忌避すべき者

 箱馬車が止まり、何気なく窓から外を見たエリージェ・ソードルは、この女にしては珍しくぎょっと目を見張った。

 だが、それは一瞬のことで、降りる準備をする女騎士ジェシー・レーマーも、補佐をする侍女ミーナ・ウォールも気づかなかった。

 なので、いつものような態度で、女を外に誘った。

 エリージェ・ソードルもそれに合わせて女騎士ジェシー・レーマーの差し出された手に支えられながら外に出た。

 そこは、元ホルンバハ商会長邸で、門の前には平民達が並び、エリージェ・ソードルにひざまづき、頭を垂れていた。

 どうやら、家具などを馬車に詰め込む途中で慌てて膝を付いたらしく、それらが中途半端な場所に置かれている。

 エリージェ・ソードルが続けるように指示を出すと、恐る恐るだが人夫達は動き出した。


 そこへ、頭を低くしながら前に出る者がいた。


 平民にしては上質な婦人服を身に纏い、上品に髪を結い上げている姿から、エリージェ・ソードルは当たりを付けた。

「あなたがデシャ商会の娘かしら?」

 エリージェ・ソードルはホルンバハ商会長婦人とは言わない。


 商会長が処刑される前に縁は切れているからだ。


「はい!

 卑しい身でございますが、ご尊名を知る名誉を頂けると、生涯の誉れにございます」

「わたくしはソードル公爵代行よ。

 名乗りなさい」

「畏まりました。

 公爵代行様のご慧眼の通り、フレコ王国で商いをしております、デシャ商会長、ミシェル・デシャの娘、ソフィア・デシャと申します」

 エリージェ・ソードルは名乗りを聞きながら、先ほどソフィア・デシャがいた場所をチラリと見た。


 ソフィア・デシャとは違い、いかにも平民といった感じの中年女がひざまずいていた。


 エリージェ・ソードルは少し嫌なものを見るように顔をしかめたが、ソフィア・デシャに向き直り、頭を上げさせた。

 ソフィア・デシャは癖のある黄金色の髪に白い肌、程良く切れ長い鼻に、薄青色の瞳……。

 二十代後半と聞いていた結い上げた髪を下ろせば、十代後半年頃の貴族令嬢と言われてもしっくりくる、美しい女性だった。

 ただ、しっかりとした所作とは裏腹に、その瞳には大貴族に対する恐怖が浮かんでいた。

 ソフィア・デシャが胸に手を当て懇願する。

「公爵代行様、恐れながら謝罪の言葉を口にする事をお許し頂けませんでしょうか?」

「許します」

 ソフィア・デシャは地に付けんばかりに頭を深く下げた。

「公爵代行様、この度は恐れ多くも公爵家に傷を付けようとした元夫の暴挙、そして、それを妻でありながら止めることが出来なかった愚鈍な女の怠慢、まことに! まことに! 申し訳ございませんでした!

 そして、連座で首を吊ってもおかしくない妻や子供たちへの格別の配慮、まことに! まことに! ありがとうございます!」

「あなたの謝罪と礼、確かに受け取ったわ」


 ”今回”、ホルンバハ商会長を始めとする事件に関与した者は処刑したが、その他の無関係と判断された者への連座は行わなかった。


 たかだか平民に、公爵領が揺さぶりをかけられたなど、はっきり言えば醜聞にしかならないので大げさなことになる事を避けた、ということもある。


 だが、それよりも、エリージェ・ソードルが警戒したのは、ミシェル・デシャの事である。


 この女としては、”あれ”が出てくる前にさっさとフレコに帰そうと思ったのだ。

 なので、本来であれば財産すべて没収となっても文句が言えないにも関わらず、ソフィア・デシャの資産はそのまま本人の者とし、しかも、高名な傭兵団まで護衛に付けたのだ。


 裏返せば、それほどこの女がデシャ商会長ミシェル・デシャに対して忌避感を持っているとも言えた。


 頭を再度上げさせたエリージェ・ソードルは、あらかじめ伝えておいた言葉を告げた。

「いいかしらソフィア。

 きちんとあなたの父親にも伝えておくのよ!

 公爵家は、ブルクは、あなたの娘や孫のために最大限の配慮を行ったと。

 変な逆恨みをしないようにしっかりとね!」

 ソフィア・デシャはエリージェ・ソードルの勢いに気圧されてポカンとした顔をしたが、すぐに「畏まりました!」と頭を下げた。


 突然、門の方が騒がしくなった。


 視線を向けると、十歳ほどの少年がこちらを睨みながら向かってくるのが見えた。

 使用人だろう女性が必死に止めようとしているが、その勢いに捕まえ切れずにいる。

 異変に気づいたソフィア・デシャが振り返り、ひっ! と声を漏らした。

 少年はエリージェ・ソードルを指さし、怒鳴った。

「よくも!

 よくも父さんを殺したな!

 絶対許さないからな!」

 使用人や人夫ら平民がギョッと目を剥く。

 女騎士ジェシー・レーマーを始めとする騎士が女の前に立ち、剣の鞘に左手を置いた。

「黙らせなさい!」

と悲鳴混じりの声を上げたのはソフィア・デシャだ。

 その指示に、ソフィア・デシャの護衛や男の使用人が少年を取り押さえる。

 そして、まだ何かを言おうとしている少年の口を手で塞ぎながら、凄い勢いで離れていった。

「……」

 そんな様子を、エリージェ・ソードルは醒めた目で見送っている。

 ソフィア・デシャが膝を付いたまま、地面に頭を文字通り擦り付けながら謝罪をする。

「公爵代行様、あれは無知な子供なのです!

 わたしはどうなっても構いません!

 何とぞ、ご慈悲を!」

「頭を上げなさい」

「はい!」

 ソフィア・デシャが顔を上げる。

 端正な顔には砂利が付き、額には血が滲んでいた。

 そして、その瞳は先ほど以上の恐怖の色が溢れていた。

 平民とはいえ、高価な服に身を包んだ婦人のそのような姿は、人によっては哀れに思うかもしれない。


 だが、騎士を下がらせた女に当然、そのような感情はない。


 この女には、この婦人も、むろんの事ながら、先ほどの少年もどうでもよい存在だ。

 故にと言うべきかこの女、罵声を浴びせかけられても、必死に謝罪をされても、心は動かない。

 あくまで、その裏にいるデシャ商会長ミシェル・デシャだけが問題なだけなのである。


 不問にして帰そうか? と一瞬思う。


 だが、それは出来ない事も、この女はよく知っている。


 この女、エリージェ・ソードルは貴族である。


 貴族の中の貴族と言っていい。

 そして、特に”前回”、人の上に立ち、必死になって領運営をしていた。


 故にこの女、平民に舐められる意味を正しく理解していた。


 慈愛だけでは彼らをまとめる事が出来ない。

 時には剣を振るわなくてはならない時がある。


 その事を嫌というほど味わった。


 なので、ソフィア・デシャの息子らしき少年の不敬は看過出来ない。

 仮にエリージェ・ソードルがどうでも良く思っていても――仮にデシャ商会長ミシェル・デシャを刺激したくないと思っていても、出来ない。

 それは、ソードル家が公爵領に君臨する上で、公爵領を守る上で、どうしても必要な事だと確信していたからだ。

 エリージェ・ソードルは醒めた目でソフィア・デシャを見下ろす。

「ソフィア、”あれ”の不敬、わたくしはとても見逃すわけにはいかないわ。

 ただソフィア、あなたが”あれ”の代わりとなることは許しましょう」

 ソフィア・デシャは一度、目を見開いた後、「ご慈悲に感謝いたします」と深々と頭を下げた。

 そんなソフィア・デシャの様子など頓着せず、エリージェ・ソードルは女騎士ジェシー・レーマーに指示を出した。

「ジェシー、後ろ手に縛った後、頭を上げさせて」

 女騎士ジェシー・レーマーは何か言いたげにしたが、ぐっと飲み込んだようで指示通りに動く。

 ソフィア・デシャはひざまづいた状態で縛られ、女騎士ジェシー・レーマーに頭を捕まれ持ち上げられた。

 いかにも犯罪者のような扱いであったが、覚悟が決まったのかソフィア・デシャの目は静かになっていた。

 エリージェ・ソードルはソフィア・デシャに淡々と言う。

「あなたは不敬の罪で十殴りの刑とします」


 動揺が平民だけではなく、護衛騎士にも広がった。


 単に十回殴られるのだと安易に考える者はいない。

 むしろ、その回数の”無意味”さを理解している者の方が多かった。


 刑として行うのだ。

 手加減することなどあり得ない。


 であれば、全力で十回もただの婦人が殴られることを意味していた。

 仮に女騎士ジェシー・レーマーがするのであれば――何かしらの小細工が出来たかもしれない。

 だが、取り押さえているのが彼女であれば、執行するのは残りの男の騎士となる。

 一番弱い者が行った所で、ソフィア・デシャが十回どころか、一回すらも耐えることが出来るか、はっきり言って疑問であった。

 だが、そんな周りなど気にする様子もなく、エリージェ・ソードルは続ける。

「不敬に対する罰よ。

 ”選ぶ中”でもっとも強い者に執行させるわ」

 護衛騎士の視線が、エリージェ・ソードルの背後に移る。

 そこから声が聞こえてくる。

「お嬢様のご命令があれば、このレネ、直ちに実行いたしますよ」

 エリージェ・ソードルがちらりと視線を向ければ、ルマ家騎士レネ・フートがなにやらおもしろそうな顔で、女を見下ろしていた。

 エリージェ・ソードルは肩をすくめる。

「不要よ、レネ。

 たかだか平民の女相手に、あなたのような栄光ある騎士が動くこともないでしょう。

 他の騎士も同じよ。

 ソードル公爵、ルマ侯爵の騎士をこんなくだらない者に拳を振るわせるのは、馬鹿馬鹿しいもの」

「では誰が?」

 ルマ家騎士レネ・フートが合いの手を入れると、エリージェ・ソードルは馬車に振り返った。

「ミーナ、出てきて頂戴!」

「あ、はい!」

 侍女ミーナ・ウォールが慌てて箱馬車から出てくる。

「ミーナ、話は聞いていたかしら」

「はい!

 お嬢様、是非ともわたしにお任せ下さい」


 周囲からホッとする空気が流れる。


 騎士であれば、確実に命が失われるだろう。

 だが、ただの侍女、しかもどちらかというと小柄な侍女ミーナ・ウォールであれば、どれほど力を入れようとも十回程度では命を失うことはないと確信したからだ。

 エリージェ・ソードルは侍女ミーナ・ウォールに注意をする。

「良いかしら、ミーナ。

 手のひらで叩くのよ。

 拳で叩くと、逆にあなたが怪我をすることになるから。

 手のひらで、全力でね」

「はい!」

 侍女ミーナ・ウォールは試しに振ってみせる。


 下位とはいえ貴族令嬢として育てられてきた――それを加味しても、力強さの欠片もないそれに、エリージェ・ソードルは元より、罰を受けるソフィア・デシャからも苦笑が漏れる。


 ただ、文官の法服貴族の家で、おっとりとした家族に育てられた侍女ミーナ・ウォールは殴り合いの喧嘩などしたことが無い。


 なので、仕方がないと言えば、仕方がなかった。


 エリージェ・ソードルは一つため息をつくと、「全力でね」と念を押してソフィア・デシャの前に行くようにと指示を出した。


 ペチ、ペチという気の抜けた音を立てながら、刑は執行された。



 罰を受けたソフィア・デシャは拍子抜けしたような、ほっとしたような顔でエリージェ・ソードルに促されるまま、子供たちの元に向かった。

 その背中を、例の中年の女が労るように撫でている。

 ルマ家騎士レネ・フートの「ジェシーに捕まれた箇所の方が痛かったのでは?」と言う呆れの混じった言葉に否定は出来なかった。

 ただそれでも、役割とは違う指示に従った侍女ミーナ・ウォールに労いの声をかけた。

「ミーナ、悪かったわね。

 嫌な役割をさせてしまって。

 後で、報奨金をはずむから」

 それと、女自身あり得ないとは思うのだが、叩いた手が痛んでないか公爵邸の常駐の医療魔術師に見て貰うように指示を出した。

 それに対して、侍女ミーナ・ウォールはにっこりと微笑んだ。

「いえ、お嬢様。

 わたしはこのような役目を承り、嬉しく思いました!」

 侍女ミーナ・ウォールとしては、不敬罪として処刑されてもおかしくない平民に対して、慈悲を与えたのだと思い、その手伝いが出来て良かったと思ったのだが、変な風に受け取ったエリージェ・ソードルは少し嫌な顔になった。

「ミーナ、あなた、叩けるのが嬉しいってのは……」

「ち、違いますよ、お嬢様!

 勘違いしないで下さい!

 お嬢様のお手伝いが出来て、嬉しいって事です!」

「まあ、良いわ。

 人それぞれですし……」

「違いますってば!」

 そんなやりとりをしていると、ソフィア・デシャと話をしていた中年の女が近づいてきた。

 エリージェ・ソードルとの間に割り込んだ女騎士ジェシー・レーマーの前で止まると、膝を付き、深々と頭を下げた。

 エリージェ・ソードルの顔が少し、強ばった。

 中年の女は言う。

「公爵代行様、大切なわたしの友人を守って下さり、ありがとうございます!

 友達代表として、お礼申し上げます」


 平民が貴族に対して勝手に思いを告げるのは不敬に当たる。


 だが、関わりたくないと思った女は、近くにいた騎士に扇子でどこかにやるよう指示を出した。

 若い騎士は中年の女を立たせると、「気楽に声をかけるなど失礼だよ」と声をかけた。

 だが、その中年の女はどこ吹く風で、若い騎士に引かれながらも振り返り、にっこり微笑んだ。

「お嬢様、あの坊ちゃんの事はお気になさらず。

 まだお若いだけで、いつか気が付くでしょう。

 人を恨む空しさを、そして、それにばかり囚われる悲しさを、ね」

 それをエリージェ・ソードルを始めとする人々はぽかんとした顔で見送る。

「何かしら、あれ?」

 エリージェ・ソードルが、この女にしては珍しく、露骨に顔をしかめた。

「!?

 お嬢様……」

 女騎士ジェシー・レーマーがエリージェ・ソードルに見えるように、剣の柄を左手で掴む。


 罰するか、訊ねているのだ。


「不要よ」

 エリージェ・ソードルは首を振った。

 そして、例の中年の女に視線を向ける。


 ”前回”、あの女は炎上するホルンバハ邸に狂ったように石を投げつけていた。


 騎士に止められても、

『死ねぇぇぇ!

 死ねぇぇぇ!』

と炎の中に投げつける姿は、この女の記憶に深く刻み込まれていた。

 そんなこともあり、”今回”、ソフィア・デシャに親しげに話しかける様子を見て、気味が悪く感じたのだった。


 ルマ家騎士レネ・フートが上半身を曲げながら、女の耳に囁く。


「お嬢様、”ああいう”事を平気で言う人間は、人の心など気にせず自分の都合で綺麗に纏めようとする偽善者か、その立場に立つことは無いと高をくくっている馬鹿だ。

 相手にする必要は無いですよ」

「……そうね」

 エリージェ・ソードルは頷いた。

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