15 撹乱

 昼を過ぎ少しずつ日が傾いてきた。

 文化祭一日目は夕方六時に終わるらしい。校内放送で明日に向けて時間厳守するよう通達があった。時計を確認すると、現時刻は十七時三十分。あと三十分後には校内を出なくてはならない。学校内は朝からのお祭り騒ぎで生徒たちの疲れが少し見えた。明日に向けて体力を温存しようと考えた生徒は多く、少しずつだが人が掃け始めている。一般客の大半は既に帰宅していた。

 そのためなのか、僅かながら空気の揺らぎを感じた。

 場所は図書室。祭りについて書かれた本が展示されている場所を和香奈と歩いている時だった。一瞬のことだったので掴めた感覚はとても少ない。それでも相手に動きがあったことは確実だ。急いで周囲を観察するが、何も見えなかった。

「優人さん?」

 和香奈が俺の反応に気づいて声をかけてきた。その様子から察するに、彼女は何も感じ取れていない。

 ───相手はとても用心している。しかも、かなりの手練れだろう。

 俺自身、幽霊騒ぎがあると事前に知らされていなければ見逃していた。そのくらいの小さな感覚だ。これを新米魔術師が捉えるのは難しい。

 俺は首を横に振り、なんでもないと和香奈に伝える。

 図書室を出て次はどこに向かうのか和香奈の反応を待つ。すると遠くで女性の叫び声が聞こえた。

「出た! 幽霊!」

 周囲にいる生徒たちが口々に叫んでいる。そして現場となった場所に向かって数人の生徒たちが駆け出した。

「優人さん、行きましょう!」

 和香奈はそう言ったが、俺はそれを制止した。生徒たちが騒いだことで相手が気を緩めた。おかげでやっと気配を掴むことができた。

 幽霊は現場から既に離れている。動きが早い。あっという間に校庭へと動いて、そしてまた消えた。

「動きが早い。もう逃げた」

「え?! そうなんですか?」

 現場から戻ってくる生徒数人が大きな声で状況を話している。それに耳をすませる。どうやら集団の中にいる顔色の悪い男子生徒が目撃者のようだ。数人に支えられるようにしてこちらへと歩いてくる。

「机を片付けようと思って教室に入ったら、そこにいたんだよ! ぼやっと人っぽい生き物が! それでそいつがじっとこっちを見てんの! 食われるかと思った! マジで怖かった!」

 そう語る男子生徒は今にも吐きそうな様子で胸に手を当てている。余程不快な印象を与える使い魔なのだろう。真っ青だ。

 人っぽい生き物、と呼ぶからには二本足で立っていたのか。しかし断定できていないところをみると、人ではなさそうだ。

 男子生徒を囲んで数人の生徒が俺たちの横を通り過ぎていく。その様子を見つつ、じっと気配を探した。しかし、なかなか手応えがない。上手いこと隠れている。

 この幽霊はいったい何を探しているのだろうか。

 いままで聞いていた幽霊騒動の話は、物陰からこちらを見ていたといった趣旨だった。しかし、たった今起きた現象はそうではないようだ。教室に入ったところで幽霊と出くわした、と目撃した男子生徒は言う。

 ………撹乱か?

 校内を混乱に貶めることで、目的のものを炙り出そうとしている。

「優人さん、どうしましょう? 逃げ足が早いだなんて、それって幽霊じゃないんですか?」

 和香奈が心配そうな表情で尋ねる。少し混乱しているのが見てとれた。生徒たち全員がこの混乱を抱いているとしたら、早いところ決着をつけた方が良さそうだ。

「和香奈。空いている教室はあるか?」

「へ? 空いている教室ですか? 何で?」

「そこにそいつを閉じ込める」

 幽霊は学校内を混乱させ、目的のものを見つけようと躍起になっている。文化祭も終わりに近づいたこの時間帯を狙って、だ。その行動から、幽霊の探しているものはこの時間帯、まだ校内にあると考えていいだろう。

 そもそもずっと謎だったのだ。なぜ幽霊は日中、生徒たちがいる時間帯に現れるのか。夜でないのは何故なのか。

 それは、探しているものが日中にしか存在しないからだ。そして幽霊を目撃できるのは生徒たちだけ。ここから推測される事象は一つ。

 幽霊が探しているのは特定の生徒の誰か、ということ。

 人が減ったこの時間帯に動き始めたということは、幽霊は目的の生徒がまだ学校内にいると睨んでいる。しかし、人が減ったといえども、なかなか認識できない。だから撹乱行動を取った。

 何故そう考えるのか。

 今、学校内に全校生徒がいるとは思えない。明日に向けて大半の生徒が帰宅し始めているし、体調が悪く休んでいる生徒もいるはずだ。それでも、この機を狙って強硬策に出てきた。

 おそらくだが、幽霊には探している対象がまだ学校内にいると判断できる根拠がある。幽霊が認識できる範囲に目印があり、それがあるにも関わらず目的のものが見えないのだ。

 探しているのが一般人なら幽霊が苛立つ理由はないだろう。一般人に魔術師の視線を掻い潜る術はない。早々に目的のものを観察し、それを術者に伝えているはず。しかしそうはならなかった。幽霊は毎日のように姿を表し、生徒たちを怯えさせた。そして今も恐怖を植え付けている。

 おそらくだが、幽霊が撹乱行動を取り始めた理由は俺だろう。魔術師なら黒猫である俺が学校内に来ていることは一目瞭然だ。腰の刀も認識しているはず。もしかしたら俺がどこの誰なのかも把握しているのかもしれない。だから身の危険を感じ、早々に決着をつけることにした。

 幽霊を放った魔術師は俺に幽霊を退治される前に、決着をつけようとしている。

「空いてる教室か〜。たぶん、家庭科室なら空いてると思う」

 和香奈が考えながらそう呟く。

「なら、そこに行こう」

 和香奈の案内で家庭科室へと行く。そこは図書室から少し歩いた先にあった。教室がある棟の一階、一番端の場所。有難いことに付近には生徒たちがいなかった。この辺りは文化祭で使われなかった場所らしく、飾り付けも何もない。閑散とした場所だった。

 和香奈は心配そうに家庭科室に近づく。

「鍵、開いてるかな? ………あー、駄目だ。閉まってます」

 和香奈が数度扉を横に引くが、開けない。かちかちと金具がかち合っている音が耳に届いた。

「下がって。俺が開ける」

 学校には申し訳ないが、幽霊退治のためだ。

 腰に用意してあるナイフを取り出し、鍵穴を縦に切る。それで鍵の役割そのものを切断する。ナイフが通った場所から金具だけが分解され溶け出すように崩壊し、床に音を立てて落ちた。

「は………何これ?! 何したんですか優人さん?!」

 和香奈が驚いたように叫ぶが、気にしている場合ではない。俺は扉を開けて中を確認する。

 電気の消えた家庭科室は薄暗く、冷えた空気を室内に溜めていた。壁には食器棚が敷き詰められ、同じ形をした調理台が六つ並んでいる。所々に丸椅子が放置されていた。部屋全体の広さを確認して、どのように術を施すのか見当をつける。

 そして、念の為に確認をする。

「和香奈、護符………お守りは持っているな」

「へ? お守りですか。そりゃもちろん持ってます」

 和香奈がスカートのポケットからスマホを取り出した。そこに護符は付けられている。ゆらゆらと揺れる護符を見て、それがきちんと作動しているを確認する。これがあれば少々の魔術なら全て排除できる。

 これのお陰で和香奈は幽霊から認識されずに済んでいる。和香奈が持っている護符は簡易な呪いや魔術を排除することができる代物だ。それが幽霊からの視線を避けていたに違いない。

「そのまま持っているように。それと、血液を少しもらいたい」

「血液って、血、ですか?」

 俺は家庭科室の角に札を貼って歩く。結界だ。魔術のみで結界を張るよりも札を貼った方が効力は増すし安定する。それに術者の負担も減らすことができる。

 札を貼りながら幽霊の動向を、神経を研ぎ澄ませて観察する。………どうやら相手はかなり警戒している。少しも気配を見せようとしない。

 こちらを伺っているのかもしれない。

「血をもらいたいってどの程度です? 私、痛いのは嫌です!」

 和香奈が文句を言った。まあ、その気持ちはわからなくもない。いきなり血が欲しいと言われたら警戒するのは当たり前だろう。

「少しでいい。指先から出るくらいの少量。構わないか?」

 札を貼り終え和香奈を見ると、少し不安気な表情をしていた。

「あの………何に使うんですか?」

「血液は魔力を全身に通す時の媒介だ。その性質上、血液は魔術師個人を特定しやすい。和香奈の血液を使って幽霊をおびき寄せる」

 幽霊が探しているのは特定の生徒の誰かである可能性が高い。幽霊が探している対象が一般人なら、即座に目的のものを見つけ情報を引き出し撤退しているはず。一般人に魔術師の視線を掻い潜る術はないのだから。しかしそうはならず、幽霊は日中何度も校内に姿を現し、生徒たちに恐怖を受け付けている。

 ということは、幽霊が探しているのは魔術師である生徒の誰か。

 万富さんの孫は自分の認識を多少変える魔術を常に使っているようだが、幽霊の視線を混乱させる程ではない。数週間観察すればその本質を見極めることは可能だろう。この時点で強硬策に出るとは思えない。

 校内に他の魔術師がいれば話は変わってくるだろうが、その可能性を探るよりも現状で一番怪しい事態を想定すべきだろう。

 ───幽霊は和香奈を探している。

 細かに状況を探ってはいないので、これは思いつきに近い。しかし、かなりの確率で真実をついている気がする。

 幽霊は和香奈を探しに学校内に潜り込んだ。しかし和香奈は新米魔術師が持ち歩く護符を持っている。そのために幽霊は視界を遮られ現状を上手く認識できずにいるのだ。だから頻繁に日中姿を現し、生徒たちを観察した。

 恐怖を与えたのは偶然だろう。幽霊にとって知りたい情報は生徒たちの恐怖や混乱ではない。和香奈自身の情報だ。それを探ろうとして躍起になったために、結果として生徒たちに恐れられた。それが真実だろう。

 そして今、和香奈が校内にいると判断するに至った理由は俺の存在だ。俺個人が学校に来ると術者は考えていないに違いない。そして実際、俺一人なら学校に来ることもなかった。来るには理由がいる。

 和香奈だ。

 和香奈のことを探ろうとしている魔術師は、和香奈が魔警で働いていることを知っている。そして文化祭も終わりに近づいた今でも俺が学校内にいることから、和香奈もまた学校内にいると術者は考えた。

 何故和香奈を調べようとしているのか。その理由はわからない。ただ、彼女はこの春に魔術師になったばかりで、それまでは魔術と一切関わりのない人生を送っていた。そのため魔術師同士の交流からは和香奈の人となりを把握できなかったのだろう。

 そして彼女の師匠は先読みを研究している苫田さんだ。

 だから、魔術師としての和香奈の情報を手に入れようと思ったら、彼女の実生活を見るのが一番だと判断した。

 生駒さんの予言では、この辺り一帯は徐々に地脈の澱みが酷くなる。それは悪意ある誰かの仕業らしい。その切り札として和香奈を大切にするよう忠告があった。相手の魔術師はその占い結果は知らないだろうが、それでも和香奈の存在を不安視した。とても用心深い魔術師なのかもしれない。

 だから、わざわざ使い魔を放ってまで調べに来た。

「血………指先ちょっとでいいんですよね? んー、どうやって出そう?」

「手、貸して」

 和香奈の右手を取って、もう片方の手でナイフを取り出す。そのことに和香奈が一瞬怯えたが、それを無視して指先にほんの少しだけ傷をつけた。そこから血が滲むように出てくる。それを急いで一枚の札で拭った。

「………そのままスマホを持って、家庭科室から出ていろ」

 俺の言葉に和香奈は頷き、家庭科室から出た。それを確認してから、和香奈の血がついた札を机に貼る。

 ───これで場は整った。

 俺もまた家庭科室を出て、扉を閉める。

 そして、魔力を全ての札に通した。

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