終わりは破滅へと

 香月が姿を消してから、二月近く経った。何か状況に変わりがないかと彼女の家を尋ねても、ただ首を振られることばかりが続いている。

 最初のうちは、彼女の両親があれこれと手を尽くしていたが、ほとんど収穫は無かったらしい。先が見えない中疲れ切ってしまったそうで、捜索を自ら進んですることはなくなってしまった。今では一日のほとんどを、家から出ることなく過ごしているとのことだ。

「雨露様。今日も、おいでくださったのですね。ええ、いつものことながら、何も」

 毎回自分を出迎えてくれるのは、雪月の妻であった。いくら雨露が香月の婚約者で、紅花が他人の妻であっても、二人きりにさせるのはいかがなものか。咎めようにも、そんなことを言える状況ではないのはよく分かっている。

 ただ、俺が雪月の立場なら、如何な状況でも男とは二人きりにはさせないのだが。あの男、どういうつもりなのだ。人の苦しみに付け込もうとする輩など、いくらでもいるというのに。

 こちらの心境など検討もつかないのだろう。紅花はいつもと同じようにお茶を運んでくる。

「奥様たちは、その、今日も体調が優れず。それから、雪月様も今は出ておりまして。なので、はい。わたくしだけです」

 自分が真人間であると思われている。ひとまずはそういうことにして、彼女の前では振る舞おう。複雑な想いを消すように、温かいお茶を口に含んだ。事が済んだとき、雪月を問い詰めればいいだけだ。紅花をどう思っているのか、と。

 紅花は少し、香月に似ている。顔つきはあまり似ていないが、纏う雰囲気や儚い美しさは、彼女を思い起こすものがあった。そこから想像されるものは複数あるが、本人の目の前で考えたいものではない。

「雪月殿とは、なかなか会えませんな」

「お義姉様を探していらっしゃいますから。今日は夕方に一度帰ると言っていましたが、どうされますか」

「いえ、それまでにはお暇させていただきます」

 雪月に毛嫌いされているのは、よく知っている。愛想笑いを浮かべてこそいるが、その目に宿るのは嫌悪と憎しみ、それから嫉妬の色であった。それが何を意味するのか全く見当がつかないほど、自分は疎くなかった。

 きっとこれは、他の誰も気が付いていない。雪月があの目を向けるのは、雨露しかいないのだから。

「紅花殿は、最近雪月殿とどんな話をされるのです」

「あのお方と、ですか。そうですね、お義姉様の話が多い、ですね。わたくしだって夜に眠れないことばかりなのです。雪月様は尚更でしょう」

 雪月様は、お義姉様をとても大切にしておりましたから。そう零された一言で、何かが腑に落ちたような気がした。

 紅花と話すたび、この一連の騒動が雪月の仕業なのではないか、という予感が強くなっていった。そして、今、それが確信に変わりつつある。

 自分が部下を通して手に入れた情報を合わせれば、そこから見えてくるのはきっと真実だ。

「お義姉様、ご無事だと良いのですが」

 無事ではないだろう。いや、きっと五体は満足だ。心労で弱ってはいるだろうが、傷つけられているはずがない。曲がりなりにも、彼は彼女を愛しているのだから。だが、その身の清らかさはとっくに奪われているだろう。男が好いた女を囲っているのだから、つまりはそういうことだ。

 彼女を救い出したとしても、彼女は雨露のものにはならない。手に入れようとしたところで、怯えられるのが話の落ちだろう。だから、救った後は何かをしようとは思っていない。婚約だって無かったことにするつもりだ。だがそれでも、檻の中から出してやりたいと、心から思うのだ。

「香月殿は、きっと俺が助け出します」

「どうか、お願いします」

 祈るように目を閉じる紅花が、救いを求める香月の姿に見えた。



 暗くなるまで、雪月の家の近くで様子をうかがった。次第に下がっていく気温に、あと少しあと少しと言い聞かせ堪える。不思議と、今日を逃せば次はないような気がした。

 雪月がそろりと姿を現したのは、陽が落ちてしばらく経ってからだった。大きな荷物とともに馬に乗っている。てっきり浮かれた顔でもしているのだと思い込んでいたが、その表情は暗く、ひどくふさぎ込んだ様子を見せていた。

 雪月が馬を走らせてから少し間をあけ、自分も後を追いかける。見つかってもすぐに気がつかれないように、簡単ではあるが変装もしている。とはいえ、あの様子の雪月がこちらにそう注意を払っているとも思えなかった。

 冷たい風が吹き付ける中を走り続ける。彼を見失わないぎりぎりの距離を保ちながら、ただ進み続ける。彼が何を考えているのかがふと気になったが、大方姉のことだろうと結論づけるしかなかった。

 たどり着いたのは、外れた土地の小さな屋敷だった。雪月の馬から離れたところに自分の馬をつなぎ、目の前に広がる庭を見やる。

 花は枯れ、土も乾ききっている。色の失った花が地面に散らかっているのを見つけたとき、ぞわりと背筋に冷たいものが走った。嫌な予感がした。

 幸い鍵は開けられたままだった。いくつもの南京錠が下がる扉を静かに開け、足音を殺して進んでいく。

 家の中は荒れ果てていた。割れた花瓶はそのままで、埃や塵がそこらに積もっている。廊下でさえこれなのだ。彼女が閉じ込められている部屋はきっと、より悲惨なことになっているのだろう。

 しばらく歩かないうちに、ほのかに明かりの灯る部屋を見つけた。扉の隙間からそっとのぞき込むと、雪月の背中が見えた。今すぐ飛び込みたくなるのを抑え、そっと様子をうかがう。

 床に膝をついている彼が誰に話しかけているかなど、確認するまでもなかった。

「姉様。姉様。どうして、私を見て下さらないのですか」

 聞こえてくるのは甘い囁きではなかった。ただの悲痛な声だ。

「こんなにも、お慕いしておりますのに」

 ちうと皮膚を吸う音がした。

 あれこれと手を尽くしても、あなたはどんどん弱っていく。心を閉ざしてしまう。消えそうになっていく。まだ側にいてほしいのに。そんな呟きばかりが零されていく。聞けば聞くほど、ぞわぞわと肌を何かが這うような気がした。自分のことばかりの台詞にしか聞こえなかった。

「あ、おねが、やめ」

 どうすべきかと唇を噛んでいたとき、ようやくやく我に返った。ああ、そうだ。今すぐ、助けなくては。

 扉を乱暴に開け、かつかつと足音を立て部屋に入る。

「雪月。貴様」

 特段彼に驚いた様子はなかった。ぐるりと顔をこちらに向け、冷え切った瞳を向けてくる。今にも解こうとしていた彼女の帯を離し、はあと息を吐いた。

「いつ飛び込んでくるかと思っていましたが、存外早かったな」

「香月殿に、なんてことを」

「なんてことを? そんなこと、私が一番分かっているとも」

 香月の様子はひどかった。やせ細り、唇は色を失っている。恐怖の刻まれた顔に、以前のような美しさはない。さらに、首に繋がれた鎖といい、後ろ手に拘束された姿といい、痛々しいことこの上なかった。

「こうでもしないと、いけなくなってしまったのだ」

 雪月が苦々しく言葉を吐いた。

「お前は姉様を助けにきたつもりか」

「それ以外何があるんだ」

 ふうん、と彼が呟く。荒れた部屋の中から帯を一本拾い上げ、静かに香月の後ろに回った。

「姉様。彼のことを、見てはなりませんよ」

 縋るような色を浮かべていた目を覆い、しゅるりと後頭部で結び目を作る。同時に、か細い悲鳴が部屋に転がっていった。

 目に映していいのは雪月ひとりだけ。そう確かに主張しているようで、思わず唇を噛んだ。

「香月殿を、解放してもらう」

 ぴくり、と雪月が顔を上げた。その顔に浮かんでいたのは、確かな怒りと絶望であった。

「はあ。何なのだお前は。そもそも、お前さえいなければ」

「何だと」

「お前が姉様を欲しがりさえしなければ」

 とんだ逆恨みだ。香月の心を壊し、自らをすり減らしているのも、自分の行いのせいに他ならないというのに。

「過去の自分に問うてみろ。全て貴様の仕業だろうが」

「うるさい。黙れ。口を聞くな」

 次第に雪月の声が震えはじめ、その目から雫がこぼれはじめる。

「私だって、姉様と、ただの幸福を手に入れたかったのだ」

 今なら、説得ができるかもしれぬ。香月の前で血を流すこともなく、彼女を救うことができるかもしれぬ。そう思ったのが間違いだった。

 突然こちらに飛び出してきた雪月に、反応が遅れた。

「だがやはりお前は許さぬ。お前は、許さぬ」

 どこに隠していたのだろう。その手に握られていたのは短剣で、気が付いたときにはもう目の前に迫っていた。

「たとえあと短くとも、私は姉様と共に在るのだ。姉様はここにいるのだ。お前なんかに、奪われてなるものか」

 応戦も、逃げることも、どれもできなかった。自分にできるのは、床に倒れ伏したまま、自らの命が逃げていくのを感じることだけだ。

 助けにこない方がよかったのか。少なくともそうすれば、彼女の目の前で、弟が人を殺めることはなかった。いや、だが、しかし。

 痛み、苦しみ、それから。薄れゆく視界の中、床に雫が跡を作っていくのを眺めていた。



「ここが人に見つかるのも、時間の問題ですね」

 目隠しを解きながら、雪月は呟く。

 あの男のことだ。自分が消された時のことも考えているだろう。彼は、周到に計画を立てる人間だったはずだから。

「あの男の言う通りです。全て私のせいなのです」

 あの時彼女がわずかに浮かべた、希望に縋る様子を見てしまった。それに耐えられる自信は、もうない。

 自分は終わりだ。香月だってもうもたない。平凡な幸せを得ることもなければ、人間としての在り方も失ってしまった。

「私を殺したいほど憎いのなら、それでも構いません。ですが、あと数日待っていただけませんか」

 香月の唇は動かず、瞳にも一切の変化はない。青白い顔だけが、部屋の明かりに浮かんでいた。

「姉様」

 頬に手を添え、こちらを向かせる。すると、乾ききった唇がようやく動いた。

「なんと仰ったのです。もう一度、お願いします」

 どうにか聞き取った言葉に、再び雪月は涙を流すことになる。

「ああ、では、そのように」




 翌日。雨露の計らいで何人もの人が屋敷に乗り込んできた。そこで彼らが見たものは、折り重なるようにして倒れている姉弟の姿であったという。

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籠の中 番外編 椿叶 @kanaukanaudream

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