第3話 葉月さんの自宅ご訪問
ノートパソコンが入ったリュックを背負い両手にはレジ袋。駐車場にある例の赤い車を横目に見ながら、彰人はその手で古びたアパートの玄関チャイムを押した。
ドアを開けた葉月の姿に、彰人はちょっぴり新鮮な気持ちを覚える。彼女の私服姿を見たのは初めてだったからだ。
部屋着なのだろうが、デニムのダメージショートパンツにベージュのTシャツ。職場ではいつも髪をバレッタクリップで留めていたが、下ろすとブラ下まであるんだなと見入ってしまった。
「どうぞ、入って」
「ど、ども。お邪魔します」
彼女はレジ袋を受け取ると、彰人に
台所で彼女が奏でる包丁のリズミカルな音を聞く限り、料理が苦手という訳ではないようだ。ならば彼女の言う『私の料理に期待すると後悔する』とは何を意味するのだろうか。
いやいや待てと、胡座をかいて彰人は銀色のやつをちびりと飲む。
リクエストの中にはイカの塩辛や納豆があった。イカの塩辛なんて酒の肴にそのまま出せば済む話しで、わざわざ手を加えると言う事だ。
「私が退職したこと、知ってるんでしょ?」
「はい、総務で聞きました」
「退職した理由も?」
「それは聞いてませんが、想像で何となく」
「まあそうよね、パソコンの中身を見れば。私のこと軽蔑する?」
はてと、彰人は首を捻った。
彼が軽蔑するのはウザイとかキモイとか言って人を差別するやつと、それに付き従う長いものには巻かれろ的な腰巾着だ。
更に言うなら事の真偽も確認せず風評を真に受ける、メディアリテラシーの何たるかも分かっていないスカポンタンのスットコドッコイども。
高校時代はそれで何度も洗面に行って吐いた。
――春日君てウザくない? 電子回路の本ばかり読んでて。
――この前の電子工作実習で、ニタニタ笑ってたわよ。
――うっわキモ!
――クラスに好きな子いるって聞いたら、思いっきりキョドッてやんの。気持ち悪いっつーの。
中にはそんな会話を止めたいと思うクラスメートもいただろう。
けれどそれをやったら、今度は攻撃対象が自分になるかも知れない。十代の無意識な我が儘は情け容赦を知らず、立ち向かうには相当な勇気がいる。
そんな勇気を持つ援軍は現われず風評だけが一人歩きし、彰人はクラスで孤立したのだ。工業高校にクラス替えはなく、三年間ずっと同じ顔ぶれになる針のむしろ。
彼が無事に卒業出来たのは、高校は違うが小学校からの付き合いである
「僕には葉月さんを軽蔑する理由がありません」
リズミカルな包丁の音が、一瞬止まった。
もっと違う言い方があったかなと、彰人は銀色のやつをグビリと飲む。語彙力が低いという自覚はあるし、あったら他人と接する事に苦労はしない。
自分の気持ちや考えを言葉にして上手に伝えられない。世に言ういじめられっ子の大半は、このパターンではないかと彰人は思う。
新人研修で吐いた時、葉月は辛抱強く彰人の話しを聞いてくれた。人が信用できず慢性的な神経性胃炎に苛まれる彰人の前に現われた、職場で唯一の援軍を軽蔑なんてできない。するはずもない。
包丁の音が、再び軽快な音を刻み始めた。
「私ね、父親の顔を知らないの。母子家庭の典型でさ、父親像に憧れてたわ」
「それで岡崎部長と?」
うわストレートに言い過ぎたと、彰人は後悔した。この空気読み人知らずな所を直したいと思ってはいるのだが、オブラートに包んだような言い回しが中々できない。
これが高校時代に浮いてしまった要因の一つである事を、彼はちゃんと理解している。
「まあ、そういうことよ」
彼女は気にする様子でもなく、一品目をテーブルに置いた。それは山芋のバター醤油焼きで、ビールに良く合う。
そして二品目はオクラ納豆。期待して後悔するような料理ではなく、どちらも美味い。どっちかって言うと居酒屋系?
「母がね、ずっと居酒屋で働いてたから。その影響で私の作る料理はこんなんばっかなのよ」
良いではないか良いではないかと心中で雄叫びを上げる彰人の箸が止まらない。そこへ出された三品目が、よく分からなかった。
「葉月さん、これは?」
「食べてみれば分かるわよ」
そう言って彼女は彰人が返すためテーブルに置いたノートパソコンを開きつつ、銀色のやつをプシュッと開けた。
そう言えばイカの塩辛はどこへ行ったのだろうかと、彰人は首を捻りながら三品目の物体に箸を付け、頬張ってみる。
口に含んだ瞬間、彼はやられたと思った。それはイカの塩辛を具にしたポテトサラダで、奇抜だがビールによく合うのだ。
「気に入ったみたいね」
彼女はしてやったりと言わんばかりの顔で、銀色のやつをくいっと飲む。けれどその片手はタッチパッドを操作し、日記とピクチャフォルダの画像を削除していた。
Cドライブは
「いいんですか? 葉月さん」
横から覗いていた彰人が、つい空気を読まない発言をしてしまう。ごめんなさいと言おうとしたが、彼女の頬を伝う涙に彰人は言葉を飲み込んでいた。
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