最終話 第200話 かのんちゃんはからかいたい!

「……ごめんね? ご飯作ってたからお出迎え遅くなって」


「気にしなくていいよ。ご飯ありがとう」


 俺が仕事から帰ると、必ず花音が出迎えてくれる。リビングの方からは良い匂いが漂っていた。

 大学一年生の夏から同棲を始め、就職した今でもそれは変わらない。


 そして、花音も同じ職場……中町食堂で働いている。

 教員免許も取って最後まで悩んでいたが、最終的に花音自身が決断した。


「颯太くんもご飯作ってくれるし、お互い様だよ」


 そう言いながら見せる笑顔に、俺の疲れは吹き飛んだような気がしていた。


「……それにしても、今日は遅かったね? 忙しかったの?」


「いや、店に双葉が来て絡まれてたから、むしろ早めに上がらせてもらったんだけど、双葉が潰れてな……。虎徹と若葉も来てご飯食べてったから、一緒に話しながら送ってった感じ」


「あー……、双葉ちゃんの家ってうちとは逆方向だもんね」


 苦笑いをしながらも、自然に俺の荷物や上着を預かってくれる。

 申し訳なさとありがたさを感じながらも、以前に『自分自身がしたいから』と言って譲らなかったため、俺も厚意に甘えさせてもらっている。


 手を洗っている間に預けた荷物を片付けてくれ、リビングに向かうと驚いたような声を上げた花音が詰め寄ってくる。


「ねえねえ、若葉ちゃんおめでたなんだって!」


「知ってる。その話を聞きながら帰って来たから」


「あ……、だから急に連絡してきたんだ」


「また改めて報告したいとは言ってたけど、俺に話したからじゃない?」


「なるほど」


 苦笑いをしながらテーブルを見ると、いつものように美味しそうなご飯が並んでいる。……いや、いつも以上だ。

 今日は俺たちにとって、特別な記念日でもあった。

 俺も料理をすることはあるが、いくら気合を入れた日だろうと、ここまで美味しそうに食卓を彩ることはできない。


 食事をしてから、俺たちはリビングでまったりと時間を過ごしている。

 若葉と連絡を取っているようで、時折険しい表情を浮かべつつ、笑顔になることもある。

 コロコロと変わる表情は見ていて飽きなかった。


「いいなー、子供」


 そんな言葉が聞こえ、一度無視しようか悩んでしまう。

 俺はそれどころではなく、別のことで緊張しているのだ。

 ただ、スルーするわけにはいかなかった。


「子供って……、早いだろ」


「早いも何も、若葉ちゃんたちはできてるんだからおかしい話じゃないじゃん?」


「年齢的にはそうだけど、そもそも結婚してないじゃん」


「それもそっか。一緒にいすぎて忘れてた」


「忘れてたってなぁ……」


「だって、もう五年も一緒にいるんだよ?」


 確かにかれこれ五年……正確には五年と少しは一緒に住んでいるため、付き合い始めの時のような初々しさはない。


 花音の勉強が忙しいことと、大学に入学して少ししてから中町食堂でバイトを始めたため、今まで住んでいたところでは行動しづらいという理由で同棲が決まった。

 元々住んでいたところでは無駄に駅を経由するため、今のところに住み始めてからは通学時間も短縮され、職場にも通いやすくなったのだ。


 一緒に住み始めて最初は緊張していたものの、今では緊張することも少なくなり、家族に近い感覚でいるのはお互いに一緒だった。

 ……ただ、花音はやはり可愛いため、いまだに緊張させられることはあるのだ。

 そして、今も緊張していた。


「でも……、颯太くんが好きなことは五年たっても変わらないよ」


「……それは卑怯だろ?」


「何がー?」


 悪戯っぽく笑う花音に、俺の心は揺さぶられていた。


 年齢を重ね、花音はだんだんと綺麗になっていく。

 可愛さも相変わらずで、大人っぽさが増していた。


 それでも変わらないのは、こうやって俺のことをからかってくることだった。


「わかってるだろ?」


「わからないんだけどなー? 教えてほしいなー?」


「……後で文句言うなよ?」


 何かが切れたように、花音の腕を掴む。

 それも両方だ。


 動けなくなった花音は呆気に取られており、俺はそのままソファに押し倒した。


「あっ、えっと……、ちょっ……!」


「教えてほしいんだろ?」


「あ、いや……、うん。でも……」


 歯切れの悪い花音を攻めると、どうも弱いらしい。

 顔を真っ赤にして慌てている。


「……まあ、冗談はここまでにしておくよ」


 そう言って俺は花音を起き上がらせると、残念そうな表情を見せた。

 どうも花音は強引なことが好きなようで、こうやって挑発をしてくるのだ。

 ただ、その手には乗らない。


「……颯太くんの馬鹿」


「……はあ」


 俺はため息を吐き、花音に向き直る。


「俺さ、今日は花音に真面目な話をしたいんだ」


「えっ?」


 今日という日のため、あらかじめ色々と考えていたのだ。


 花音は驚いた表情を見せると、次第に怯えたような表情に変わっていく。


「な、なに……? ごめん、からかいすぎたかな?」


「……ふっ、あはは」


 不安そうな花音の顔を見て、俺は面白く思ってしまって噴き出す。

 真剣に思いつめた花音のことを笑うのは失礼だとわかっているが、俺は自分が考えていたことと花音が考えていたことが全くの真逆ということもあって、つい笑ってしまった。


「そう思うならからかわなければいいのにな」


「だって、颯太くんの反応面白いから……。からかうの楽しいし」


 意地の悪いことを落ち込みながら言っている。

 言っていることとやっていることが真逆だが、花音とのそんな関係を俺も気に入っているのだ。


「別に怒ってないよ。……それに、そうやって誘ってくるの割りと好きなんだよね」


「誘ってなんか……! ……ないわけじゃなくないけど」


 どうも誘っている意味もあるらしい。

 今までなんとなくそんな気もしていたが、今日になってようやく事実を確認できた。


「……って、私のことはいいから! それより話って何?」


 誤魔化すように話を戻す。

 本題は決して忘れてはいないが、脱線した線路にどうやって戻ろうかと悩んでいたため都合は良かった。


「ちょっとずつ俺たちの生活も落ち着いてきたってところだよな?」


「え? まあ、正社員になって一年目は本格的に経営のことを勉強してたし、今はちょっとずつ私たちが見せの中心になろうとしているって時だから……どうなんだろ?」


「仕事はそうだけど、就職して一年半経って、ようやく自立出来てきたなって」


「あぁー、大学生の頃は親に頼らないと生活できなかったからね」


 学生でバイトをしていても、結局親には頼らなくてはならない。

 動静を始めたのもお互いに親が将来を見据えてのことで応援してくれたのだ。


 ただ、今は自分たちで稼いで生活費を払えて、貯金もできている。

 ちゃんと生活はできているのだ。


「だからさ、そろそろかなって」


 俺がそう言っても、花音はピンと来ていないようだ。

 ひっそりとソファの裏に隠してあった紙袋の中から、手のひらサイズの小箱を取り出す。

 それを見た瞬間、花音は察しがついたようだ。


 構わず、小箱を開いて花音に向けた。


「結婚しよう」


 人生で二度目のプロポーズ。

 一度目は付き合う前の告白で、これからも花音と一緒にいるという誓いだった。

 そして今回は、これからの人生を共に歩んでいく契約をするという証だ。


「今までも、これからも大好きだ。……愛してる。」


 ……だから、


「花音。俺と結婚してくれ」


 どこか予想はしていたかもしれない。

 しかし、花音の目から無数の涙が零れていた。


「……はい。よろしくお願いします」


 今日は十月十日……記念日だ。

 ちょうど俺と花音が付き合い始めて、六年が経った日だった。


 指輪を箱から取り出し、花音の薬指につける。


「……っへへ」


 笑う花音は鼻を真っ赤にして、顔はぐちゃぐちゃになっている。

 そんな花音も愛おしい。


 そして花音は涙が溢れたまま、俺に抱き着いてきた。

 勢い余って押し倒され、先ほどとは真逆の体勢になっている。


「わっ! ちょっ!」


「颯太くん、愛してる!」


「俺も愛してるよ? でもちょっと動きづらいから、退いてくれないかな?」


「やーだ!」


 弾けるような笑顔を見せ、嬉しそうに俺の胸に頭を寄せている。

 諦めたように、その頭を……艶やかな髪を撫でていた。


「颯太くん!」


「どうした?」


「勘違いしないでくれてありがとうね!」


 ……そうだった。

 俺たちはそこから始まったのだ。


「これからも勘違いしないよ」


 関係は変わっていくが、俺たちは変わらない。

 俺たちは自分たちのペースで、歩いていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る