第37話 夏の再会 その3

 その後俺たちは、再び親父のバンに乗り込み、家路につく。


 後ろの席からは、満腹なせいか幸せそうな顔で横になっている紡希の寝息が聞こえてくる。


「そういえば親父」


 無事に終わることができた墓参りだけれど、気になることがあった。


「墓参りの時も言ったけど、どうしてあんな暴挙に出たんだ?」

「暴挙って何だ?」

「せっかく誰かが献花してくれてたのに、花瓶から引っこ抜いてどこかに持って行っただろ。あれ、彩夏さんと親しい誰かが置いていってくれたんじゃないのか?」


 親父は、ヒールではあるけれど常識的な人間だと思っていたので、その時の光景を目にした時は驚いた。


「ああ? いいんだよ、あれは。あのロクでもねぇヤツの仕業だから」

「さっきもそうやってはぐらかしてたよな。その言い草からすると、親父は誰が花を置いていってくれたのか見当がついてるんだろ? いい加減教えてくれよ」


 俺は、親父の運転席をゆらゆら揺らした。


 ちょうど信号待ちになった時、親父は、まるで観念したような大きなため息をついた。


「……紡希はどうしてる?」

「寝てるよ。自分の顔くらいあるハンバーグの消化にエネルギーを集中させてる」


 紡希がどうしたんだよ、と言いかけた時だった。


「あの花置いてったのはな……紡希の父親だろうよ」

「紡希の?」


 慣れた親子の空間に、緊張のピリッとした空気が混じった気がした。


 紡希は、実の父親の顔を知らない。俺だって知らなかった。


 彩夏さんは、10代で紡希を産んでいる。

 籍を入れておらず、その相手を決して明かさなかった彩夏さんを、地方では名家として知られているらしい厳格な名雲の実家は許さなかった。


 結局、彩夏さんは両親や親族と衝突した末、家出同然に実家を飛び出したのだった。


 兄弟で一番仲が良かった親父がこっそりサポートしていたから、彩夏さんが紡希共々困窮することはなかったのだが、その間、紡希の父親が何をしていたのか、俺は知らなかった。母娘に何かしら援助していたなんて話も聞いていないから、正直なところ、俺も紡希の父親にいい印象はなかった。


「じゃあ親父は、紡希の父親を知っているってことか?」


 親父からも、紡希の父親の話が出たことは、これまで一度もなかった。


「まあな」

「どこの誰だよ?」

「俺から言う気はねぇよ。終わったことだ」

「いや、勝手に終わらせるなよ……。だって紡希の父親だろ? 紡希は――」


 やっぱり会いたいんじゃないのか? と言いかけたところで、俺は続きを言えなくなった。


 もし紡希が、実の父親に会ったとして……『本当の家族と暮らしたい』と言い出す可能性を恐れたからだ。


 俺は、最後部の座席を全部使って横になっている紡希に顔を向ける。


 彩夏さんを失ったばかりで不安まみれだった春の頃の紡希のままだったら、実の父親と暮らすべき、と考えることもあったかもしれない。


 だが、今は違う。


 結愛のおかげで、紡希は母親を失った苦しみを、ひとまずは乗り越えられた。

 その過程には、俺だって関わっている。


 母親を失って、気丈に振る舞おうとしながらも夜中になると寂しくなって泣き出してしまっていたところを目の当たりにしている俺としては、彩夏さんの墓前で明るい姿を見せた紡希に対して、達成感に似た特別な感慨があった。


 紡希への愛着は、春の頃よりずっと強くなっている。


 今更、紡希の父親がやってきて、紡希と暮らしたい、と言ってきたって、はいそうですか、と応じる気はない。そんな瞬間が来ることだって望んでいない。


 だから……親父の言う通り、この問題は深入りしない方がいいのだ。


 家路に向かう車はトンネルに入り、暗闇と轟音が響く中を抜け出して再び綺麗な夕焼け空の下に戻ってくる。


 俺も親父も、ついさっきの憂鬱な話をトンネルに捨ててきたような気分で、取るに足りないような親子の会話を始めるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クラスのギャルが、なぜか俺の義妹と仲良くなった。「今日もキミの家、行っていい?」 佐波彗 @sanamisui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ