5 準備

 文化祭準備が本格的に始まった。クラスのみんなは一日の授業が終われば教室のあちこちで集団になり、今日一日の作業分担を確認する。文化祭出し物に決定した「写真で作る間違い探し」について、制作チームが教室内で徹底的に構図を話し合う。うまく内容がまとまれば撮影チームが指示を受けて外出し、撮影、現像、確認する。当初予定していたよりも撮影はうまくいっていないみたいだけれど、発案者の田中さんは楽しそうだ。それを見ていると、なんだかんだあるかもしれないけれどきっと文化祭は無事に終えられるだろうな、と希望を持てた。

 私は制作チームや撮影チームではない。文化祭当日に配る景品の買い出し担当だ。放課後アルバイトをしていて忙しいだろうから、とクラスのみんなが配慮してくれたのだ。ありがたいことこの上ない。だから私は授業が終わったらそそくさと教室を出てアルバイトに向かう。

 そして私と同じように、莉緒もまた景品の買出し担当になった。莉緒はクラスの中で私くらいしか話し相手を求めない。相手が話しかけてきたら応じるけれど、進んで仲良くしようとしないのだ。それに、最近莉緒の調子が悪そうなのは誰もがなんとなく察していた。そのためだろう、みんなが気を遣って私と同じ担当にしてくれた。ホント、メンバーに恵まれたいいクラスだと思う。

「莉緒、帰ろ」

 声をかけると莉緒は青白い顔で頷いた。その顔色に私は不安を隠せない。どうしても表情がこわばってしまう。それが莉緒には嫌なのか、大丈夫だから、と最近そればかり口癖のように繰り返している。

「そんな心配そうな顔、しないで。大丈夫だから」

「大丈夫そうじゃないよ」

 莉緒の鞄を代わりに持って、私たちは教室を出た。

 莉緒の体調は日に日に悪くなっている気がする。二学期始まってからすぐは顔色が優れないだけで、体は問題なく動かせていた。それなのに最近は怠そうに体を動かすようになってきている。あまりの調子の悪さに病院に行ったかどうかを何度も確認するけれど、莉緒は答えてくれなかった。

 ゆっくりと階段を降りて校門へと向かう。莉緒は入部している図書運営部の活動にまるで参加できていない。文化祭当日の図書運営部は、イベント企画で祭りに関する本の展示やちょっとしたレクリエーションを用意するみたいだけれど、それを手伝いに行こうとしない。体調が悪いせいか朝の読書も学校に来なくなっていた。もしかしたらこのまま退部してしまうのかもしれないと思うと、少し寂しい。

 校門に向かう途中に自動販売機がまとめて置いてあるスペースが校内にある。缶ジュースばかり売っている自販機、ペットボトルばかり売っている自販機、紙コップで飲むタイプの自販機、アイスクリームを売っている自販機、さまざまだ。そこを通りかかる時、私は飲み物を選んでいる野村先輩に気づいた。

「あ、野村先輩だ。莉緒、挨拶していく?」

 野村先輩は図書運営部の部長だ。けれどそれも文化祭が終わるまでの話。野村先輩は三年生。三年生の部活動は文化祭で最後と決まっている。これから大学受験に向けて頑張らなくてはならない時期に来たのだ。

 私の提案に莉緒はふるふると首を横に振った。

「私はいい。和香奈、気になるなら行っていいよ」

 そう言ってほのかに微笑んだ。その笑みが弱々しくて、私は心配でたまらない。

 ───一学期はこんなことなかったのに、どうしてしちゃったんだろう?

 莉緒は夏休みに北の方へ旅行に行くと言っていた。まさかその旅先で何か悪い菌でももらってきたのではないだろうか? それが莉緒を蝕んで、こんなにも体調悪くさせているのでは?

「ねえ、莉緒。一度ちゃんと病院に行って診てもらった方がいいんじゃない?」

 私の提案に莉緒は静かに微笑んで答えない。その笑みは私を慰めるためのものではなくて、なんだろう。

 ───そんな事じゃ治らない、と言っている、気がする。

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だから。………それじゃ、また明日」

 そう言って莉緒は私から離れ行ってしまった。追いかけて校門まで送ろうかとも思うけれど、なんとなく拒絶されたような気がして足がすくんでしまった。

 うじうじしていても仕方がない。気分を切り替えて私は野村先輩のところに行くことにした。

 自販機置き場に行くと、先輩は紙コップの自販機でコーヒーを注文したらしい。自販機の前で飲み物が完成するまでの間、ぼんやりと突っ立っていた。

「野村先輩、お疲れ様です」

 声をかけて近づくと、野村先輩がパッと私の方を振り向いて華やかな笑みを見せた。それが思いがけないくらい嬉しそうで、ほんの少し驚く。

「鶴崎さん。お疲れ様。今日もこれからアルバイトかしら?」

 野村先輩はそう言って自販機から離れて私のところに小走りで近づいてくる。まるで旧友にでも会ったかのような行動に、むしろ慌てた。私は急いで野村先輩を自販機前に引き戻し、飲み物が完成するまでそこで待つ。

 ───なんか、オーバーリアクションだなぁ、野村先輩。

 ちょっと気になったけど、野村先輩と会うのは久しぶりだ。だからこんなにも歓迎されたのかもしれない。

「はい。野村先輩はこれから図書運営部の文化祭準備ですか?」

「ええ、そう。でもその前にちょっと喉が乾いちゃって」

 自販機が飲み物の準備が終わったことを知らせる音楽を流す。自動的に開いた扉から先輩はコーヒーを取り出し近くのテーブルへと移動した。私もそれについて行くようにして移動する。

 向かい合って席に座る。野村先輩は慣れた手つきでポケットの中からスティックシュガーを取り出し飲み物の中に入れた。スティックシュガーは白、ピンク、黄緑のラインが交互に塗られた可愛らしいパッケージをしている。製品名など書かれていない。シンプルなデザインに好印象を抱いた。

「そのスティックシュガー、可愛いですね。いつも持ち歩いでいるんですか?」

 私の質問に野村先輩はほんの少し首を傾げるだけで答えなかった。

「鶴崎さん。二学期に入ってから高松さんが部活にまったく参加できていないんだけど………そんなにも体調が優れないのかしら?」

 野村先輩は紙コップの中身をこぼさないように注意しながらそっと揺らす。入れた砂糖が溶けるのを促しているのだ。私はその動作を見ながらどう答えたものか、少し悩む。

 莉緒の体調は悪いままだ。むしろ二学期始まってからより悪くなっている。その原因は不明。病院に行ってなんとかなると本人は思っていないみたいだし、学校を休んだり体育を見学したりしているわけでもない。ただ、ひたすら調子が悪そうなだけ。

 莉緒が言うには「変態がいる」らしい。この間、そう教えてくれた。変態がいるのはたぶん、学校内。どうしてそう考えるのか理由はわからないし、それが体調不良の原因なのかもわからない。けれど莉緒は変態を警戒している。

 ───もしかしたら莉緒は変態を警戒しているから体調が悪いのかもしれない。

 ピン、と閃いた。そう考えると莉緒の言動に納得できる。変態を警戒しすぎて神経が摩耗しているというのなら、体そのものに異変があるわけではない(いや、ストレスでいろいろってのはあるかもだけど)し、病院に行ったところで治る問題でもない。だからひたすら我慢し続けているんだ。

 でもそうなると疑問なのは、莉緒はどうして学校内(だと思われる)に変態がいるだなんて思うのだろう? その根拠は? わからない。ただ、莉緒は何かを感じ取っていて、それを感じ取っていない私を不思議がっていた。

「あの………鶴崎さん? どうしたの?」

 紙コップのコーヒーを数度飲んで野村先輩が私に尋ねた。その声かけで私はうっかり自分の思考に没頭していたことに気づき、ちょっとだけ恥ずかしくなる。

「あ、ご、ごめんなさい! ちょっと考え事をしていたんで………えっと、莉緒の体調ですよね? あんまり良くないみたいです」

「そうなの。大丈夫かしら………このまま部活を辞めるとか、悲しいことを言わなければ良いのだけど」

 野村先輩はそう言って俯いた。その表情には疲労が見え隠れしている。目の下に隈がうっすらと見えるのが痛々しかった。図書運営部部長として文化祭の準備に追われる中、莉緒の心配をし、大学受験のことも考えている。いろいろなことが積み重なって疲れているのかもしれない。

「野村先輩。大丈夫ですよ。きっと体調が戻ったら部活に戻ってきます」

 励ましたくて、そう言った。

 莉緒は読書が大好きな女の子だ。蔵書数が多いという理由で暘高を選んだくらい、図書室に思い入れがある。それを一時の体調不良で辞めるだなんてこと、きっとない。ないと信じてる。

 私の言葉に野村先輩は穏やかに笑った。その優しい笑みに私はほっと胸を撫で下ろす。

「ありがとう。鶴崎さんは本当に優しい………いい子ね」

「い、いいえ! いい子だなんて、そんなことないです!」

 野村先輩の褒め言葉に照れてしまう。なんたって野村先輩は私の憧れだ。真っ直ぐな黒髪に、理知的な瞳。落ち着いていて品がある素敵な人。そんな女性に褒められるのはものすっごく嬉しい。

 照れる私を野村先輩は優しく見守ってくれる。それがなんだかお姉ちゃんみたいに思えた。私、一人っ子だけど。きっと姉妹がいたらこんな感じなんだろうな〜と想像できるくらいに優しい眼差しなのだ。

「文化祭が終わったら私は本格的に受験勉強を始めなくちゃいけないの。できれば高松さんには文化祭が終わるまでに戻ってきて欲しいのだけれど………難しいのでしょうね」

 寂しそうに野村先輩が呟いた。莉緒は野村先輩にとって可愛い後輩の一人なのだ。なんとか野村先輩の希望を叶えてあげたいとは思うけれど、こればっかりは私に出来ることはない。莉緒の体調が戻るのを祈るばかりだ。

 なので私は話題を変えることにした。

「あの、野村先輩はどこの大学を受験するつもりなんですか?」

 前々から気になっていた質問を口にする。答えてくれないかなと思ったけれど、野村先輩は教えてくれた。

「とりあえず、国公立よ。両親は東大か京大を目指せというけれど………」

 そこまで言葉にして野村先輩は無表情になった。それが今まで見たことのない暗い表情で、少し嫌な予感がする。

 ───聞いちゃいけないことを聞いちゃった?

 恐る恐る、声をかける。

「あ、あの。悩んでるんですか?」

 野村先輩が部活に勤しんでいる姿を見ていて、将来は本に関する職業に就きたいのかなと勝手に想像していた。図書を扱う手つきはいつも丁寧だったし、楽しそうだったから。本に関する職業といってもいろいろあるけれど、大学進学を思い悩むようなことはないはず。

 もしかしたら、野村先輩の希望と両親の希望が合致していないのかもしれない。そう思った。

 野村先輩は私の質問にほんの少し困ったような笑顔を見せた。

「そうね。ちょっとだけ悩んでる。大学に行ってやりたいことも特にないし、極めたい学問があるわけでもない。あの人たちが望んでいるのは、大学というブランドだけだから」

 そこまで言って野村先輩は紙コップに残っていたコーヒーを飲み干した。どうやら話はこれで終わりらしい。野村先輩は椅子を引き、席を立った。

「野村先輩」

 一連の動作に違和感を覚えた私は思わず声をかける。野村先輩は私を見下ろす形で見た。優しく微笑むのが、なぜか痛々しく見えた。

「その………頑張ってください。応援してます」

 元気になってほしい。ただそれだけの思いを込めてそう言った。

 私の言葉に野村先輩は微笑んだ。

「本当に、いい子」

 そう呟いて、野村先輩は図書室へと行ってしまった。

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