやり気味に言った。

「治療についてはあなたに任せるわ」

 それに対して、女騎士ジェシー・レーマーはなぜか嬉しそうに「はい! 分かりました!」と答えた。


 もしこの時、女騎士ジェシー・レーマーのその様子から違和感を感じられていたのであれば――後の悲劇は生まれなかったかもしれない。


 この女、エリージェ・ソードルは凡庸である。


 その頭はそこらの令嬢の域を出ない。

 故に気づかない。

 ひょっとしたら、従者ザンドラ・フクリュウは気づいていたかもしれない。

 だが意図的かどうかは定かではないが、従者は何も言わず、ただ、そのやりとりを見守った。

 故に、エリージェ・ソードルは気づかない。


 エリージェ・ソードルと女騎士ジェシー・レーマーとの意識の差について、気づかない。


 この女としては、常備の薬ぐらいは使ってあげなさい――程度の軽い考えだった。

 一応、医療魔術師であるスーザン・ドルも連れては来ているが……。

 彼女との契約には細かな制約があり、平民の、しかも他領の者を治してもらうには別途料金を必要とした。


 なので、スーザン・ドルに癒しの魔術を使わせようなどとは、欠片ほども思っていなかった。


 仮にその平民の女性が死にそうであっても、絶対にあり得なかった。

 この女にとって、平民の命など金貨二十五枚そこまでの価値などありはしないのだ。


 ところが、女騎士ジェシー・レーマーは違う。


 このまだ少女といっても良い年齢の彼女は、非常に情け深い。

 力なき平民の女性の、その理不尽に傷つけられた痕を出来れば消してあげたい。

 心に受けたものに関しては難しいにしても――せめて体に残った傷跡それだけでも消してあげたい、そう心から思ったのだ。

 だから、エリージェ・ソードルに医療魔術師の治療を願い出ようと思ったのだが……。

 まだ若い彼女は『任せるわ』と言われて、うっかり”完全に権限を与えられた”と勘違いをしてしまった。


 だから、嬉々として医療魔術師スーザン・ドルの元まで駆けていったのである。


 だが、エリージェ・ソードルは気づかない。


 まさか、後ろで金貨がポンっと浪費されているとも知らずに、村長との話し合いで銀貨を節約し、内心でほくそ笑むのであった。


 エリージェ・ソードルは村長に調査して欲しい内容を話し終えた後、指示を出した。

「じゃあ村長、早速で悪いんだけど調べてもらえるかしら。

 調査結果は男爵邸に送っておいて貰える?」

 すると、村長はまたしてもなにやら言いよどんだ。

 せっかちなエリージェ・ソードルはその様子に眉をひそめた。

「何かしら?

 まだ何かあるの?」

「あ、いえ、その……」とこの女の怒気に気圧され、さらにあたふたとし始めた。

 そこに、従者ザンドラ・フクリュウが割って入った。

「お嬢様、問題があるのであればあらかじめ、全て把握しておいた方が良いと思います。

 ここは、しっかりと話を聞いておきましょう」

 その言に、女も「そうね」と苛立ちを押さえながら頷く。

 そして、村長に訊ねる。

「何かまだ問題があるのかしら?」

 村長は頭を深く下げながら言う。

「公爵令嬢様!

 実は、男爵邸は現在、先ほどの貴族様の家来衆に占拠されております。

 その家来衆がまた、手のつけられない暴れ者でして……。

 出来れば、彼らも追い払っていただけませんでしょうか!?」

「まだいるの?」とエリージェ・ソードルは顔をしかめる。

 そして、村長に話を促した。

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