第11話 沢角冴子
神社の隣には平屋の家屋があり、拝殿から屋根伝いの廊下で繋がっている。
詠に促されて建物の中に入る。そこは広いことを除けば普通の家の玄関だった。
「いまタオル持ってくるから待っててね」
「ああ」
「あら、いらっしゃい」
神主さんが出迎えてくれる。
「どうも。お邪魔しています」
この人は少し苦手だ。
その透明感のある黒い瞳に見据えられていると、心の内側まで見られているような気がして落ち着かない。
「良かったわ。少しお時間を頂いても宜しいかしら。先ほどは満足に自己紹介もできませんでしたので」
詠の髪色は母親から遺伝したのだろう。
神主さんもまた艶やかな黒髪の中に少し銀色の髪が混じっていて神秘的だ。初めて会った時にも思ったが、詠から子どもっぽさを全て排除して大人にした容姿で、とてつもない美人だった。
「桜居さん持ってきたよ~。あれ、お母さん?」
「悪いな、助かる」
俺は乾いたタオルを受け取り、濡れた頭を拭く。
「詠、少しこの方に話があります。お茶を用意して頂戴」
「はい」
「それでは、こちらへ」
黙って後ろについて行く。
長い廊下を歩き、突き当たりの部屋に通される。
「さあ、どうぞ」
「はい」
広い和室だった。
床の間には掛け軸と高そうな壺に花が活けてある──時代劇にでも出てきそうな部屋だな、と思った。
「では改めまして。私は
そう言い、深々と頭を下げる。
「
俺も神主さん──沢角冴子さんに倣って、頭を下げる。
顔を上げると、神主さんは笑っていた。
なんか第一印象と雰囲気が違うな……。
「ふふ、ごめんなさい。別に私の真似をしなくてもいいのよ。言葉に気を遣う必要もないし、座り方も適当でいいわ」
「俺のことは沙夜から聞いてるんですね」
「それと、娘にね」
「俺にどんな話があるんですか?」
「特にこれといったお話はありません。ただ、外からのお客様なんて数年ぶりのことでしたので」
「村の外から人が来ることがそんなに珍しいんですか?」
「ええ。あなたの前は……確か、三年前に女性が一人いらしたわね。それ以来かしら」
改めて思うが、とんでもないド田舎だ。
「その人はどうしたんですか?」
「一週間も経たないうちに帰ってしまったわ。この通り、何もない村ですし」
それを聞いて俺は安心する。
「よかった。ちゃんと帰れるんですね」
「帰りたいですか?」
「そうですね。そろそろ体調も回復してきましたし」
その時。
ひゅう、と、
俺の背後から神主さんに向かって冷たい風が吹いた。
ぞくりと全身を悪寒が走り抜ける。
そして、
神主さんの体が大きく脱力し──たかと思うと、次の瞬間、温和な表情が完全に失われていた。
「あの、どうかしましたか?」
眼光が鋭くなり、俺を射抜くような視線を向け、
「でもあなたは迷っている」
「……え」
今度は目を細め、じっと俺を見据える。少し怖い。
「あ、あの……」
「彩という子と交わした約束。この村を見て欲しい……その言葉があなたを踏み止まらせている。そして……」
まるで過去に見た出来事を思い出しながら話しているような──そんな話し方だった。それにその内容は俺の心の中を盗み見ているとしか思えない。
「……」
「そして、もうひとつ……あなたの大切な……とても悲しい。とても。病院、手紙、枯れた花束……」
それら言葉が示すイメージは……。
「あなたはとても……後悔している……しかし、あの夜、あなたは再会した……詠……
「やめてくれっ!!」
叫んだ瞬間、糸が切れた操り人形のように、神主さんの体が畳に崩れる。それきり神主さんは動かなくなった。
俺が放心していると、ばたばたと部屋に向かって足音が近づき、
「お、お母さんっ!?」
詠が駆け寄る。
「……大丈夫」
ふらふらと神主さんが起き上がる。
額には汗が滲んでいてひどく疲れている様子だったが、瞳には感情の色が戻っていた。
「ごめんなさい。急に強い思念が飛び込んで来て……」
「……どういうことですか?」
「お母さんはね、元々この神社の巫女で依代だったの」
「……より……しろ?」
さっぱり分からない。
「依代というのは、神霊が現れる時の媒体となるものの事。私は、詠もそうですけど特殊な霊媒体質なのです」
「そう。神霊に自分の体を貸すことができるの」
「現実離れした話だな……」
「普通はね、神霊に体を使うことを許可してはじめて、神霊が依代を通じて喋ったりできるんだけど、まれに強い思念を持った霊が無理矢理、私たちの体を利用することがあるの」
「ええと……つまり、神主さんは強い霊に体を乗っ取られて、喋らされたって言うのか?」
「……うん」
「無理に信じなくていいわ」
到底信じられない。
しかし今この場で豹変した神主さんを見たばかりだ。演技なんかじゃなくて、何かに取り憑かれたとしか考えられないのも事実だった。
「それで、私は桜居さんに何を言ったのかしら?」
「何を……って、自分で言ったことを覚えていないんですか?」
「ええ。そういうものなの」
「……そうですか」
「ただ、あれだけ強い思念を持った神霊は、この村では御神木くらいかしら」
御神木。
あの、巨大な桜の木?
「よく分かりませんが、木が神主さんの体を使って俺に話しかけたって言うんですか?」
「あまり深く考えない方がいいわ。頭が痛くなるでしょう?」
考えたくない。
だけど、どう解釈すればいいんだ?
仮にさっきのが神主さんの芝居だったとして、あの言葉は何だったんだ?
『……とても悲しい。とても。病院、手紙、枯れた花束……」
これらの言葉から俺が連想するのはひとつ。
黒川葉子の死だ。
この人が俺の過去を知ってるはずがない。
彩も沙夜も詠だって知らない事を、今日はじめて会ったこの人が知っているはずがなかった。
なのに──この人は、確かに言った。俺しか知り得ないことを。
「……」
依代、神霊。
こんなバカげた話を信じろって言うのか?
大体、霊なんて死んだやつがなるんだろうから、俺に用があるって言っても、
「あの、その……霊の正体は分からないんですか?」
「……ええ。今回のような場合は分からないのよ。不意をつかれたようなカタチだったから」
「そうですか」
「もしかしたら、御神木を依代として、さらに私を媒体に使ったのかもしれないわね。可能性を挙げたらきりがないわ」
「桜居さん、神霊は何て言っていたの?」
「前半は俺の心を盗み見てるような内容だったな。最後の方に、詠のことを言ってた……依代とか、確か桜の木の言葉がどうとか……」
「私のこと?」
「すごく断片的な内容ね。珍しいわ」
「いつもはそうじゃないんですか?」
「まあ、そうね。でも私は神事の依代が主ですから、今回のように自由に神霊に体を明け渡すこと自体が珍しいの」
「シンジ? ……話を理解する前に、言葉の意味がわからない」
「うーん。桜居さんには、もっと基本的なところから説明しないとダメなのかもしれないね」
「詠に任せるわ」
「ええっ!?」
「詠で大丈夫なのか?」
「一応、こう見えても私の後継者ですから」
「一応、そうみたいですけど……」
「二人そろって『一応』を強調してない?」
「気のせいよ」
「そうそう」
「……ホントかなぁ」
神主さんは立ち上がり、障子戸を開ける。
日が傾き始めていてるらしく、夕日の日差しが神主さんの横顔を茜色に染めた。
「ごめんなさい。沙夜たちを待たせてしまったわね」
「彩のこと、すみませんでした」
「あなたが謝ることではありません。あの子は、沙夜と違って勉強が嫌いなんです。桜居さんのお世話をしながらも、内心喜んでいたと思います」
「そうだったとしても、そのおかげで俺はとても助かりました。あまり責めないでください」
「善処します」
とは言うものの、彩を無条件に許すつもりはないようだ。
神主さんは、教育に関しては厳しいらしい。
さっきまでのやり取りで、第一印象の固そうなイメージが払拭されつつあったのに。いまのこの神主さんは苦手だ。
「勉強には厳しいんですね」
「そうなんだよ~。もっと言って桜居さん」
「詠」
「え、なに?」
「週末までの課題、明日までにします」
「そんなっ!」
「それとも今夜までがいいかしら?」
「お、横暴だよっ!! 職権乱用だよ~っ!!」
「なにも聞こえません」
目を閉じて詠から顔を背ける。
この人、怖え……敵にしたらいけないタイプだ。
「それから、桜居さん」
「は、はい」
「明日からまた、彩がここに来ることになりましたから、あなたも暇でしょう? 特に予定がないのでしたら、沙夜たちと毎朝ここに来るといいわ。二人は勉強ですけど、詠が神事や依代……この村の事も含めてご説明いたします」
「……ううっ、イジメだよ。この家には確実にイジメが存在するよ……」
「なにか言ったかしら?」
「よ、喜んでやらせていただきますぅ……」
「いい返事ね」
やはりこの人を敵に回したら危険だ。俺は悟った。
「じゃあ、明日は午後から暇になりますから、来てもいいですか?」
「ええ。遠慮なさらず、いつでも来てください」
「ありがとうございます」
丁寧に頭を下げる。
頭を上げると、微笑む神主さんの後ろにいる詠が『裏切り者~』という目で俺のことを睨んでいた。
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