第39話「休載」



『兄さん、これ』




『何だ』




『兄さんにはいつも稽古に付き合ってもらってるだろ』




『別に、俺との手合わせなんか稽古にならないだろ』




『そんなことないよ。兄さんにはいつも世話になってる』




『俺より才能のある奴が何言ってんだ』




『兄さん』




『ん?』




『これを贈らせてほしい』




『ペンダント……どうしたんだ、急に』




『どうか大事にしてほしい』




『なんでこんな物を……』




『誓いの証だよ。父上の命はもう長くない。俺達のどちらが王位を継ぐとしても、これからも二人で力を合わせて、この国を守っていこう』




『ユキテル……』




『このペンダントに誓って、約束してくれよ。兄さん……』




『……』




 ラセフが返事をすることはなかった。








「はぁ……疲れたでござる……」


 今日は夢達一同は、現実世界で打ち込み訓練をしていた。卓夫が以前より重たく感じるヤケドシソードを、地面に置いてぐったりと倒れ込む。決して重量は変わっていないが、疲労が溜まりに溜まった体が錯覚している。


「そろそろ休憩にする? お腹空いたでしょ?」

「そうですね。とりあえず生4つ!」

「それ、女子高生のギャグじゃないだろ……」


 夢や透井も地面に腰掛け、ハルから受け取ったタオルで額や首元に張り付く汗を拭う。5月中旬になるものの、既に夏の兆しを示すように日差しが眩しく照り付ける。普段のジャージ姿では窮屈に感じるほどだった。


「そうだ、休憩がてらちょっと発明品の実験に付き合ってほしいんだけど、いいかな?」 

「発明品? まぁ、いいですけど……」

「また何か作ったんですか?」


 透井が部屋の奥の棚をゴソゴソと漁るハルを覗き込む。ハルは白い長皿にバターロールのようなパンを4つ乗せ、夢達の元へ運んだ。


「これが発明品?」


 夢は一つ手に取って匂いを嗅ぐ。こんがり焼けたパンからは香ばしい匂いが漂っており、空腹で疲労した夢達の鼻をくすぐる。しかし、何の変哲もない食べ物が発明品と言われても、意図が読み取れず反応に困る。


「これは一口かじるだけでお腹いっぱいになれちゃうパン。その名も『腹パンパン』よ」

「相変わらずハルさんのネーミングセンスは独特ですね……」


 透井が苦笑いで応える。ハル曰く、満腹中枢を極度に刺激する成分をまぶしており、一欠片口にするだけで満腹の感覚に陥るというものらしい。仕事や用事で忙しく、食事をする暇がない者のために開発したという。毎日実験と育児に追われる自分がまさにそうだった。


「とにかく食べてみて」

「……」


 夢達はパンを一欠片千切り、そっと口の中に放り込んだ。味はスーパーやコンビニで販売されている一般的なバターロールと大差無かった。


「おぉっ!」

「なんか、腹が……」

「うぅっ……」


 口内で咀嚼したパンを飲み込んだ瞬間、腹が食物で満たされていく感覚に襲われる。まるで空気で膨らませたように、若干腹が盛り上がる。朝昼晩の三食を一気に終えてしまったかのような満腹感だった。


「どう?」

「確かに……一口でお腹いっぱいにはなりました」

「けど……なんか心が満たされてない感じがする……」

「あ、ごめん……」


 想定通りの効力を発揮し、実験は成功。だが、透井達から望んだような反応を得ることができず、ハルは落胆する。

 満腹感を味わうには、やはり多量の料理を口に頬張り、味を楽しむ経験を経る方は満足できる。透井達にとって、食事の快楽を省略して得る満腹感は、何とも味気ないものだった。




「んぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 すると、突然卓夫が腹を抱えて悶絶し始めた。あまりの悲痛な叫び声に思わず一同の鼓膜が震わされる。卓夫のそばには大きな口でかじられた腹パンパンが転がっており、苦しむ彼の足に蹴られて遠くへ転がっていった。


「卓夫君!?」

「いっ、痛ぇぇぇぇ!!!!!」

「ごめん、一個だけ満腹中枢を刺激する成分多く配合しすぎたかも……」

「ごめんで済むかぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 卓夫は腹を抱えながらトイレへと駆け込んだ。成分の配合を誤ったこともそうだが、卓夫の一口が大きすぎたのも原因である。何とも波乱なロシアンルーレットに当たってしまったものだ。夢と透井は苦笑いしながら個室のドアを眺めた。


「んじゃ、休憩がてらスマフォで電子書籍でも……って、ん?」




「どうした、夢さん」


 夢はスマフォの電源を入れた瞬間、画面を凝視して硬直してしまった。気になった透井が画面を覗き込むと、ホーム画面の通知バーにとある一件の通知が表示されていた。様々なネットニュースを知らせるアプリの通知だった。


「これ、シュバ大の……え? 休載?」


 ニュースの記事が拡大して表示された。よく読んでみてると、月刊コミックレジェンドにて連載中のシュバルツ王国大戦記が、しばらくの間休載をするという内容だった。

 記事と共に原作者のLOVECAのコメントも記載されており、「誠に勝手ながら、理由に関しましては伏せさせていただきます。楽しみにしていただいているファンの方々、大変申し訳ございません」とのことだった。


「理由が載ってないって、変な話じゃない」

「そうね。なんか裏がありそう」


 香李とハルが記事の文面を眺めて怪しむ。過去に休載したことがなかったわけではないが、その時は原作者の体調不良や執筆以外の仕事による不都合などの原因が、丁寧に説明されてきた。

 しかし、今回は休載の原因は全くもって不明。まるで何か極秘情報を隠蔽しようとしているように、休載記事からただならぬ気配を感じる。


「なんか怪しいな……って、夢さん!?」


 透井が真っ白になって呆然とする夢に気が付いた。彼女はシュバルツ王国大戦記の生粋のファンであり、休載の告知が衝撃的すぎて受け入れられないようだ。ショックから呼吸が止まってしまった。彼女の肌から色素がどんどん抜けていき、白い脱け殻と化していく。


「キュウ……サイ……モウ……オワタ……」

「まずい! 夢さんが!」

「夢! 落ち着いて! 打ちきりになったわけじゃないから!」

「そうよ! 休載の間はオトギワールドで遊べばいいじゃない!」


 香李とハルが夢を全力で励ます。ただでさえユキテルが原作で死亡し、出番が無くなってしまっているという状況の中、作品自体が連載を停止するという緊急事態に絶望し、血の気が引いてしまっている。仲間の励ましは右から左へと凪がされていく。


「え、えっと……そうだ! 夢殿、我の食べかけの腹パンパンをやろう!」

「卓夫は黙ってろ!!!」

「ぶふぉっ!?」


 トイレから戻り、状況を察した卓夫。しかし、あまりにふざけた勧奨に呆れ、透井は卓夫の腹を殴った。再び腹を下し、卓夫は再度トイレに駆け込んだ。


「ユキテル……クン……イマイク……マテテ……」

「夢さん!!!」


 透井も励ましの言葉を脳内で絞り出そうとするが、生気が無くなっていく夢を抱え、自分までもが動揺してしまっている。

 ふと、日頃の夢の麗しい表情が頭を過った。彼女を一人の女性としていとおしく思う心が、ある一つの言葉を選択肢として脳内に放り込んだ。この言葉を口にして夢が活気を取り戻すかどうかは分からない。


「……///」


 しかし、勇気の使い時は瞬間はここであると、直感が伝えてくる。透井は恐る恐る口を開いた。


「夢さん、お、俺、夢さんのこと……///」






「夢! LOVECA先生のサイン会のチケットあげるから!」

「ほんと!?!?!?!?」


 バッ

 すると、香李の言葉の直後に夢は起き上がった。夢の体は温度を取り戻し、色味が溢れ出てきた。


「う、うん……この間応募したやつが当たってね、3枚もあるから1枚譲ろうと思って」

「やったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 香李ちゃんマジ神!!! マジユキテル君!!!」 

「私の推しはラセフだからね」


 夢は香李に抱き付いて幸せそうに微笑む。彼女の笑顔が自分の力ではなく香李によって生み出されたものであることに、透井は嫉妬心を隠せなかった。やはりシュバルツ王国大戦記に詳しい彼女の方が、夢と心を通わせやすいのだろうか。


「……」


 先程露呈しかけた夢への思いは、心の奥底に大事に取ってある。今は伝えるべき時ではない。悔しさと共にこらえながら、透井ははしゃぐ夢を静かに眺めていた。


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