第35話。悪夢の予兆。

 第一〇九師団にとって、その日は悪夢のような一日であった。

朝から続いていた霧雨が今にも雪に変わりそうな天候の中、急遽前線へ移動するように中央軍から通達された。与えられた情報は常識ではとても信じられないものだった。彼らに与えられた命令は最前線警戒部隊を突破してきた帝国軍の足止めというシンプルなもの。長年、部隊を指揮しているガレス少将は事の異常性に驚きつつも、即座に部隊を前線へと移動させ地帯戦闘を行えるような陣形を構築させるように命じた。

だが生憎の雨でぬかるんだ足場のため、頼みの戦車や車両部隊は使い物にならず、歩兵部隊が先行するという形となっているのだ。常時ならば、戦車を先に進めて行軍するのだが、すぐにでも前線を援護すべく、仕方がなく歩兵部隊のみで進軍している。


「ガレス少将!飛行中の友軍魔装兵から連絡があります!」

「魔装兵からだと?通信兵に相手でもさせておけ、我々は命令により進軍中なんだぞ…」

「そ、それが…照会コードによれば友軍魔装兵は特務兵団の兵団長であられる、デンギュラントス准将からとなっております」


ガレスの階級は少将と、准将よりは一階級高い。

だが兵団の兵団長を努めている上に、その”戦艦潰し”という二つ名を王国軍内に轟かせているガルーの事を蔑ろにできる訳がない。

すると、通信兵が何かメモが書かれている紙切れをガレスに見せる。

数秒、ガレスは思考を巡らして損得を計算した後、答えを出した。


「繋いでくれ……」


◇◆◇◆


 「こちら、第一〇九師団のガレス少将であります。作戦行動中につき手短にお願い致します、師団長殿」


数分待たされた後、師団長が無線に出てくれた時、私は小躍りしそうになった。

上空で確認できる限り師団は前線を目指していると思われる。そんな行軍中の部隊に対して中央や関係部隊からの連絡ならまだしも、全く関係ない部隊からの通信に答えてくれたのだ。柔軟な対応のできる少将閣下がいて何よりだ。


だが、不思議なことがある。


「感謝します。特務兵団としましては前線の情報を集めたいところなのですが…師団長とはどういうことでしょうか」


私は兵団長だ、師団長ではない。

ない、はず…なんだこの悪寒は。


「お聞きになっておられないのでありますか。バギンス中将閣下よりガルー・デンギュラントス准将を今日付けで第一〇九師団の師団長に任命せよとの厳命がありました。閣下から通達されたご命令は前線部隊の救援と、殿軍としての遅滞戦闘であります」


最悪だ。

参戦するだけならまだしも、最前線にて敵と交戦する部隊を指揮。尚且つ、救援を必要としている部隊を救助しつつ、先程の第四一九部隊や他が戦線を構築するまでの間、遅滞戦闘を行うなど…


はっきり言って不可能に近い、いいや、不可能だ。

だが、ここで嫌です帰らせて下さいと言えないのが軍人であり、私という人物なのだ。


「了解しました。では、ガレス少将殿を副官に任命しても宜しいでしょうか。全部隊の特徴や状況を今から把握するのは不可能なことですので」

「了解しました。だが、その場合指揮権はどう致しましょうか」

「基本的にはガレス中将が師団を指揮していてください。私は遊撃部隊として動きますので、魔装部隊は任せて下さい」

「はっ。そのまま飛行しているのもあれでしょうし、一度地上に降りられてはいかがですか。車中にて休息を取りつつ、今後について話し合いましょう。特に”不死の部隊”とやらの対策を一時でも早く講じましょう」

「…不死の…部隊」


記憶は回帰する。

あの日、あの場所で、行われた忌まわしき生理実験。これぞ正しく、因果応報というのだろうか。


◇◆◇◆


 一人の男が薄暗い部屋の中を、まるで何かに取り憑かれたかのように歩き回っていた。時より何かを呟くも、首を振り再び歩き始める。それを繰り返し続けている。その姿を見た者は亡霊か何かと勘違いし逃げ出すに違いない。それ程までに男の行動は不気味で常軌を逸しているとしか考えられなかった。


「私は、間違えたのか。何を間違えた。あ、あの悪魔の娘を…解き放ったのは間違えだったのか」


すると男は立ち止まり、勢い良く振り返る。


「そんな訳があるか!私は間違えてなどいない!私は常に正義の側にあり、英明な判断を下し、静寂の中に力を見出してきた!」


先程までの弱気な態度は消え去り、怒りに身を任せる男がそこにはいた。瞳を爛々と輝かせ、不気味な笑みを顔に貼り付けている。

しかし、すぐにその姿はまるで死にそうな老人のようになってしまった。


「いやいや、わ、わた、私は。ああ、なんて事を。国を、裏切るなんて、許されない。神よ、私をお助け下さい」


果たして男の祈りは神へ届いたのだろうか。それは神のみぞ知る事である。

だが、男が救いようのない間違いを起こしたのは、確かだった。

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