第4話 骨壺と海洋葬

 データを削除し終えた葉月は、サッパリとした表情で銀色のやつアサヒスーパードライをクピリと飲んだ。涙の跡が残るその顔で。


「あの人は女房と別れるから待っててくれと言ったわ。けど見ちゃったのよね」


 公園で子供と共に過ごす岡崎一家を見てしまった葉月。幸せそうな家族の雰囲気に自分の付け入る隙は無く、別れるという言葉は嘘なのだと悟った。


「私ってバカよね。そう思うでしょ、春日君」

「お母さんに相談とかしなかったんでしょうか」


 相談するもなにもと、彼女は腕を伸ばしもうひとつある六畳間の襖を開けた。そこに鎮座していたのは位牌と白い布に包まれた箱で、聞かずとも中身は骨壺だと彰人にも分かった。


「お墓に埋葬しないのですか?」

「母さんが言ってたのよ、死んだら暗い土の中に埋めないで欲しいって」


 彼女は銀色のやつを一気に煽り、二本目をプシュッと開けた。

 自転車で信号待ちをしている時、左折してきた大型トレーラーに巻き込まれたのだと。このノートパソコンは就職祝いに買って貰ったもので、母からの最後の贈り物だったとも。


 話しを聞いた彰人はなぜかスマホを取り出し、操作を始めていた。酔いもあるのか葉月の眉間に皺が寄る。


「春日君、人の話し聞いてる?」

「ちょっと待ってて。あ、和也? 明日の乗船予約って埋まってるかな。いや釣りじゃないよ、海洋葬。二人なんだけど」


 彰人の数少ない腐れ縁理解者である船村和也は、釣り船を生業とする船宿金華丸の三代目。明日は祝日だし五目釣りが好調だと聞いていた。

 船も自動車と同じく乗せられる人数が決まっている。定員に空きがあるかを、彰人は友人に確認しているのだ。


『いいぜ彰人、第三金華丸に乗せてやる。でも海洋葬って、誰の?』

「俺の大事な人のお母さん。じゃあよろしくな」


 そう言って通話を切る彰人に、葉月は目を皿のようにしていた。彼は今、確かに俺の大事な人と言ったのだ。


「明朝五時の出船です、葉月さんお酒はその辺で止めておいてね」


 にっこり笑う彰人に、こんな行動力を兼ね備えているのかと葉月は感心しきりだった。洗面で吐いていた人物とはまるで別人に見えたのだ。


 五時出船に合わせて四時起きとなるため、彰人はそのまま葉月宅で泊まることになった。彼が布団に潜り込んでくるかもと彼女は身構えていたが、襖を隔てた向こうで彰人はグースカ寝ていた。

 足音を忍ばせ、彼女は彰人の顔に見入る。何ともだらしない寝顔だが、憎めないなと思わず笑う。母が好きになった父はどんな男だったのだろうと、葉月は思いを馳せた。


 太陽はまだ顔を出していないけれど空は晴天。このウサギマーク可愛いですよねと、葉月の赤い車スズキアルトラパンに乗り込む彰人。


「上沼港の船宿金華丸っと」


 ナビに目的地を入力し、葉月は車を発進させた。向かう道すがら、岡崎とは手を切ったがアパートの合鍵を返してくれないと彼女はぼやいていた。


「おはよう彰人、そちらが喪主の方かい?」


 真っ黒に日焼けした顔に、真っ白な歯を覗かせる腐れ縁理解者の和也。いかにも海の男らしい彼に葉月を紹介すると、彼はトモへ行くよう船の最後尾に人差し指を向けた。

 船の先端がミヨシ、後部がトモ、中間が胴の間と呼ばれる。釣り人にとって船のポジションは釣果に影響するので、場所取りは結構熾烈だったりする。


『それでは出船いたします。皆さんには乗船時にご説明しました通り、道中で海洋葬を執り行います』


 和也が船を操舵しながらマイクを手に、船内放送で釣り客に協力を求める。いいよ構わんよと、釣り人たちが竿を出しながら笑顔で応じていた。


「おい和也、それ剣菱けんびし


 お清めのために和也が海へ注ぐその酒は、ちょっとお高い銘柄の日本酒だった。船代に入ってるから気にすんなと彼は笑い、籠に入れていた花を海に散らす。それは葬儀での献花と同じ意味を持つのだろう。


 彰人は葉月と共に、骨壺の骨を海に撒いた。

 暗い土の中に埋めないで欲しいという故人の願いを尊重し、冥福を祈りながら。傍らで葉月がわんわん泣いている。


 気が付けば、釣り人達が両手を合わせてくれていた。目頭が熱くなるのを感じながら、彰人は和也が用意してくれた紙コップを釣り人達に手渡し剣菱を注いでいく。

 この人達がクラスメートだったら、シカトやイジメなんか起きないのだろうなと彰人はぼんやり考える。 

 海に出れば船長がボス。上場企業の社長さんだろうと会長さんだろうと、和也に命を預け指示に従うのが船の掟。そんな彼らが海洋葬もいいですねと、船上で振る舞われた日本酒をチビチビやっていた。


「ほらよっ」


 和也が彰人と葉月の前にドンと置いたのはトロ箱。魚市場なんかでよく見かける、発泡スチロール製の箱だ。蓋を開ければ中に氷が詰まっている。


「金華丸は釣り船、手ぶらで帰られちゃ困るのさ」


 そう言って和也自身も操舵室から竿を出した。五目釣りなのでメバルやカサゴといった根魚から、ハナダイやカワハギはもちろんカツオやイナダといった背の青い魚まで、トロ箱がお魚で埋まっていく。

 

 居酒屋系女子の葉月が、どう調理しようかしらと瞳を輝かせる。散骨でわんわん泣いていたのが嘘のようだが、切り替えの早さを彰人は好ましく感じていた。

 悲しみは引きずるものではなく糧にするもの。こっちはお刺身こっちは塩焼きと、二人はトロ箱の魚にはしゃいでいた。

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